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小代焼中平窯の器は民藝(民芸)なのか?

小代焼中平窯の西川です(^^)

私は柳宗悦氏の『民藝(民芸)』という思想に強い興味関心がありまして、このnoteでも度々民藝(民芸)の思想・哲学・美意識についてあれこれと考察しています。

そういった活動の中で
「 西川君のやっている仕事って民藝(民芸)なの‥(・・? 」
という質問を受けることがありますので、そのことについて私の考えを書いていきます。

それと、こういった文章を書くと柳宗悦氏を無暗に批判しているように受け取られることがあるんですが、私なりにちゃんと敬意や感情の変遷もありまして…。

以下の記事も合わせて読んでいただけますと幸いです。






小代焼中平窯の器は民藝ではない


結論から申しますと、
私の認識では小代焼中平窯の器は民芸(民藝)ではありません。

民芸(民藝)とは大正末~昭和初期に柳宗悦とその仲間達により作られた言葉で「民衆的工芸」の略語です。
柳氏らの思想・理論を通して鑑賞され、生み出された工芸品が民芸(民藝)です。

少々乱暴かもしれませんが、この思想・理論を要約すると
「無名の職人達が伝統的な手法を用いた分業体制・共同体の中で、無心で繰り返しの労働をする過程で大量に作り、誰もが買い求められる程に安価な実用品にこそ健康的な美が宿る。」
というものです。

この思想・理論には資本主義や個人作家への強い否定も含まれており、ギルド的な社会主義(道徳的秩序を持つ者同士が固く結ばれた相互補助の関係)を前提とした、柳氏の理想とする美の世界が語られています。



当時の日本に新しい美の視点を提案したという意味で大変意義のある活動であり、民芸(民藝)に分類されている品物から学ぶことも多くあります。

一方 中平窯では少人数の制作者によって制作から展示までを行っており、分業体制による生産は行っておりません。 

私はそもそもギルド社会主義が成立する可能性は、日本においては柳氏存命中から現代まで含めても限りなく0であると考えています。


私が制作している品物は一点物はもとより定番の器であっても、量産の陶器と比べて高価な値付けとなっています。

個人的な感覚ですと、無印良品
「高級品ではないけれど、生活の質を気にしているお客様が行くお店」
であると認識しています。
無印良品さま、勝手に名前を出してすみません。
グリーンカレー大好きです。

民藝(民芸)思想の一丁目一番地である
「誰もが買い求められる程に安価な実用品」
という条件をクリアするためには無印良品の価格の2倍か、どんなに高くても3倍までの値付けが妥当ではないかと思います。

現時点で無印良品は、マグカップで390円(税込)~690円(税込)程度の価格帯のようです。
一方の小代焼中平窯のマグカップは2,420円(税込)~3,850円(税込)となり、その差は5~6倍といったところ。

小代焼中平窯の器は『手作り陶器』というジャンルであれば高くもなく安くもなく、妥当な価格であると思います。
しかし、量産品の陶磁器や、一般市民の暮らしで想定される様々な物価と照らし合わせると紛れもなく高級品になるでしょう。

さらに作品的な抹茶碗やぐい吞みと比較すると、その差は10倍以上になります。
※無印良品のラインナップに抹茶碗は無いようですので飯碗・丼との比較です。

そのため、単純に価格の面だけをとっても小代焼中平窯の器は民藝(民芸)とは言い難いのです。


小代焼中平窯のマグカップ 税込2,750円



小代焼の変遷


私が携わっている小代焼は約400年間、技法(特に藁灰釉や流し掛け)が大きく変わらずに受け継がれています。


時代に合わせて主体となった技法が変わったり、途絶えたりする焼き物が多々ある中で珍しい事例だと思います。

しかし、生産の形態には時代時代で大きな変化があり、
一概に「昔は○○だった。」とは言えません。

まず江戸初期から後期までの200年間ほどは二つの家(牝小路家・葛城家)による一子相伝の時代があります。

この時期は両家が一年交代で一つの窯を使うという小規模生産・小規模消費の時代でした。
大々的には一般庶民への卸売りもしておらず、庶民が普段使いをするための器ではありません。

制作する器としては藩の役所などで使う茶器類が多かったようです。
小代焼の歴史の中でも、かなり長い期間この形態をとっていました。

江戸後期になると瀬上窯が築かれ、数十年の間 職人を複数人雇って生産し卸売をするという大量生産の時代が到来します。
幕末に瀬上窯から分かれた野田窯でも、従業員を雇って生産していたようです。
(時期によって人員の増減あり)

この時期に民間用の多種多様な製品(食器に限らず湯たんぽ・味噌漉し・蒸かし器などなど)が作られています。

以下、民藝(民芸)の特性についての引用です。

では柳の説く「民藝品」とは具体的にいかなるものであるのか。柳は、そこに見られる特性を次のように説明している。

1.実用性。鑑賞するためにつくられたものではなく、なんらかの実用性を供えたものである。

2.無銘性。特別な作家ではなく、無名の職人によってつくられたものである。

3.複数性。民衆の要求に応えるために、数多くつくられたものである。

4.廉価性。誰もが買い求められる程に値段が安いものである。


5.労働性。くり返しの激しい労働によって得られる熟練した技術をともなうものである。

6.地方性。それぞれの地域の暮らしに根ざした独自の色や形など、地方色が豊かである。

7.分業性。数を多くつくるため、複数の人間による共同作業が必要である。

8.伝統性。伝統という先人たちの技や知識の積み重ねによって守られている。

9.他力性。個人の力というより、風土や自然の恵み、そして伝統の力など、目に見えない大きな力によって支えられているものである

日本民藝協会ホームページ


上記の引用と照らし合わせると、江戸後期~明治期、瀬上窯時代の数十年間を小代焼における民藝(民芸)の時代と呼べるかもしれません。
ちなみに日常雑器と並行して、茶器も作り続けられました。


その後に大正~昭和~平成をへて現在は11軒の窯元が熊本県内で活動しています。

数年前までは12軒の窯元がありましたので、実は窯元の軒数だけでいえば、現代は小代焼史上最多の時代なのです。
※1軒当たりの年間生産量で比較しますと、最盛期(江戸後期~明治期)の瀬上窯・野田窯には及ばないとは思われます。

一般的に【伝統工芸】と聞くと担い手不足、技術力の低下でどんどん件数が減少しているイメージを持たれていますので、これは意外な事実ではないでしょうか?

江戸時代の小代焼を代表する牝小路家・葛城家・瀬上家は今では小代焼の制作に携わっておらず、現在活動中なのは昭和~平成に開窯した窯元が大半です。


こうやって歴史を遡っていくと、時代に沿って生産形態が移り変わっていったことが分かります。

小代焼=民藝(民芸)である
という式は一部正しく、一部誤りです。

焼き物に限った話ではありませんが、歴史というものは脈絡のないブツ切りや良いとこ取りをせず、冷静に俯瞰する必要があります。



職人という言葉


民藝(民芸)や伝統工芸について人と会話をする時に「職人」という単語は、前々から違和感を感じることの多かった言葉です。

と言いますのも、昭和に書かれた柳宗悦氏や加藤唐九郎氏の著書に登場する「職人」と、現代の我々が何気なく言っている「職人」はニュアンスが違うのです。

現代で「職人」という言葉を使う場合、手仕事に関わる人全般を指していて、その内容、具体的には同じ製品をどれだけ素早く作れるか否かを問題にしていません。

手で何かを作る人=職人
という言葉の使われ方をします。


しかし、柳宗悦氏や加藤唐九郎氏の言う職人は
「全く同じ寸法、全く同じ重さの器を1日に500個~1000個作れる人。同時に知識や美意識は殆んど無く、人によっては文字も読めない。」
という人々を指しています。

普段の小代焼中平窯では、同じ器を500個~1000個と作ることはしません。
※もちろんご注文があれば数百個作ることもありますが。

マグカップを50個、湯呑みを50個、鉢を20個‥‥‥といった具合で少数多品目を心掛けて作ります。

陶芸に携わっているということで、現代では「職人さん」と呼ばれることがありますが、柳宗悦氏や加藤唐九郎氏の物差しで見た場合、私は「職人」ではないでしょう。

このような認識のズレが「職人」という単語を使って「民藝(民芸)」について他人と会話をする時に、お互いに共通の単語を使っているにもかかわらず、微妙に話が噛み合わないという現象の原因になっています。

‥いや、まぁ別に、私はそのズレについては良いとも悪いとも思ってはいないんですがね。
ただ、そのような現象が度々起こるな~と思っているだけです。




さいごに


思い付いたことを思い付いた順番に書いていきましたが、自分でも着地点が分からなくなってきました 笑
すみません 笑



振り出しに戻るかもしれませんが、私としては

・小代焼中平窯の器は生産体制、価格の両面から見て民藝(民芸)ではない。

・小代焼=民藝(民芸)というのは誤りではないが、正しくもない。一部だけではなく歴史を俯瞰して見るべき。

・「民藝(民芸)」「職人」という単語を使って会話をする時に、相手と噛み合わないことが度々起こる。


ということを言語化したかったという記事でした。


以前書いた記事ですが、
『民藝』昭和54年11月号
の松本雅明氏の文章は小代焼の歴史と誠実に向き合っておられ、好感を抱いています。

かなりマニアックな内容ですが、この冊子が近くにある方はぜひご一読を!

今回は面倒な文章を最後までお読みいただき、どうもありがとうございました(^^)



『民藝』 昭和54年11月号



2024年11月22日(金) 西川智成

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