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「陶芸家の父」 富本憲吉氏
小代焼中平窯の西川です(^^)
本日は陶芸家・富本憲吉氏についてご紹介します。
富本氏は「色絵磁器」というジャンルで人間国宝(重要無形文化財技術保持者)に指定されました。
人間国宝の制度が始まって以来 初となる認定者のお一人でして、
つまりは【日本で最初の人間国宝】です。
現代陶芸の造形思考
『現代陶芸の造形思考』は大学時代から度々読み返している本ですが、未だに100%は理解できていません…(^^;
大学1年生の頃、陶芸ゼミの先生との初面談でこの本を勧められ、すぐに購入しました。
当時は大学近くのレオパレスで一人暮らしをしておりまして、ロフト部分に布団を敷き、デスクライトの光で夜遅くまでこの本を読んでいたものです。
その表紙を堂々と飾るのは富本憲吉氏の白磁大壺です。
![](https://assets.st-note.com/img/1717477733592-MW7BEJ2sb1.jpg?width=1200)
富本氏は「模様の作家」「民芸運動の立ち上げメンバー」として、陶芸界で有名です。
しかし、
当時としては珍しく 模倣の延長ではなく、独自の表現を個人作家として模索していたり、
後に民芸(というより柳宗悦氏)にかなり強く反発して訣別したことは あまり知られていないように思います。
以下、富本氏の言葉です。
造らんとする壺の外線を心におきつつ轆轤すれば、軟らかき陶土の無数の異なりたる外線は内に外にうごきて止まず。
われはこれを「線の戦い」と名づけたり。
民藝運動と富本氏
富本氏は
『民藝』という造語を柳氏らと一緒に世に広めた人物です。
大正15年『日本民藝美術館設立趣意書』は柳氏、富本氏、濱田氏、河井氏の4名の連名で発表されました。
さらに、
機関紙『民藝』の題字は創刊号~10号あたりまで、富本氏が書いていたそうです。
バーナード・リーチ氏との出会い等から、民芸運動へ参加するようになります。
しかし次第に、「民藝以外の工芸美を頑なに認めようとしない」柳氏の思想に強く反発し、
だが、しばらくするうちに、
彼らの主張に根本的に私と相いれぬものがあるのを発見したのである。
私は民芸派の主張する、
民芸的でない工芸はすべて抹殺されるべきだというような狭量な解釈は
どうにもがまんがならなかったのだった。
という柳氏達への言葉を残し、民藝運動から離脱されます。
しかし、リーチ氏との友情だけは晩年まで変わらずに続いたようです。
民芸派からの離脱後になりますが、
東京美術学校(現:東京藝術大学)の教授を務めていらっしゃいました。
さらに『色絵磁器』の人間国宝に認定されます。
文化財保護法の改正後に認定された、
日本で最初の人間国宝のお一人です。
(※荒川豊蔵氏、濱田庄司氏、石黒宗麿氏も同時に認定されます。)
富本氏は日本の陶磁器文化へ多大な貢献をされました。
民藝館での出会い
最後に、
私がとある民藝館で出会った富本氏の作品について書いておきます。
富本氏は「模様の作家」として有名であり、
「模様から模様をつくらず」
という誓いを立てて、過去の模倣はせずに、独自の新しい模様を数多く生み出されました。
![](https://assets.st-note.com/img/1717482065298-c6EEAxbdTb.jpg?width=1200)
富本氏の、創作家として己を律する志や行動は強烈です。
私はこれまでに古いものをかなり見てきたが、その見たものを出来得る限り真似ないことに全力をあげてきた。
それでもその古いものがどこまでも私をワシヅカミにしてはなさない。
私は自分の無力を歎きかなしみ、どうかしてそれから自由な身になって仕事をつづけたいために、或時は美しい幾十かの古い陶器を打ち破り棄て、極く僅かな私の仕事の上での一歩をふみ出したことさへある。
上記のような富本氏の作陶姿勢・模様への考え方は柳氏と対極に位置します。
柳氏の基本的な模様観は
「一部の天才(濱田庄司氏など)が考えた模様や、その土地に古くから根付いた伝統的な模様を、
無知無学で美意識を一切持たない職人が、無意識に何千個何万個と繰り返し繰り返し同じ模様を描き続けることで、
その模様に他力的な力が自然と宿り、真の美しい模様となる。」
という趣旨のものです。
一方、
「愛蔵する古陶磁器を割り棄てる」という一見暴挙のようにも見える富本氏の行動は、創作家として新たな美しき模様を創造しようという並々ならぬ覚悟の表われです。
数年前に私はとある民藝館を訪れ、富本氏作の一つの陶箱と出会いました。
その作品には何の説明も無く、「富本憲吉」とだけ書かれた小さなキャプションが添えられていました。
私は
「創作家として新たな模様を生み出し続けた富本さんの作品が、なぜ民藝館に展示してあるのだろう…?
柳さんの考え方と真逆の位置にある作品なのに、なぜ何の説明も無いのだろう…?」
と、
何度も何度も首をかしげながら、その民藝館を後にしたのでした。
2024年6月4日(火) 西川智成