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#008|【Colum】先輩、その課題、本当に必要ですか?
今回はちょっと番外編と言いますか、コラムという形で新人時代の経験から生じた教育観について書いていこうと思います。
僕が以前働いていたオペ室では「先輩が後輩に課題を出す」というケースが日常茶飯事でした。
当時はまだプリセプター制度が主流だったので、僕もよくプリセプターから課題を出されました。たとえば「今日の手術まとめを1週間以内に出しなさい」とかね。
それだけならまだしも、なぜかプリセプターではない先輩からも課題を出されるんですよ笑。
いやいや、ただでさえこっちは予習と復習で精一杯だし「あんたたちも同じ思いしてきたんじゃないの?なのに、課題出すの?」なんて心の中で生意気なことを言ってたんですが。
僕はかなりの異端児だったので、先輩から出された課題を提出したのは最初の1回のみ。忘れもしませんが「腹腔鏡下胆嚢摘出術」のまとめでした。
それ以降、手術のまとめは出せと言われても出しませんでした笑。結局、日々の器械出しがそれなりにできていたので、先輩から怒られることはなかったです。
また、ピンポイントな課題を出されることもあって、たとえば「卵巣腫瘍摘出でインジゴカルミン使うのはなぜ?」とか「分離肺換気でサチュレーションが急降下しないのはなぜ?」とか。
死に物狂いで勉強していたおかげもあって、この手の課題はその場で処理することができたので、勉強のペースを乱されることはありませんでした。
ただですね「先輩たち、何でそんなに課題出したがるの?」って思うわけです。
だって毎日毎日違う手術につけられて、寝る間も惜しんで予習と復習しているわけで、課題をこなす時間なんてないわけですよ。そして当の先輩も、新人の頃にきっと同じ思いをしてきたはず。
そんなことを考えながら数年経って教育する側になったわけですが、やっぱり僕は課題を出すことにためらいがありました。
おそらくこの15年くらいで数えるくらいしか課題は出していないはずだし、出したとしても必ず「期限はいつでもいい」と付け加えます。
教えられる側としてではなく、教える側の視点から課題を出す同僚や先輩を見ていると、もちろん中心にあるのは「成長して欲しい」という思いで間違いないのですが、それだけではない気もします。
教えられる側だった頃は先輩から褒められたり、あるいは叱られたり、一定のフィードバックがあったわけですけど、教える側になると、後輩の成長が唯一のフィードバックなんですね。だから「課題を出す=後輩が成長する」という認識になってしまって、課題を出すことそのものが、教える側の自己肯定感を満たす要素になっているような気がするのです。
教育学もいろいろと学んではきたけど、やっぱり教育の中心となるのは学ぶ側。学ぶ側の主体性がなければ、どれだけ計画的に教育を進めても思うようには成長しません。
だからこそ僕は、学ぶ側の主体性を引き出すことが教える側にとって何よりも重要であり、予習と復習で精一杯の後輩たちにあえて課題を出す行為は、逆に主体性を削いでしまい、「やらされてる感」が強くなるんじゃないかと思うのです。
あくまで価値観の話だし、どちらが良い・悪いという話ではないないのだけど、「学ぶ側の主体性を無視した教育」だけは、絶対に避けなければならないと思います。