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【エッセイ】希う(こいねがう)
ずっとずっと生きていて欲しい人がいる。わたしが死ぬその時まで、近くにいて欲しい人がいる。わたしを置いていかないで、と思う。でもそれは叶わない。どうしたってわたしより先に生まれた人だから、世の理で言えば先に死んでしまうのはその人だ。
ひとりで生きているように思うことがある。わたしは孤独だと、思ってしまうところがある。だけど実際には、いろんな人に支えられていて、わたしは生きている。もちろん、その人にも支えられている。見守ってくれていると思う。
わたしはその人が好きだ。好き。恋愛の意味での、好きだ。もう人のことなんて好きになることはないと思っていた。あんなに沢山の人に裏切られて裏切られて、わたしは会社を辞めた。他人のことなんて信用ならない。心のなかを見せるようなことは誰にもしない。たとえそれがカウンセラーでも精神科医でも、家族でも、仲の良い友人でも。
でも、所詮他人であるその人に、いろいろなことを打ち明けられたのは、その人の立場もあるだろうけれど、纏う空気や、わたしの触れて欲しくないところを見極める力や、空気を読むことが上手いことや、自分のことも話してくれるところ。人となり、が大きいのだと思う。
彼は、僕がいなくなった時に大きく崩れることのないようにしてね、というけれど、わたしにはまだ、彼がわたしの生活からいなくなることを想像することはできないでいる。もともとこの辺りの人ではないから、来年はいないかもしれないと言われて、そりゃそうだ、と思った。その人が籍を置いている職場も、住んでいる家も、わたしがいる都道府県ではない。はるばる時間をかけて仕事をしにきているのだから。
なにかつらいことがあった時、苦しいことがあった時、わたしは心のなかの彼に話しかけている。もう出逢って5年になる。こういうことを言えば、こう返ってくるだろうな、ということもある程度想像できるようになった。そうやって自分のなかで小さく小さくつらさを発散することで、なんとか生きている。次に彼に会えるまであと何日、と思いながら。ちょっと気持ち悪いかもしれないけれど(笑)
日が近くなれば、次話せる時に何をトピックとしようか、考える。でも、それはシミュレーション通りにはいかない。緊張で、あまり上手く話せないわたしだから、無言の時間が居心地の悪い相手ではないけれど、今日は言えないな、声に出そうとすれば喉が締まるな、という時もあって、諦めることも多々ある。それでも、他に言っておきたいことはないか、と聴いてくれた時は、まとまっていないんだけど、と、言葉をぽつりぽつりと話していれば、勝手に口が動き出すこともある。
ついこの間、死んじゃいたい、と話した時に、どうしてそう思うの?という問いに答えられず、それでも話していたら、ぽつりと言葉が浮かんで、話せた。なにもできないわたしなんかが生きていていいわけがない、と。別に返事はなかった。うーん。と言われただけだった。だけど、それを言えてスッキリした。頭が整理できた気がした。
わたしは整理されていない言葉たちを発することに恐怖心がある。それらを解消するために、思っているそのままにこうやって言葉を編む練習になれれば、とエッセイのようなものを書き始めた。言葉はいつしか祈りに変わり、わたしを強く持っていられるための武器になった。
だから、わたしはここに書くことで祈る。願う。強く。希う。どうかわたしがあなたなしでも生きていられるようになるまで、もうしばらくここにいて。きっと、あなたと一緒に掬いあげたわたしを、あなたと話すことで確立できたわたしという人間を、あともうしばらくで、離すことなく掴んでいられると思うから。
だけど、わたしの前からいなくなるとき、わたしの心のなかにはいてね。そしてあなたの心のなかにも。忘れないでいてね。いつかは忘れゆくだろうけど、そのいつかがくるまで、わたしがどんなわたしだったか覚えていてね。