手塚悟 監督作品「Every Day」 何度も観て、初めて気づく重要なセリフとは
【おすすめ映画107 弐】
手塚悟 監督作品「Every Day」 2016年公開
2021年5月9日現在、Amazon Prime Video で観ることができます。
#文中、ネタバレがありますので、映画をご覧になってからお読みください。
一見淡々と進むように見えるが
手塚悟 監督作品「Every Day」は、淡々と進むように見えるし、時間もゆっくり流れているように見える。しかし、重要な要素が、観る者の負担にならないように、バランスよく配置されている。その計算の緻密さには感心させられる。もちろん、こういう映画を作るのは極めて難しい。味を濃すぎないようにしながらも、観る者の心に苦くて甘い何かを差し込まなければならないからだ。
考える時間を与える
映画が人の心に刺さる条件の一つは、観る人に「考える時間」を与えることだ。ゆっくりとした時間の流れ。ハイペースな展開。観る人によって、求める「映画の時間」は様々だが、どんな映画であれ、好きに考えさせてくれなければ、観る者は自由を奪われる。自由を奪われた観客は苦痛を感じる。手塚悟 監督作品「Every Day」は、まず第1に、その点が上手い。考える時間は十分にあると観客に安心させることで、観る者は心のゆとりを得る。
しかし、実際の人生では、時間はいつも私たちを追い立てる。だからこの作品でも、タイムリミットはあるのだ。7日間。7日間で主人公は世界を変えることができるか?変えられたら、娯楽映画だ。もちろん、それは悪いことではない。変えられなかったら、それは、いい意味で、「心に穴をあける映画」だ。人の心は、隙間を作らなければ、新しい要素は入れられない。手塚悟 監督作品「Every Day」が心に穴をあけてくれるのは、そこに、今までなかった要素を入れるためだ。
映画監督とは
ティム・バートン監督作品「ビッグ・アイズ」の中で、偽物の画家はこう言う。「俺の夢は画家になることだったが、現実は厳しかったよ」
誰もが映画に星を付ける。映画監督は、世界の見方を教えてくれる。「こうも見えるし、こうも見える」
妻が死に、夫が後悔する。これは地球上で普遍的な、気の毒なテーマだ。でも、それがどう見えるかを教えるのは、映画監督の仕事となる。「今度は愛妻家」では、「Every Day」とは別の視点で、このテーマが描かれている。
「シーザーを理解するために、シーザーである必要はない。」(「イノセンス」)。それは嘘だ。映画を理解するためには、僅かでも、映画監督になって、世界を切り取る姿勢を持たなければ、映画を理解することはできない。
ティム・バートン監督作品「ビッグ・アイズ」の中には、こんなセリフもある。「絵を描けない者が批評家になる」
人の中に神を見る
「嫌われ松子の一生」は「人の中に神を見せてくれる映画」だ。そんな体験ができるのは、宗教で修業を積んだ人を除いては、映画の観客だけだ。「Every Day」では、死んだ妻が神であることを、夫が気付く。ここでいう神とは「神ゲー」などの「神」と同じ意味で、「神妻」だ。人並外れた素晴らしい妻が「神妻」なのではなく、全ての夫にとって、妻は人生を捧げてくれているのだから、神なのだ。しかし、残念ながら、妻が普通に目の前に存在しているタイミングでは、妻が神であることには気付けない。死んでからでなければ気付けないというのは、人生が皮肉で出来上がっていることの一つの例だともいえる。手塚悟 監督が、勝負の1作で、なぜこのテーマを選んだのか、観客は知る必要が無い。なぜなら、監督は「妻」という存在を通じて世界を語っているからであり、極論すれば、テーマが「妻」でなくても、やはり、世界を語っていたはずだからである。
神は1人ではない
映画では神の存在が描かれる。「トト・ザ・ヒーロー」「八日目」などで知られるジャコ・バン・ドルマル監督の「神様メール」で描かれる「神」は非常に人間臭い。「Every Day」では、夫は「妻が神のような存在だった」と気付かされるが、その妻に7日間の期間を与えてくれる、別の「神」が存在する。
この神が、非常に人間臭い。人間臭い神だからこそ、本物っぽい。この映画では、そんな神の描き方がされている。
「信じてください」「私のこと、信じてください」
その意味は?
恐らく、信じることによって、7日間存在し続けることができるのだ。
フォトブック
フォトブックを作ったことがあるだろうか。フォトブックを作ると、時間の流れを切り取っても、残せるのはほんの一部であると気付かされる。何も残らないよりはましだが、残せる物のあまりの少なさに、茫然としてしまう。もしも、人の記憶もフォトブックと大して変わらないものだとしたら?
コップの花
シンプルな画面構成の中で、コップの花が生きる。なぜテーブルの上に花が?恐らくは限りある命の象徴なのだろう。
「何の期限なの?」1週間
非日常的なことが起こる時、それは何か、「バラエティ」的な様相を借りて起こる。そうでなければ、この冷たい現実世界には太刀打ちできないからだ。「ボクの妻と結婚してください。」では、主人公は放送作家であり、辛い現実を、バラエティ番組の構成で培った筆力で、なんとか、ましなものに変えようと奮戦する。「ライフ・イズ・ビューティフル」では、主人公は強制収容所のつらい現実に別の架空の現実を被せることで、息子を守ろうとする。
「見える」と「見る」の違い
見ようとしなければ見えない。
妻が見えている。
妻を見る。
この2つは全く違うのだ。
口数は少なくても、演技力で生まれる「場の力」
山本真由美は、決して劇中のセリフが少ないわけではないが、セリフ以外で表現している部分がかなり大きい。セリフを発していない時でも、表情と雰囲気が多くものを表現している。表情で語る演技力は見事というほかない。
特に多摩川で写真を取られている時のシーン。彼女はほとんど喋らないが、表情で多くのことを語っている。このシーンこそが手塚悟 監督と山本真由美の実力が感じられる部分であり、観る者の胸に刻み込まれる。
「責めるために時間もらったわけじゃないし」「なんも分かってない」
いずれも辻村咲のセリフ。この二つは切ないセリフだ。
責めたいことはあるのである。しかし、今はもうそういう段階ではない、ということなのだ。
取り返しがつかないのだということを、強く感じさせるセリフである。
「離婚式」
「離婚式」のシーンは、「少女終末旅行」(コミック、アニメ)の世界を思い起こさせる。「少女終末旅行」の世界では、全てがもう終わっている。全てが終わった後で、その余韻である。「離婚式」ではすべてが終わっていたが、三井晴之の世界も、実際はもう「終末」を迎えている。ただしである。「終末」を迎えることを防げなかったとしても、そんなに三井晴之という人間を責めないで欲しい。「責められるべきだが、そんなに責めないで欲しい」それが人間なのではないか。そんなメッセージも込められているのかも知れない。受け止め方は、観る人それぞれだが。
「どうしてこういうことになったのか」
「どうしてこういうことになったのか」は、辻村咲の口からは語られない。それは、観ている者が自分で考えるべきことだからだ。かといって、観る者を突き放すわけではない。作品中で、もう十分にヒントは与えられている。これだけヒントが与えられても考えられないとすれば、それこそが、観ている者が日常抱えている問題。すなわち「見えている」が「見ていない」という問題に直面することになる。
何度も観て、初めて気づく重要なセリフ
「どうしてこういうことになったのか」の答えは、実は、この作品の中で示されてる。ただ、初見では絶対に気付かない仕掛けた。ここが、実にうまいところであり、この作品を名作にしている部分である。
「遠藤さん、今やりましょう。
ね、後回しは癖になりますから。
気が付いた時には、いつの間にか、取り返しのつかないことになっているんです。
いや、そういうもんですから」
「いつの間にか、切れちゃってるものですよね。賞味期限」
そう。「どうしてこういうことになったのか」の答えは、「大事なことを後回しにして、取り返しのつかないことになったから」なのだ。もちろん、それによって、交通事故が起きたわけではないが。
「後回しにしたのは何か?」
ハリウッドの娯楽映画だったら、「後回しにしたのは何か?」を分かりやすく提示するかもしれない。「天使のくれた時間」(ニコラス・ケイジ主演)「もしも昨日が選べたら」(アダム・サンドラー主演)とか。でも、この作品はそこまで語りすぎない。
願わくば、一人でも多くの人が、結婚生活を始める前に、この映画を観ることができますように。
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