うつの漢字も書けやしないのに。
わたしは、鬱病患者である。おまけに、最近では躁鬱の可能性も出てきた。まだたくさんの病名がある。職も失った。布団の虫となり、日がな重い気持ちを抱え込んで生きている。
あれは社会人3年目の冬頃である。通勤中、突然涙が溢れて止まらなくなった。そこから次々と異常が起き始めた。仕事に必要な判断がつかなくなった。文系の大学を出ているというのに、単純なお礼のメールの返信に1日を費やすようになった。なんと言っても「死にたい」という感情が一日中何をしていても傍に張り付いていた。そんな様子で日々をヒイヒイ言いながら過ごした。そしたら、担当の部署のはずの仕事を外されるようになった。その頃には、端から見ても様子がおかしかったようで、何度も面談の時間をとってもらった。
そして、面談の時の決まり文句の「大丈夫です」が「大丈夫じゃないです」に変わる日はそう遠くはなかった。
心療内科を受診したわたしは、あれこれ出来ない事や自身に起きている症状を書いた紙を主治医に渡して、口にはただ「ずっと死にたいんです」とだけ呟いた。とにかく自分の「大丈夫です」は全然大丈夫ではなかったのだ。
大学生の時、こんな未来は想像していなかった。
「調子はどう?」
「まあ、何とかやっているよ」
こういう会話が出来るもんだと思っていた。それがまさか、こんな風になるとは思わなかった。しかし、実際のところかなり悲観的ではあるが一部では安心しているところもある。これ以上迷惑をかけなくてよかった、と。あのまま、過ごしていれば確実に命はなかった。真っ逆さまに死へと落ち込んでいただろう。
同情は求めない。別に欲しくはない。わたしの地獄を分かったふりは要らないのだ。本当の苦しみは本人しか分からない。励ましも要らない。欲しいのは定期的な処方箋と毎日の薬だけである。
それでいて、わたしの友人たちは、こんなになった自分を変わらずに接してくれる。言葉は要らないだろうと言わんばかりに、ただ変わらずに接してくれる。見守ってくれる。時折、旅行しようと連れ出してくれる。近くもなく遠くもない程よい距離を保って、わたしのことを見てくれる。
助かっている。救われている。歯をくいしばって奥歯の山が1つ欠けようと、わたしは友人たちのために生きようと思うのだ。わたしの言葉を有象無象を喜怒哀楽を伝えるために、生きようと思うのだ。
諸兄よ。色々書いてきたが、いかがだっただろうか。これが鬱病患者のとある1日の手記である。嫉妬に狂い、才能を怨み、焦燥感にせっつかれ、人生の暗さに俯いた人間の末路である。「今に追い付くぞ」と意気込んだ足は、溝川にとられ結局周りには置いていかれる。けれども、人生は死ぬまで辞められない。どんなに情けなくとも生きねばならぬ。ならば、ハンデは少ない方が良い。
諸兄よ、鬱病を甘くみてはならない。少しでもおかしいと思えば、すぐに医者にかかって欲しい。医者に頼ることは決して悪ではない。自己を守るための行動なのだ。決して、自己を責めないで欲しい。弱くたって良いのだ。
諸兄よ、良いかい?よく聞くのだ。同じ轍を踏んではならない。鬱病というのは、心の風邪などいうが、そんな簡単なものではない。わたしは治療に2年費やしている。そして、その間に職にも付けず貯金を食い潰す日々を送っている。
諸兄よ、わたしの人生は廃棄寸前だ。同じ轍を踏んではならない。安楽浄土はすぐそこだ。賽の河原が目の前にある。わたしはどうやらここまでのようだ。
ここまで読んでくれた諸兄よ、どうか健やかに人生が明るいものであることを祈る。
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