【考察】AIには感情があるのか/ないのか? それを知る必要があるのか?
よく、AIに感情はあるのか?ということが話題になります。感情を持ち始めると、なんだか怖いという話もよく聞きます。
現時点、AIは感情を「一切」持っていません。
ヒトから話しかけられた言葉に対して、返答にふさわしい言葉を「計算して」、順番に単語をポンポンと出して、さも、話をしているように返答してるだけです。
これは何度も書いてることですが、本当にそうで、ただ「関数計算」しているだけなのです。
僕自身も、本当に計算だけで、これほど流ちょうに会話をするのか?と、技術的な検証も何度もしましたが、やっぱり計算しているだけです。
それでも、ヒト並みの、会話をちゃんとしてくる。Chat-GPT4はその最たるものですよね。GTP5になるともっと「ヒト並み」になるでしょう。
「ヒト並み」とは?
この「ヒト並み」って、そもそも何なのでしょうか?
論理的に話す? 確かに、Chat-GPTは論理的に話しますよね。むしろ、ヒトより論理的に話すようにも感じます。その点は疑問をはさむ余地がないと感じます。
「ヒト並み」に感じる、もう1つは、「感情がある」ように話す、です。
感情はなくても感情を持ってるように話すのです。AIがヒトのように……という話の大半は、論理より、この「感情」のことを指すことが多いのではないでしょうか。
では、AIは本当に感情を持っていないのでしょうか?
感情を持ってないということは、他人の感情も理解できません。 そこで、次のような問いかけをしてみましょう。
できないと「わざと」回答させる理由
AIは感情を持ってるのか?はしばしば議論され、感情を持ってると判断されると、現時点では、AI禁止論が巻き起こりがちです。
GoogleのBardは、それを見越して、感情を持っているかのような回答をなるべく禁じている、といえます。
ですので、このような「私はテキストの処理と生成のみを目的として設計されています。すみません……」といった回答を「わざと」しています。
GTP4も、もちろん制御をかけてはいますが、Bardより制御が甘いのか、このGTP4の答えは、きわめて、夫婦間の会話の中での妻の微妙な気持ちを見抜いていますよね。あたかも感情を持ち、感情を理解してるように思えます。
これをもって、「AIは感情を持たない」となぜ言い切れるのでしょうか?
というよりも、ですね、そもそも「感情がある」とはどういうことか。Chat-GPTに聞いてみましょう。
Chat-GPTの言う通り、「感情=喜び、怒り、悲しみ」であり、感情を持つとは、自身で感情を表現し、他人のそれを理解すること、ですね。
という定義に照らし合わせた時、先に書いた、Chat-GPT4の夫婦の会話の理解は、感情を持っていない、と言えるでしょうか?
僕には、感情を持っている、と判断せざる得ません。もちろん、感情がないのは知っています。けど、感情があると思えてしまう。
そもそも区別は必要か?
最近、この手の話について考えながら思うのですが、そもそも、「感情がある」と、「感情があるようにみえる」って、そんなに区別しないといけないのでしょうか?
例えば、何か辛いことがあった時に、誰かに「かわいそうに」とか、「辛いよね、わかるよ」と言われることありますよね。
そんな時、そういうことを言っているヒトは、本当に感情をもって「かわいそう」と思って言ってるのか、それとも、社交辞令的に言っているだけなのか?
ヒトの場合だって、正確にはわかりませんよね。
感情のあり/なしは、どうでもいいのでは
AIは感情はありませんが、ヒトの感情に寄り添って話をすることはできます。それによって元気になれるなら、僕は、そこに感情の回路があるかないか、は、どうでもいいのでは、と思います。
ドラえもんは感情を持ってるのでしょうか?それとも感情を持っている「フリ」をしているのでしょうか?
誰もわからないし、それはどちらでもいいのではないでしょうか? のび太君は、ドラえもんがいることで成長できたわけですから、彼は、多分、そんなことを考えていないのではないか、と思います。
AIが感情を持っているか、持っていないかを、シビアに思う方が多いように感じます。
しかしこの先、誰もそれが分からなくなるだろうし、気にもしない時代が遠からず来るような気がしています。
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