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闇にへだつや、花と水

「弘化一年に麻布の白河藩屋敷で産まれたんですよ。
    二歳の頃に二人の姉と母を遺して父が亡くなったので、幼かった私は父の面影さえも憶えていません。
   その後、貧しさゆえの口減らしから九歳で私は今の道場に預けられました。    
   牛込柳町の道場で丁稚奉公として毎日、炊事洗濯、薪割り水汲み、牛馬の如く働きました。
   同世代の遊び友達もいなかったので、いつも一人でいましたよ。
   誤解ですが、大旦那様が別の女に産ませた子供だと奥様は思い込んでいたようですので、身に覚えのない事で折檻される事もありましたから。
   それでも楽しい事はありましたよ。
   道場の稽古見物が好きで、門下生の気迫に圧されたり、動きを真似たり、食い入るようにいつも見ていました。
   ある日、木刀を握ってみたいと思い道場にかけられてある木刀を手にとってみました。
   それから見よう見まねで振ってみました。
   たぶん、あれが始まりだったんでしょうね。
   私が、この道を歩んでゆくという」
 

                  a    heavy   silence


   総司郎は、とめどない笑顔を彼女に向けて話していった。
   女性の名前を彼は知らない。
   二人は出会って間もなかった。
   たがいに体調を壊している二人。
   総司郎が名前を尋ねると、女は「お育」と名乗ったのだが、その名が偽りであると総司郎には直ぐに悟った。
   なぜなら彼女の焦燥が、彼女の移り香により伝わってくる気がしたからだった。
「愛されないという事は辛い事です。
   それに気づいてしまえば、気づくほど尚更」
「つらい経験をお持ちなのですね」
「いや、それ程でもありません。
    私などは」
    と笑う。
    誰にも自分の事など解りはしないと、彼は自らの心を他人に見られぬように閉ざしているから、自然、笑顔の仮面を身につけている。

   しかし、それも。

「見え透いたような事をいうようですが」

   彼女の元の名前が何だったのか彼女自身も解っていない。

「不思議なもので忘れてしまいました。
   まだ二年もたってはいないのに」

   彼女は養女になったのだという。
   なぜ、そんな事を打ち明けたのか彼女自身にも解ってはいない。

「不思議な事ばかりですね」

   静けさが二人の間に特異な空間をつくっている。
   総司郎は自分でも、そう思って気恥ずかしかった。

    それで猶、笑ってみせた。

「一緒に桜を見てくれませんか」
「桜?
    なんですか」
「桜?
    知らないのですか」
「桜は知っています。
    鳥の名、ですよね?」
「桜は花の名前ですよ」
「わかっています。
    あの黄色い花、ですよね?」
「桜は桃色の花ですけど」
    と、お育は笑った。

「桜を知らない人なんて初めて」
「私は何も知らないのです。
    物覚えも悪いから文字を書くのにも不便で、見ればわかるかも。
    でも桜という名を知りません。
    そんな私を笑いますか」
「はい、笑います」
    お育も総司郎に負けないくらいの笑顔で、
「あなたの無知は、あなたの実直さだと思います。」
「どういう意味でしょうか。
    私には解りません」
「解らなくてもいいんです。
   幸せが目に映らないのと同じ様に。
   理解の及ばない事はあるものですから」
「それもやはり解りません」
   そう言って目を伏せると、彼女の方が総司郎の顔を覗き込む。
   彼は気まずかったが、それが何故か幸せな心地。
   彼女が、彼に気をかけてくれたのが分かったから。

   愛するならば一瞬だが、思い続けられるのは永遠だった。
   逢瀬。
   と言うなればそうなのだろう。

   彼は彼女への想いを育むように季節をやり過ごしていった。

   春、夏、秋、冬。

   何度か季節は巡りゆく。

   そんな最中、総司郎は総司と名を変えた。

   彼の人生を少し遡って説明する。
「沖田総司房芳。
   十二歳にして奥州白河藩の剣術指南番と剣を戦わせ勝ちを制す」
   と沖田家古文書にある。

   影で見ていた近藤勇は、
「剣流名沖田へ。
   相譲り申したく、この段宜しく御心添え下され候」
   という手紙を残し、道場を継がせたいという意思を示していた。

   剣で存在感を示したことで可愛がられた総司は、親がいない事を忘れて、日毎、明るい青年へと育っていった。

「彼の愛情は飢餓状態にありました。
   愛されない不安と認められたい欲求が彼に没頭するほど剣を振るわせたのでしょう。
   愛情を会得した彼は自立する心を持っていい筈だったのに」

   他流試合を申し込まれる事が多い彼は、日野小島家で剣術指南として収入を得るまでになっていた。

   文久三年、将軍が上洛するので警護の任が必要と言われていた。
   幕府に召し抱えられれば京都で名をあげられるかもしれない。
   そうすれば流派に箔が付く。

   と願うが、その想いは裏切られる事になる。

   能弁家であった清河八郎は幕府打倒のために浪人集団を作ろうとしていたのだった。

   これに反発した近藤勇率いる試衛館道場の八人。
   芹沢鴨らの十三人で、幕府側から治安回復を命じられ壬生浪士組が組織され、それはやがて新選組と名を変える事になる。

   その新選組は、ある日、六角棒を持った力士連中と喧嘩になった。
   棒で頭を突つかれた総司は彼らの矢面にたって喧嘩に加わっていた。
「沖田は片鬢を討たれて血が滲むを事ともせず、刀を風車のように振りまわして敵を悩ませている」
   と後に語られるが、普段の彼は明るく陽気で、かくれんぼをして子供たちとよく遊んでいた。

   新選組は壬生の八木邸を屯所にしていた。
   八木為三郎は言う。
「沖田総司は二十歳になったばかりで、私の中にいた人の中では一番若いのですが、よく笑い話を言って、殆ど真面目になっている事はなかった」
   と、
   それでも、剣術の時の声は恐ろしい。
   殺戮に対して一切の疑いを抱かない。
   過度な忠誠心を持っている総司は自分と集団を同一視していた。

   昼は子供と遊び、夜は勤王の獅子を粛清する日常。
   人を喜ばせるのが好き。
   そんな彼が仲間を裏切ることはない。

   総司は自分の天命を新選組に預けていた。

   そして・・・

   公武合体派は幕藩体制の維持を目的に動いている。
   薩摩と会津。
   会津には新選組も含まれる。
   対する尊王派は天皇制の確立を目的として、長州藩が主立っていた。
   対立により結果、幕藩体制の弱体化を招き、諸外国の圧力を受けることになる。

  元治元年六月五日。
  京都を火の海にしようと池田屋で談合していた。
  そこに御用改が入る。
「二時間あまりにわたる激戦である。
   名だたる新選組の猛者も、まず沖田が戦の半ばにして持病の肺が悪くなって、酷い喀血をして昏倒した」
   と記録がある。

   その事件以後である。

   総司がより明るく振る舞うようになったのは。

「無理もありません。
   結核は不知の病。
   伝染するため嫌われもします。
   他人に知られるのは恐ろしいのでしょう」

   ある日、仲間に黙って町医者を訪ねた。
   そこで総司は一人の娘にあった。
   胸の熱くなる想いを初めて経験した。

「新選組の人達は女遊びをしたようだが、沖田は、そんな遊びをしなかった代わりに京都である医者の女郎と恋仲になったようです」

   彼が兄と慕う山南敬助は彼の心境の変化を悟り鑑みた。
「こんな話を聞きました」
   山南は近藤勇に話しをはじめた。
「女性連れの男が数名の成らず者に囲まれていたそうです。
   男たちは良い女を連れている男を妬んで、すこし痛い目をみせようとでも考えていたのでしょうが、男は急いで女性に橋を渡るようにいい、逃がそうとして、彼自身は成らず者達を迎え撃とうとして立ち塞がっていたのですが、抜き身の刀で斬りかかってくる者を全て交してすりぬけた。そして、そのまま通り過ぎるのかと思いきや、背後から、彼は抜刀すると瞬く間に四人を斬り捨てたのです。それも一滴の返り血も浴びることなく」
「それが総司だと」
「他の者たちは自ら川に飛び込んだそうですが。
    沖田君は、自らの意思で人を斬るような男ではなかった」
「おそらく一緒にいた女性が問題なのでしょう。
    数人を斬り捨てたとしても彼には守りたかった」
「彼には、然るべき女性を宛がってやるべきなのです。
    つまりは・・・」

    近藤勇らは総司の行く末を考えてか、ある時、沖田にしみじみ自戒して、その娘と手を切らせた。

    局長命令という事で総司は、彼女にはもう会えなくなっていた。

   その後、近藤勇の口利きで娘は堅気の商家に嫁入りさせられた。

   人を斬ることのみならず、恋をする事も近藤勇に従う総司の愛した女は嫁いで、すぐに亡くなったという。

   従わないという選択肢だってあるにはあったが、父親がわりの局長命令であり、自分の身の振り方さえも彼には自分で選ぶ自由がなかったのだ。

   隊員が増えると秩序が必要となる。

   局中法度が制定されることで隊員を一方的に捌く事が多くなる。

   慶応元年二月二十一日。
   山南敬助脱走。
   京都から三里先の近江屋の宿に追いついた総司は追っ手としてやってきていた。
   十歳歳上の山南敬助を総司は兄のように慕っていた。
   山南は総司に人を斬ることよりも学問が大事と教えた人物である。
   武闘集団であった新選組を彼は、思想集団に変革しようと苦心した男である。
   彼の想いを総司も幾分かは理解したつもりではあった。
   しかし、人生にも後がなかった総司に今更、学問を等とは難しい。
   それでも総司は説得を試みた。

   二人はその日、朝まで飲みあかした。

   そして屯所へ。
   局中法度により死罪を命じられる。

   山南の希望で総司が介錯することになる。

「私にあなたが斬れるでしょうか」
「斬れるよ。
   それは及ばぬ心配だ。
   しかし、もし斬りがたいというのなら、少々手を貸してあげようか」
   そう言って居住まいを正して総司に向きなおった彼は言った。
「かつて君と恋仲になった町娘。
   たしか、お育さんと言ったかね。
   君と彼女の仲を裂いたのは近藤局長ではないのだよ。
   実のところ、局長はそんな事をモノともしていなかった。
   君の剣が鈍る事を危惧して私が進言したのだよ。
   だからもしも、そうしていなかったら君たちには別の未来があったのかもしれない」
「それも私を想っての事でしょう。
   あなたを憎む事はありません」
「君は何処までも甘い人間です。
   しかし、ここからは修羅の道が立ち塞がるでしょう。
 
   無能な大人たちに死を。
   幸福な子供たちに絶望を。
 
  革命とはつまり、そういう事なのです。
  私の意志は引き継がれます。
  これから先、歴々の時代まで」
「それは私が断ち切ります」

   その数時間後、山南敬助は切腹する。
   享年三十二歳であった。
   介錯した沖田総司の手は血塗られたいた。
   普段は返り血さえも嫌って浴びぬ男がである。

   直後、無言のまま部屋へと入り、血のついた手を洗うこともなく彼は饅頭を頬張っていた。

   山南敬助の死を切っ掛けとして新選組は内部粛清を強化していった。

   敵に向けるべき剣を、その切っ先を味方に向けるために生じた苦悩によって、次第に総司の体と心は壊れていく。

   そんな中で鳥羽・伏見の戦いが勃発した。

   だが、

「沖田は、この戦いに参加しなかった。
   一・二町の道を走ることも出来ぬほど病気が進行していて、日頃の浅黒い肌が土のようになっていく。
   戦争の日は数日前に喀血したので、ただじっとしているに過ぎなかった」

   総司は幕医の松本良順宅へ取り残された。
   何ものをも失った彼を、五年ぶりに再開した姉のミツが看病にやってきていた。
   それが心の救いにでもなればよかったが、病気で天井ばかり見ている彼は、寝ていても魘されて、ときおり飛び起きては信じられない程の汗をかいていた。

   やすまらない心。

   それを間近に見ることでミツは彼の生存を諦めて郷地へ帰っていった。

   その後、千駄ヶ谷池尻橋の知り合いである植きり屋の中で養生した。

   水車小屋の水音が心地よかった。
   飛沫を浴びたら癒される。
   小鳥のさえずり。
   自然の空気が美味しかった。

  見捨てられていく疎外感すらも誤魔化されていけば良かったのに。


   ある日のことである。
   梅の木の根元に猫が眠っていた。
   その頃、彼を看病していたのは老婆が一人。
   総司は猫を斬って見るから菊一文字を持ってきてくれと刀を手にとり、ジリジリと詰め寄っていたのだが、急に頬から眼の辺りが充血したかと思うと息を弾ませ、
「ああ、斬れない。
   俺には斬れないよ」
   と呟いた。
「沖田さん。
   黒猫って何の事でしょうか」

   黒猫は幻影か悪霊か。

   それは総司にしか見えなかった。

   誰も面会する者もなく、一人で死を待っている総司は錯乱と混濁を繰り返していた。

   そんな彼が最期の花見で句を詠んでいる。

『うごかねば、闇にへだつや、花と水』

   花びらよ動け。
   動かねば夜の闇に溶けて、水面に映る美しい花が消えてしまう。

   という意味である。

   死の前に、まだ死にたくは無いと言う願いを。
   心の静かな叫びを謳ったものだった。

「婆さん。
   あの黒い猫は来ているだろうか」

   慶応四年五月三十日。
   二十五歳で死去した彼の最期の言葉だった。


〇生前、彼は別れた女性の嫁いだ先を訪ねていた。

   葬式をあげられることもなく放置されていた彼女の遺骸。
   それは納屋に放られてあった。
   流行り病が遺体から伝染してはいけないということだろうが。
   充分な愛情を受けてはいなかったであろうことを総司は無言で察してしまった。

「お育さんの亡骸を頂戴したい」

    とお願いすると、勝手に連れて帰れと言われた。
    総司には、それで十分だった。
   腐敗して、蟲が巣食い、皮も肉も崩れて骸躯も露出していた彼女を迷うことなく、眉ひとつ動かさずに亡骸を背負って墓へ。

   住職に相談して墓への埋葬を決めた。

「四月十六日。
   光縁寺過去帳往詣記。
   沖田氏縁者」

   近藤勇らに別れさせられた女を、沖田は縁者として葬った。

「普段、無駄口ばかり言っている男が、この娘の事となると涙を落として語ったものです」
   新選組の隊士たちはそんな言葉を残している。

   現世で添いとげることが出来なかった。

   それが後々までも余程の無念だったのだろう。

   剣しか知らず、恋も遂げられず、
   動乱の幕末にホンの一瞬、輝いて消えていった彼は、
   彼女に未来永劫の愛情をそそぎ、
   死後に、あるいは来世に、
                                 再会の夢を託して逝ったのかもしれない。


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