profession painter ~彼の向日葵~
ひとは、どれだけ挫折を繰り返せば死を選択するのだろうか。
その答えを教えてくれた彼は、もういない。
無数の見えない傷を魂に刻んだ彼は、耐えきれない痛みに何度も自分自身を抱きしめるように胸を掻きむしりながら蹲っていた。
そうやって、彼は魂に死をうえつけていったのだろう。
彼と知り合ったのは彼が天職を見つけた後の事だ。
だけど、彼は幾つもの記録を残している。
それで彼の人生を語る事が出来る。
そう、彼の話だ。
profession painter
子供の頃から寄宿舎で絵画の基礎を学んだ彼は、十七歳で美術商の見習いになった。
そして、その三年後、彼の弟も同じ職業を選択していた。
彼は弟に手紙を書いた。
「親愛なるテオ。
ぼくたち二人が同じ職業についていることは喜ばしい事だ。
これからも頻繁に手紙の交換をしよう。
じつは一つ、提案があるんだ。
二人の間に隠し事はしないよう約束してくれないか。
お互いを信頼し、お互いを支えるようにしよう。
これからの人生で、二人の絆がさらに深まりますように」
美術商の仕事をはじめて四年目、ロンドンに転勤した彼は、そこで版画というものを知り、忽ち虜になってしまった。
イギリスの画家は、とても熱心だ。
彼らこそ画家の原点といえるだろう。
貧しい労働者をテーマにした版画は私の生き方や人生に影響を与えてくれる。
この街には多くの労働者がいる。
そして、彼らは神を心から信じる敬虔なクリスチャンだ。
教会では牧師が聖書の教えを伝え、彼の話を聞いている。
彼の父親も牧師だった。
彼は父親の影響もあって、牧師に対して憧れをもっていた。
自分も牧師になろうと聖書を学ぶことに夢中になりすぎて仕事が疎かになってしまい、ついには職を失ってしまった。
それを切っ掛けに彼は益々、牧師を目指すようになっていった。
ロンドンの日曜学校で彼は勉強を教えるようになる。
「私は今、学校の中にいる。
窓から見える光景を絵に描いてみた。
テオ、きいてくれ。
この前の日曜日、はじめて教会で話をしたんだ。
みんなの前に立った時、まるで暗い地下から陽のあたる場所に抜けだせたような気持ちになった。
あれは、ほんとうに、すばらしい体験だったんだ」
本格的に牧師を目指すためにオランダに帰ったものの、一年で勉強につまづいて挫折した彼は、キリスト教の教えを伝える伝道師になるしか道がないと考えた。
そして、ベルギーの炭鉱に派遣される事になる。
そこでは籠のような物に乗って、作業する場所まで降りていく。
そこで働く人々は、それに慣れているようだったが、彼は籠で降りていく事が怖かった。
炭鉱で働く人々の厳しい労働環境に心を痛め、怪我人や病人の世話を献身的に行ったが、半年経っても伝道師にはなれず、志なかばに彼は諦める事になる。
「ひとはよく、こんなことを言う。
あれが切っ掛けで人生がおかしくなったとか、あの時から下り坂になったとか・・・
まさに、そんな感じだ」
挫折を味わった彼に、新たな道を示したのは弟のテオだった。
テオは兄に画家になるように薦めたのだ。
「これからは生まれ変わろう。
私は何をやっても続かなかった。
しかし、これからは、どんなに辛くとも逃げたりはしない。
この世に生まれ、これまで生きてこれた事に感謝し、絵画という形で残さなければ・・・
それが私の義務であり、責任なんだ」
美術商を辞めてから四年が経過していた。
彼は弟に手紙を書きつづけた。
天職を見つけ、彼がどれほど作品制作に没頭していたのかが分かる内容だった。
「デッサンは、すべての基礎となるものだ。
ジャン・フランソワ・ミレーの様な巨匠から人物画のデッサンを学ぶんだ。
ミレーはこう言っている。
芸術に身も心も捧げよと。
私はミレーの『種まく人』を五回も模写している。
作品に愛をこめる事ができれば、きっと人々にも気に入ってもらえると思うんだ」
彼は実家に戻っていた。
両親の住んでいる家だ。
そこで未亡人に出会う。
彼女は従姉妹の女性だ。
「恋におちた瞬間から私には解っていた。
すべてを投げだし、身も心も完全に捧げなければチャンスはない」
と、
彼は、彼女を愛してしまった。
しかし、それは単なる彼の片想いであり、彼女には毛嫌いされていた。
家族にも会わないように言われていたが、彼は手紙を送りつづけた。
「我慢できずに彼女に会いに行ったが、叔父に執拗いと怒鳴りつけられた。
私はランプの火に手をかざし、この火に耐えられる時間だけでいいので会わせてほしいと頼んだ、結局、会う事は叶わなかった」
彼の恋は父親の怒りをかって、一族の恥だ出ていけと言われて頭にきた彼は、父さんの信じるキリスト教だって、くだらないじゃないか、私はもう、キリスト教には関わらないと家を飛びだして、弟のテオを頼った。
「もう、おまえしか頼りがいない。
おまえの負担にならない程度で金を送ってくれ。
そのかわり、私は作品を送るよ。
そうすれば、絵を描いて稼いだと思えるんだ」
と、
テオは、
「兄さんの絵が売れるまで、できる限りの援助はしよう。
だが、父さんに酷いことを言ったのは許せない。
頼むから父さんと仲直りしてくれ」
と返信していた。
その後、オランダ南西部のバーグで彼は小さなアトリエを構えていた。
近代的な街並みの風景画を描きつづけていたある日、彼は妊娠している女性にあった。
お腹の中にいる父親に捨てられた女性だ。
冬の街を彷徨い食べ物を手に入れようとしていた。
彼は彼女にモデルを頼み、一緒に暮らす事にした。
シーンという年上の女性娼婦。
彼はシーンに部屋と食べ物を与えた。
そうすることで彼女とお腹の子供を飢えや寒さから守っている気になっていた。
彼女は痩せていて、顔色も悪いが、彼にとっては美しかった。
シーンをモデルに悲しみというタイトルでデッサンを描いた。
彼は自分の作品によって、人々を感動させたかった。
これは、そんな絵が描けるための第一歩だと思っていた。
「砂地に生えた木をデッサンしたんだ。
風景画も人物画のように感情をこめて描きたいと思っている。
このような木々にも表情があり、魂があるんだ」
シーンとの関係は従姉妹に恋した時以上に家族の怒りをかった。
テオも腹をたててしまい資金援助を辞めてしまった。
結果、彼女を養う事ができなくなってしまった。
「君には私が必要なんだ。
別れるなんて、できる筈がない」
「できるわ。
あたしに必要なのは、お金であって貴方じゃない。
一枚も絵を売った事がない癖に。
貴方、それで本当に画家のつもりなの」
喪失。
二人の生活は終わりを告げた。
それでも、彼は彼女の事を忘れられなくなっていた。
都会を離れて田舎に行こうと彼は決めた。
そこは農村地帯だった。
「ここは最高の場所だ。
しあわせな人生は自然と触れあいながら暮らす事だ。
私は今、夕暮れの光の中で草を焼く人を描いている。
このまえは小さな小屋を見つけたんだ。
自然に囲まれて美しかった」
しかし、美しいだけの風景では癒せない部分が心にはある。
彼は、ずっと寂しかったのだ。
「人は一人では生きられない。
孤独には耐えられない。
人間にとって、もっとも必要なものは、やはり家族なんだ」
彼の父親は、今更どの面さげてとは思いつつも、彼を家に置いてやり絵を描かせることにした。彼は自分が住む部屋を改装してほしいと言ったが、寒さを凌げれば充分に住める筈だといい返されていた。
そんな事もあり彼はずっと不服だった。
「家族は私を渋々ながら家にいれたのだ。
まるで野良犬を仕方なく家に入れるかのように。
家には入れてやるが家族の邪魔をしたり、うるさく吠えたりするなと言いたげだ。
動物と同じ扱いで、人間としては見てもくれないんだ」
この時期、彼は色彩をとりいれはじめた。
「今は人の顔を描いているんだ。
まだ練習の段階だが三十枚は描いた。
これは農家の人々の絵だ。
じゃがいもをたべる人々だ。
彼らは小さな灯りの下で、じゃがいもを食べている。
テーブルの上の皿に手を伸ばしたその手は大地を耕した手だ。
自らの手で育てた作物を食べる。
彼らは自分たちの力で食べ物を手にしたんだ」
友人のラッパルト。
彼は、その絵を非難して言った。
「友よ。
君ならもっと上手くかける筈だ。
まず、うしろの女性の手が不自然だ。
それにコーヒーポットを手に持つこの人物は取っ手をしっかり握っていない。
とすると、このポットはどうなっているんだ。
宙を浮いているのか。
それから手前にいるこの男性には膝がない。
腕も短すぎる。
おまけに鼻も変だ。
もっと実物に忠実に描くべきだ。
そう思わないか」
と、ラッパルト。
彼にはもっと言いたいことがあった。
「君の父上がなくなったと聞き、私は君からの連絡を待っていたが来なかった
いったいなぜ君は・・・」
それからは彼を責めた言葉の羅列。
実は彼、父親の死にショックをうけて聖書を描いた。
ページが白っぽく見える聖書の絵。
表は皮で、背景は黒。
それを一日で描きあげた。
父親との関係は良くなかった。
それでも、父親を亡くして落胆した彼は芸術の都、パリを目指した。
テオと一緒に暮らしはじめた。
パリが醸す芸術の雰囲気に浸りながら新しい作品をうみだそうとした。
「久しぶりに兄さんに会ったが、以前とは随分、変わったような気がするが、私たちは仲良く暮らしている」
もちろん、それは彼の一面にすぎないのだが。
「今の課題は良い肖像画を書くこと。
肖像画を描くために注目したのが自分と同じオランダ出身の画家レンブラント・ファン・レイン。
彼は自分を皺だらけで歯の抜けた一人の老人として描いている。
最初は鏡をみて自分の顔をスケッチする。
次は、しばらく目を閉じて、目を閉じて自分の顔を思い浮かべて記憶だけで自画像を描いていくんだ。
なんだか悲しくなる。
私もいつかは、このような老人になる運命なのだから。
最初は暗い茶色の絵の具で自画像を描きはじめた。
しかし、筆づかいや色彩は次第に変化していく。
当時、流行っていた絵画に影響をうけ華やかに、カラフルになっていった。
一人の画家でも様々なパターンの肖像画が描けるということを示したい。
それだけではなく、これまでになかった色彩の使い手になりたいんだ」
彼の絵は一枚も売れてはいないが、作品を交換することはある。
彼は有名な画家のアトリエを訪ねて、皆と仲良くしていた。
しかし、人付き合いが苦手な彼は、画家仲間の交流にはあまり熱心ではなかった。
彼と同じ社交的ではない画家に私がいた。
この頃、私たちは共に日本の浮世絵に嵌っていた。
日本の浮世絵はカラフルで明るい。
本当に素晴らしい。
私は数えきれないほど、たくさん集めてしまったよ。
狂うようにコピーをして、アレンジをするようになった。
今では自分の作品に取り入れるくらいで。
ダンギーじいさんなんて絵画も描いたんだが、最近では浴びるほど酒をのむようになったせいか信頼を失っていくのがわかるんだ。
「まるで兄さんの中に二人の違った人格がいるようだ。
一人は才能豊かで優しいが、一人は身勝手で冷たい人間だ。
これまで兄さんのことを親友のように思っていたが、今は違う」
テオとの間に口喧嘩がたえなくなって嫌気がしだした。
それでフランス南部のアルルへと出て行ったんだ。
「私はアルルへ向かう列車の窓から見えるその美しい風景に息をのんだ。
それは日本の浮世絵にも負けない美しいものだった。
太陽はギラギラと輝き、夕陽は野山をオレンジ色に染めている。
なんて魅力的なんだろう」
アルルに着くと一軒家を借りて、すぐに 作品にとりかかる。
色彩が色鮮やかになっていくのがわかる。
私は三十五歳になってアルルに来たが、できれば二十五歳で此処に来ていたかった。
十年前の私は暗い絵ばかり描いていたからだ。
もう浮世絵は必要ないだろう。
なぜなら、此処には同じくらい美しい風景が広がっているからだ。
今年は、この土地で大いに作品づくりに励みたいと思う。
とはいえ、一人でいる事は寂しくて、しばらくすると孤独を感じるようになった。
今日も誰とも口を聞かぬまま。
何日も過ぎていく。
誰かと話すのはレストランで食事を頼むときくらいだ。
私には、こんなふうに独りぼっちで過ごすのが、とても不安だ。
そんな彼から手紙を受け取った。
「我が友、ゴーギャンへ。
アルルに家を借りた。
もし君が南フランスの絵を描きたいなら、そして私同様、作品づくりに没頭したいのなら、まさに此処はうってつけの場所だ。
もし良ければ一緒に製作にはげまないか。
私の弟に毎月、一枚の絵を渡す。
それが家賃の代わりでいい」
彼は私との同居を願ってアトリエを飾った。
大輪の向日葵で。
「これは 私の寝室を描いたものだ。
最終的にはステンドグラスのような色をつけたいと思っている。
なかなか面白い作業になりそうだ」
彼がアルルに来て八か月が経過した頃に、私もアルルを訪れた。
アルルに着いて数日後、二人で古代ローマ時代の墓地に出かけた。
二人で、同じテーマで作品を描くためだ。
彼は景色を見ながら。
私は記憶を頼りに時間をかけて作品を完成させている間に、彼は二枚の別の絵を仕上げていた。
「君は自分でも気づかない内に、やり方を少し変えるべきだと教えてくれた。
私も記憶を頼りに作品を描く事にした。これまでの作品を題材に思いだしながらね」
しかし、記憶だけのやり方は彼には合わなかった。
すぐに元の手法に戻っていた。
そして、彼は少しずつ酒の量を増していったせいか、行動がどんどん、おかしくなっていった。
私と彼は目をあわせなくなった。
とくに絵を描いている最中はだ。
彼は私の絵を気に入っている癖に描いている最中、あれこれ文句を言ってくる。
このまま一緒に暮らしていれば、いつかトラブルが起きるだろう。
そう思っていると予感は的中した。
数日後、口論になったんだ。
我慢ができず、私は家を飛び出した。
一人になって頭を冷やしたかったのだが、背後から聞き慣れた足音がしていたので振り向くと、彼が私に向かって走っている所だった。
彼はカミソリを手に持っていた。
そして・・・
彼は自分の耳の一部を切り落としたんだ。
「私だって好きでやったわけではない。
でも、一度こうなってしまうと仕方がないんだ」
そんな事を言っていた彼は五ヶ月間、入院した。
入院中に自画像を描いた。
退院後も不安定な自分を自覚して、弟にまた入院したいと訴えた。
「院長先生。
兄の入院を認めてください。
入院中、絵を描きたいと言えば自由に描かせてあげてください。
また食事のとき、ワインを少しつけてあげてくれれば嬉しいです」
彼の弟の計らいもあり再入院は認められた。
「ここの医者たちは私が耳を切り落としたのは発作のせいだと思っている。
あれは発作なのだろうか。
奇妙なことに、あれから私の心ではすっかり希望が消えてしまった。
私は心から病んでいる事を認めようと思う。
心の病いを自覚してからは何週間も作品づくりに取組む事が出来なくなった。
しかし、次第に絵に対する情熱があふれ、再び筆を取ることもあるんだ。
弟よ。
キャンパスや絵の具、煙草やチョコレートを送ってくれてありがとう。
本当に嬉しかった。
描きたくて仕方なかったから。
ここ数日は近所に絵を描きに出かけている。
此処は太陽も、雲も、素晴らしく美しい。
これなら筆が、どんどん進む。
私の筆づかいはまるでバイオリンを弾く指のようだ。
ただ体調を崩しているので、作業が捗らなくなってきた」
「最近の兄さんの作品は、これまでになかった色が使われて、とても素晴らしいものになっている。
兄さんは素晴らしい想像力の持ち主だ。
でも、これらの作品を見ていると兄さんが追い詰められているのではないかと心配になるんだ。
なぜなら兄さんが自分をギリギリまで追い込んで作品を作り出しているように感じるからだ」
「新しい絵を送るよ。
星空の絵だ。
これは実際に夜、描いたものだ。
大地は藤色だ。
街は青と紫で、手前には恋人たちを小さく描いたんだ。
私は精神的に追いつめられているのかもしれないが、自分ではどうする事も出来ないんだ」
入院して一年間が経過した。
「私には此処の人達を非難する資格はないが、此処での生活はお世辞にも快適とは言えない。
だから本当に此処を出たいんだ。
半年ほど前にも此処を出たいと言っただろう。
医者がいるのに発作が起きたんだ。
作品づくりの途中だったから死を選択することはなかったが、そうでなければ、この世を去っていた事だろう。
弟よ。
二週間。
いや、出来れば一週間以内に私を退院させてくれないか」
彼は入院中、ほとんど安定してる状態だったが何度か発作を起こした。
そして一度発作を起こすと、しばらくの間、その状態が続いてしまうのだ。
彼は何度も自殺を謀っった。
絵の具を飲み込んだり、ランプの燃料につかう灯油を飲み込んだりしたんだが、一ヶ月ほどすると情熱的に絵を描きはじめたんだ。
彼はポール・ガシェという精神科医の診察を受けるためフランス北部へと旅立った。
彼はそこで知り合いの家の屋根裏部屋を借りたんだ。
「ここに来て、だいぶ気が紛れたよ。
このまえガシェ医師の肖像画を描いたんだ。
彼の顔ときたら、まるで太陽でジリジリと焼かれたレンガのようだ。
赤い髪、白い帽子、青い背景。
彼はとても神経質な人だ。
でも、私の自画像に似ている。
彼は私の助けになってくれるだろうか。
医師は話を聞いてくれるが私の孤独はなくならない。
病気になってからというもの私はずっと孤独を感じているんだ。
いっその事、死んでしまおうかと思うこともあるが、そんな恐ろしい考えはすぐに打ち消している。
絵を描いている時だけが生きていることを実感できるんだ。
私は負け犬だ。
それは私が受け入れるべき運命だ。
それは変わらない。
弟よ。
私はお金の事で、お前をずっと困らせているのではないかと気にしていたんだよ。
伝えたい事は沢山あるんだが、すべての望みが絶たれた今、その事を書いても意味がないように思えるんだ。
せめて今手がけている作品について話そう。
晴れた空の下の小麦畑を描いた素晴らしい絵だ。
私はこの絵で、悲しみと孤独感を表現したいと思っている。
体にはくれぐれも気をつけて。
お前を愛する兄より」
その手紙を書いた四日後、彼はピストルの銃口を自らの心臓に向けてトリガーを引いたが、狙いがそれて、すぐに生命を落とすことは出来なかった。
自力で屋根裏部屋に戻ると、その二日後、絶命した。
三十七歳だった。
彼はもう楽になりたいと言い永遠に旅立ってしまったのだ。
皮肉なことに人々は彼がいなくなった今になって彼の才能を讃えている。
半年後、彼の弟のテオも後を追うように三十三歳で亡くなった。
二人の兄弟の亡骸は同じ墓地に並んで葬られている。
生涯、一枚の絵画も売れる事はなかったが、感情の率直な表現と大胆な色使いで知られたポスト印象派を代表する画家であるヴィンセント・ヴァン・ゴッホ。
彼の事を私は忘れないだろう。
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