プレゼンテーション1-1

神のごとき ミケランジェロ Part1

 こんにちは。Naokiです。
 今回はルネサンスの巨匠、ミケランジェロについてまとめます。前回はレオナルド・ダ・ヴィンチについてまとめましたが、今回まとめるミケランジェロはレオナルドとは犬猿の仲でした。レオナルドは、絵画は音楽、彫刻、建築すべての芸術の中で一番の芸術だと言ったのに対し、本職が彫刻家・建築家のミケラジェロは、レオナルドの絵を見て「あんな絵は専門外の私でさえ書ける」という言葉を残しています。またミケランジェロは「絵画は彫刻のように描かなければならない」とも言っています。

 この写真の絵。ミケランジェロが数少ない絵画のひとつです。描かれているのは、イエスと母マリアと父ヨセフが描かれる「聖家族」という作品です。正面に描かれるのが母マリアですが、女性に見えないほどの筋肉モリモリ加減。まるで彫刻のように見えませんか?

 ミケランジェロとはどういう人物だったのか。またどんな作品をどんな思いで作成したのか。迫ります。

若き日の境遇はレオナルドと同じ

 ミケランジェロは、貴族ブナオローティ家の男の子として生まれました。しかし母親の具合がかなり悪かったので、親戚の家に預けられました。そして間も無く6歳の時に病死してしまいます。この時預けられた家は、古くから石工職人の家系でした。小さい頃から、石に触れる機会が多かったミケランジェロが、のちの彼の仕事に大きな影響を与えたのです。また早くから母親を亡くしたことで、精神的に早い時期から大人にならなければならなかったのです。早い時期から活躍して裕福になれなければという意識があったのです。
 ミケランジェロの父は公務員でした。中世のイタリアでは、子は父の職を継ぐのが常識でした。父は当たり前のように、自分の職を継ぐだろうと考え、公務員に必須なラテン語教室に通わせたりさせました。しかし、幼少期から石に触れてきたミケランジェロは公務員ではなく、芸術家になりたいと思っていました。ある日父にカミングアウトすると、
「貴族の子供が、頭ではなく手を使う仕事をするなんて、なんて恥さらしだ!」 
 怒りましたが、ミケランジェロの意思は硬く、芸術家への道へと進みました。今では立派な仕事ですが、当時芸術家を含め、職人は格好悪い仕事として見られていたのです。

下書きはいらない

 ミケランジェロは芸術家が集うフィレンツェの工房に入り、修行に励みました。当時フィレンツェは、メディチ家という権力者によって統治されていました。ミケランジェロの作品を見た当時のトップであるロレンツォが、
「ぜひ我が家にきて、芸術コレクションを見て、勉強したら?」
 と招きました。ここには、古代ギリシャや古代ローマ時代の彫刻に触れることで、自分の実力をどんどんあげていきました。


 やがてキリスト教カトリックの聖地、バチカンからお呼びがかかり、フィレンツェを離れ、ローマへと向かいました。そこで代表作ピエタを作成します。ピエタとは、磔刑に処され、十字架から降ろされたイエスを抱きかかえる母親マリアを表現しています。当時はルネサンス真っ只中。通常はそれなりに年をとった様子で描かれることが多かったにも関わらず、ミケランジェロは少女のような少女として表現しているのが、ルネサンスらしい作品です。

 この作品には面白いエピソードがあります。このピエタはバチカンのサン・ピエトロ大聖堂に置かれました。1年かけて完成させたピエタの評判が気になり、ミケランジェロはこっそり礼拝者のふりをして様子を見に行きました。するとピエタの周りには人だかりが。にやにやしながら自分の作品に近くと、周囲の人は、
「この作品はゴッホが作ったんだって!やっぱりすごいよな!」
と言っているのを耳にします。ゴッホとは当時ミラノで活躍していた、ミケランジェロの大敵の彫刻家です。自分のライバルの作品だと思われたことに怒り心頭になったミケランジェロは、(冗談じゃない。。。)と思い、深夜こっそり聖堂に侵入し、像に、
(フィレンツェ人ミケランジェロ・ブオナローティが作る)
 と彫りました。彼の唯一のサインがこうして刻まれました。

帯のところに刻まれているのが、ミケランジェロのサインです。
通常、彫像は見本となる石膏像を作ってから彫り始めますが、ミケランジェロは下絵も見本もなしに、ただの一枚岩を目の前にして彫り始めたのです。ミケランジェロ曰く、「岩の中の人が早く石の中から解放してくれと叫んでいるから、それを救うだけだ」とのことです。まさに天才でした。

気まぐれな教皇に翻弄

 当時のローマ教皇、カトリック界のトップがユリウス2世でした。彼は、わがままで気まぐれ。そんな彼にミケラジェロは翻弄されることになります。
 ピエタを見た教皇は、自らのお墓を作ってくれとミケランジェロに依頼をします。「喜んで!」と犬の尻尾を振りながら仕事にはげみました。しかし突然完成間近になって、教皇が
「制作にかかった費用は支払わないから、あともう私に近くな」
とミケランジェロに手紙を送ります。ミケランジェロは、
「ありえない!それならもうフィレンツェに帰る」
と仕事を放棄してフィレンツェに帰りました。すると教皇は
「ローマに戻ってこないとふるさとフィレンツェに戦争を仕掛けるぞ」
とミケランジェロを脅し、これに恐怖を感じたミケラジェロはトボトボとローマに戻りました。仕事を放棄した罰として、教皇はミケランジェロにある仕事をさせます。それは、システィーナ礼拝堂の天井画の作成でした。
これにはある陰謀論があります。ミケランジェロの宿敵のブラマンテという芸術家が、
(ミケランジェロばかりに仕事がいって、自分には。。。悔しい)
とミケランジェロを憎み始めます。ミケランジェロに失敗させるために、
(教皇が生きているのに、喜んでお墓を作るなんて縁起が悪いですよ)
とそそのかしました。それもそうだな、と教皇は思い、経費を払わないと決めたのです。ブラマンテは、こう予測しました。
 経費を払わないと言ったらミケランジェロは怒って仕事をほったらかしてフィレンツェに帰るだろう。ミケランジェロに専門外とする絵画の制作を強制する罰を与え、盛大に失敗させて、もう仕事をなくしてやろうと。。。
ブラマンテ、すごすぎませんか!?
慣れない天井画の作成に四苦八苦のミケランジェロ。父親にこんな手紙を送ったといわれています。
”首が痛い、腕もしびれる、うなじは肩に食い込む、腰は腹にめり込んでいるようです”
 天井画なので、つねに上を見ながら描き、インクが顔に垂れたりと天井画の作成は非常に難しいのです。しかし、ミケランジェロはやっぱり天才でした。ミケランジェロの芸術魂でライバル、ブラマンテをみ見返した瞬間でした。

理想を追求し、ルネサンスをさらに発展させる

 ミケランジェロは、幼少期をメディチ家という権力者のもとで生活したことで、幼い頃から一流の作品に触れることができました。そのことで、若い時から実力をメキメキとあげることができました。その反面、権力者からの命令には従わなければならないという束縛の中、仕上げなければなりませんでした。先述のユリウス2世のエピソードもそのうちの一つです。
 そんな環境下の中でも、自分の理想を追求していったミケランジェロはルネサンスをさらに発展させていきました。次回はミケランジェロの代表作とともに、彼の理想とは何だったのかをまとめます。ありがとうございました。

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