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育てるという行為は聞くではなく、聴く。

どうしてこんなことをするの?
どうしてこれくらいのことができないの?
うちのお子が小さい時に思っていました。
子供に手がかかったり、よそのお子さんとの関係などなど悩み事は山ほどあって、それが元で虚弱傾向だった私の身体には負担がきてしまって、人生で最悪の体調の悪さを何年も経験しました。

器の小さい私ですが、体調も何もかもが落ち着いた今となっては、「どうして?」には二種類あって、
責める気持ちの「どうして?」(なんでやねん!)と
理由や対策を考えるための「どうして?」(なんでやろうか?)があるのだと。
そして、二つ目のどうして?の視点は、発達さんとか定型さんとか関係なく、そして、対子供も対大人も関係なく必要だと思うのです。
定型さんの子育てはそこまで悩むケースが少ないかもしれませんが、夫の部下の若い子たちの話を聞いていると、大人であっても「なんでこういうことになってしまったのかな?」と聴く(聞くじゃなくて、聴く)姿勢が大切なのだと感じます。

総じて育てるという行為は聞くではなく、聴く。
これを思うと、育てることは対話だったのだと、もう子育てが終わりに近づいている私ですが、今頃になって実感します。

相手の言葉や内面、行動からも聴き取る。
責める視点からは、相手から聴き取ろうという意図は見えません。
聴いて対策を打つから、責めることも減る。
責めたくないからこそ、聴く。

言うは易く行うは難し、(←ホント、これな!)
なのでまずは親の身体をしっかり整えてから!
何をするにしても、身体が整っているとイージーモードです。
あなた自身を一番大事に。。。


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