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がんの「トンデモ治療」について思うこと

こんにちは。

最近雨が降ることも多くめっきり寒くなりましたね。夏の暑さが長く続いたこともあり一年の中で一番かわいい秋服が今年も暇をもてあますことになりそうです。残念の極み。

今回は表題の「がんのトンデモ治療について」思うことをだらだら書いていきます。


最近、お医者さんがクエン酸を飲んだりビタミンCを摂取したりしてがんを消すという治療法を信じている方がいることを「義務教育の失敗とは思いたくないが…」とおっしゃられているのを目にしました。

率直に違和感がありました。

義務教育どうこうではなく、正直なところ患者さんにしろ家族にしろ治療法を探すというのは藁にもすがる思いで行動を起こしていることが前提にあります。標準治療をしながら追加の方法を探す、抗がん剤がないから緩和だと言われたので探している、抗がん剤で苦しむ他のかたの姿を見たから他の方法を探している…理由は様々だろうと思われますが、同じなのは「必死」だということです。必死さが上回るあまり冷静さを欠いてしまう、その気持ちが私には痛いほどにわかります。

お医者さんに声を大にしてお願い申しあげたいのは、頭からバカだと否定するのではなく何故そう思うに至ったの?という経緯を聞いていただけないでしょうかということです。とはいえお医者さんも皆さんお忙しいのは当然、ゆえに早い段階から心の緩和も念頭に入れた「緩和ケア」が偏見なく広まるといいな、と思う次第です。

私もトンデモ治療については許容不可の立場であり、それを弱みに漬け込んで広めて金儲けしようとする一部自称専門家たちには歯軋りするばかりですが、情弱人間なもので一時期沼にはまってしまっていたことがあります。

私の母は「子宮平滑筋肉腫」という希少がんでした。嬉しくもなんともない希少ですよね。肉腫大嫌いです。

そんな母は七年、手術と抗がん剤を続けてきましたがついに効果のある薬がなくなり手術も難しいとなった時期に、私の目にある治療法が入ってきました。

「首から下のすげ替え手術」


そのままなのですが、首の下から足の先までを私と母とで交換するという手術です。なんと中国で成功したとの情報が。そんなわけあるかいと今なら思うこともできます。ただ当時は母とあとどれだけ一緒にいられるのか、一睡でもしてしまうと母がもういなくなってしまうのではないかという恐怖から眠れず病室に泊まり込み一晩中母の寝顔ばかり見つめていた危うい精神状態で、冷静な判断をすることができていませんでした。

首から下を私のものと交換すれば、母から肉腫を消せるかもしれない。自分が肉腫になろうがしんでしまおうがどうでもいい、母さえ生きておばあちゃんになっても元気でいてくれれば、それだけで良かったんです。

私の場合、目を覚ましてくれたのは母でした。どんな手術かは話していなかったのですが、中国で治療法がある話をすると「いやよそんな遠いとこ」と至極当然の返しをされました。私が母の立場でもしんどいのに中国まで行こうと言われたら大概萎えます。そっか、遠いか…と納得の仕方は微妙でしたが結果的に頭を落ち着かせることができました。

母は結局助からず亡くなり、私は今も後悔しかありません。ただその後悔に「治療」面のことはありません。普段の生活、物言い、これまでの振る舞い、なにより自宅に連れ帰れなかったこと…そんな母との日常、生活についての後悔はてんこ盛りですが、治療についてはこうする他はなかったんではないかな、と家族皆思うことが現状できています。

冷静さを欠いた自分の世話はまるで出来ていませんでしたが、母自身がしっかりと意見をくれたこと、また関わってくださったお医者さんや看護師さんや薬剤師さんが母を含めた私たち家族の提案について一緒に考えて「なぜだめなの?」という疑問に向き合ってくださったからこそじゃあこの薬にしよう、手術にしようと納得の上進めていくことが出来たのだと思います。

結果を笑うこと、否定すること、蔑むことは簡単です。ただ、そこに至るプロセスは人それぞれながらどれにも強い思いがあるのは間違いないのではないでしょうか。

どうか今を闘う患者さん、ご家族のみなさんが悶々とした気持ちや思い付きを吐き出す場があること、そういった仕組みが広がることを願うばかりです。トンデモ治療につかまってしまうまえに。



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