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挑戦状

はじめまして、おトヨと言います。どうやら、陰ではサルどころか、ハゲネズミと呼ばれているようです。そんな自分が一体何者であるのか、年齢やジェンダーも含めて、現段階では伏せています。それは、縁あってこのページで出会う方々と、書き手に対する読み手のいかなるバイアスや憶測もまっさらにして関係性を築きたいという気持ちがあるからです。とは言っても、既に投稿をしている”のぶのぶ”と、この後に投稿を控える”ヤス”と、明確な制約で合意しているわけでもなく、それは各々の判断で開示されていくことになろうかと思います。

では早速、本論に、というより問いかけに入りたいと思います。

皆さんにとって「挑戦」とはいかなるものでしょうか?されてますか?

目標の大学に合格することですか?それとも留学することでしょうか。
勤めたい会社に採用されることでしょうか。創作して個展を開催することでしょうか。執筆して何万部と売り上げることでしょうか。何かしらの賞を勝ち取ることでしょうか。優勝することでしょうか。
男性によっては、年内に童貞を捨てることかもしれません。
女性によっては、年内に結婚することかもしれません。そして幸せな家庭を築くことこそも挑戦なのかもしれません。
どういった内容にせよ、皆さんはその挑戦を、なぜ実現したいのでしょうか。それは自分が望んでいることでしょうか、それとも自分とは別の誰かが望んでいることでしょうか。そして、その挑戦を実現した先には、なにがあると考えてらっしゃるのでしょうか。

皆さんにとっての「挑戦」は、自身の努力で実現できることでしょうか。それとも、ご自身を含めて家族または組織やチームで実現していくことでしょうか。そこにご自身はどういう立場で関わっているのでしょうか。その立場そのものをご自身はどういう立場だと認識しているのでしょうか。その輪に、ヒエラルキーは存在するのでしょうか。会社組織で、ご自身は部下という立場でしょうか、逆にご自身が牽引していく立場でしょうか。上司または部下に対して何を期待するのでしょうか。その期待は果たして適切なのでしょうか。

皆さんにとって、「望ましい」とはどういうことでしょうか。
ハゲネズミの天下人、イケメンの足軽、イケメンの天下人、ハゲネズミの足軽、どちらでしょうか。イケメンなら喜ばしいのでしょうか。ハゲネズミは嫌なのでしょうか。天下人が幸せで、足軽は不幸なのでしょうか。先日、油断した隙に目に入ってしまった記事、「女優の吉岡◯帆は、かわいいのにDカップ」とはどういう意味でしょうか。この記事の存在理由はなんなのでしょうか(決して「ないですよね」と言ってるわけではないのです)。”のに”が適切なのでしょうか。天は二物を与えないのでしょうか。三物でも四物でも与えるのでしょうか。もしそうだとして、与えられた人を尊敬するのでしょうか。うらやましがるのでしょうか。そういう価値観はご自身の人生を豊かにするのでしょうか。

あなたは「挑戦」を実現するために、今考えるのでしょうか。
それとも、今は考えたくないのでしょうか。明日になれば考えるのでしょうか。もしくは、考えることを放棄して、挑戦とは無縁に、ただ流されるのでしょうか。途中で思い立って、流されるのに抗うのでしょうか。ずっとそのままなのでしょうか。こうした一連の経緯の中で、優秀なあなたは、なにもかもを知りえると思ってらっしゃるのでしょうか。もしくは、知っていると認識していることについては自信を持たれるのでしょうか。はたまた、ご自身は知らないのだと謙遜するのでしょうか。そしてそれは、表面的なパフォーマンスなのでしょうか。それとも、心底思ってらっしゃるのでしょうか。

おトヨがここで皆さんに突きつけたいのは、皆さんが今取り組んでいる「挑戦」を否定することではありません。むしろ、肯定したいと思います。ただ、その「挑戦」、そしてそこに関わる人たちをどう捉えていくのかということです。皆さんの「こうありたい」、「こうあるべき」という考えは、どういった背景をもち、どういった価値を持ちうるのでしょうか、常に正しいのでしょうか。初回なので個人的には鬱陶しい書きぶりだなと感じていますが、つまるところおトヨが皆さんにリクエストしたいのは、皆さんご自身が「認知していることそのものへの挑戦」です。


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