
コンサートでの「私、座るとすごいんです」問題について
私は座高が高い。昔、「私、脱いでもすごいんです」というCMがあったが、「私、座るとすごいんです」と言いたくなるくらいに高い。しかも、頭もでかいときている。
だから、コンサートに行くと、後ろの席の人に気を遣う。視界をさえぎらないように、なるべく背もたれに背中をつけ、頭が低くなるように座る(腰が結構痛くなる)。
なぜそんなことに心を配るかというと、私自身、前の座席に「座るとすごい」人がいて舞台が見えず、残念な思いをしたことが何度もあるからだ。
先週、NHKホールでN響定期を聴いたときも、そうだった。私の2列前の人の座高が結構なものだったので、私の目の前の席の中年女性は、周囲から抜きん出て聳え立つ頭を避けるように、身体を左右に動かしながら舞台を見ていた。それがあまりに頻繁なので、私は落ち着いて舞台を見ることができずに閉口した。音楽自体は懸命に集中して聴いたつもりだが、気が散ってしまう瞬間が多々あったのは否めない。「私、座るとすごいんです」の影響範囲は、後ろ2列にまで及ぶ場合があるのだ。
言うまでもないことだが、座高はマナーではない。その人の遺伝子情報に基づく宿命である。客席で前のめりになっている人や、リズムに乗ってヘッドバンギングする人たちに善処を求めることはできても、座高が高い人を責める訳にはいかない。しかも、座高の高い人は、何の悪気もなくピンと背筋を伸ばし、自らの身体特徴的を誇示した状態で座っていることが多い。なんでだろう。
しかし、もしもそんな人が前に座っていると、余計に舞台が見たくなる。それが人情というものである。
仕方なく、前の人の左右どちらかの肩越しに、どうにかして舞台を見ようと悪戦苦闘することになる。すると、前述のように、前の人が動くたびにこちらも姿勢を変えなければならなくなり、客席の一部がEXILEのダンスのような妙な動きをする、かもしれない。
「すごい人」が体を傾けて静かに寝てくれれば、しめたものである。だが、なぜか頑張って激しく船を漕ぎ続ける人も中にはいて、さらに厄介な状況を引き起こすてこともある。ここまで来ると、抵抗する気は完全に失せ、「俺はあんたの後頭部を見るために、チケット代金払ったんとちゃうぞ」という心の叫びをスイッチオフし、ため息交じりに目を瞑って聴く破目になってしまう。
そんな体験を今までに何度もしているので、「座ったときのすごさ」では自信のある私は、せめて後ろに気を遣わって座らざるを得ないのだ。
では、コンサートでの「私、座るとすごいんです」問題は、どうすれば解消できるだろうか。
言っておくが、座高の高い「同志」に向かって、私と同じように後ろに気遣ってくれと言うつもりは毛頭ない。「お前は座高が高いから、座り方を考えろ」なんて誰かに言われたら、気分が悪いに決まっている。
ならば、誰もが「座っても普通なんです」という状況になるような仕組みを考えれば良いのだ。そう、何も意識せずとも、あのカラヤンの映像作品のように、誰もが同じ座高で客席に座れるようにすれば、問題は解決する。

一番確実なのは、客席の椅子の配置を変えることだ。前後にぴったりと椅子の位置が重なっているから、こんな問題が起きる。前後の席で、椅子の幅半分だけずれるような位置に椅子を置けば良いのだ。実際、そのように設計されたホールもある。しかし、既存のホールで椅子の位置をずらす補修をするのは、厳しいだろう。
ならば、例えば、昨今の高度なセンサー技術を活用して、どうにかできないだろうか。ある席に誰かが座ったら、一つ前の席の背中につけたセンサーが作動して、その人の頭頂部の位置を割り出し、後ろの人の視界を遮っていないかどうか判定する。もしも「後ろの席の人から舞台が見えない」と判定された場合は、前の席の背中に「後ろの人が見えないので、もっと頭を下げて座って下さい」と表示が出る。赤ランプがつくでも良い。あるいは、椅子自体が規定の高さになるまで下に下がっていく。アップダウンクイズみたいに。そうすれば、カラヤン指揮で歌うウィーン楽友協会合唱団のような図が、客席に出来上がる。
分かっている。そんなのは実現不可能だということくらいは。コスト的にも技術的にも難しい。ほとんど冗談のつもりで書いている。
結局のところ、コンサートで起きる「私、座るとすごいんです」問題に、有効な解決策はないのだ。仮に、である。場内アナウンスで、座高の高い人は気をつけろと注意を促したらどうなるだろうか。非難轟々になるであろうことは、陽を見るより明らかだ。だから、「座るとすごい人」が前に座ったときは、交通渋滞に巻き込まれたのだとでも言い聞かせて、舞台を見るのは諦めなくてはならないのだろう。
ある有名な指揮者が、CDはカップラーメンで、コンサートはレストランだと言ったそうだ。なるほどと頷くのだけれど、残念ながら、レストランがいつも最上の環境であるとは限らない。こんなんだったら、家でカップラーメン食ってた方がよっぽどマシだったな、ということだってある。だが、それもまた人生さ、ラララララ~と、遭遇した状況を楽しむべし、ということなのであろう。
人生、修行あるのみである。