何かいいこと
一日の終わり、毎日つけている手帳に「今日の良かったこと」を3つ書き留めるようにしている。どんな些細なことでも、くだらないことでもいい。達成感を得られたこと、嬉しかったこと、良かったと思えることをとにかく箇条書きにするのだ。
さしたる目的も持たず、衝動的にやり始めたのだが、これがなかなか難しい。
1つや2つなら何とかすぐに思いつく。仕事が片付いたとか、食べたものが美味かったとか、散歩で見た景色や、その日に接した音楽や本、映画に心が動いたとか。
しかし、3つ目となると鉛筆が止まってしまう。「さて、なんかいいことあったっけ?」と子猫ちゃんに尋ねたくなることが結構多いのだ。ほぼ毎日と言ってもいいかもしれない。
それでも何かあるはずだと無理やりひねり出して書き、3つの「今日の良かったこと」を眺めると、がっくりくる。
私の人生には、こんなにちっぽけなことしか「いいこと」はないのだろうかと。自分とはなんと小さい人間なんだろうかと。私の喜びは誰にも、地球の何にも影響を与えていないではないかと。
ため息まじりにスマホを開いて見れば、何かを成し遂げた人たち、素晴らしいイベントに立ち会えた幸運を綴る人たちが、「今日の良かったこと」をキラキラと投稿していて、さらに気が滅入る。
悪い自己否定のループに入りそうになると、いつも頭の中で再生する音楽がある。ミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」の中の「何かいいこと Something Good」だ。
これが主役(マリアとトラップ大佐)のラブシーンで歌われる、甘美な曲であることは、この際どうでもいい。因果応報、何か悪いことがあったら、自分が悪いことをした結果なのでは?とか、自分が過去にした(と思っている)「いいこと」は他人にとってはただの迷惑ではなかったか?という、素朴にして根源的な疑問には都合よく蓋をしておく。
それよりも、今、どんなにちっぽけでつまらないことでも、「いいこと」と思える何かが身に起きているのなら、それは自分が何か「いいこと」をした結果だと過去の自分を意味づけられる。そんな考えが、ほんの少しだけれど私を勇気づけてくれる。同時に、出会うことのできた「いいこと」への感謝の念も湧いてくる。
かつて、レナード・バーンスタインは、来日したときに雑誌のインタビューでこんなことを言っていた。
彼の言葉からすれば、一日3ついいことを求めるなんて欲張りすぎかもしれないので、どうしても1つか2つしか思い浮かばなければ、それでもいい。どうにも気の重い、鬱蒼とした日々の中でも、それでも「いいこと」を求める気持ちは忘れたくない。
だが、気になるには、私が今日起きた「いいこと」として挙げるものは、受動的に天からの恵みとして受けとるものが多いことだ。そうじゃなくて、できるだけ自分の行動そのものをカウントしたいと考えている。
それは誰かに対して何かしてあげるという意識でやることではないし、将来の自分の役に立つことを狙って実行するというのとも違う。
「サウンド・オブ・ミュージック」でマリアが歌うように、自分が無意識のうちにやっていたことが、後になって「何かいいこと」に繋がっているのかもと思える、そんなことを実践していきたい。それはたぶん、「何かいいこと」の前半の歌詞にある「真実のとき a moment of truth」を作っていくということなんだろう。
残念ながら、その「真実」が何かは、さっぱり分からないんだ。この歳になって何とも情けない・・・と自己否定ループに入りそうになるので、もう一度「Something Good」を聴き直そう。