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ディーリアス・イヤーの終わりに

 2024年もそろそろ終わろうとしている。多くのクラシック音楽ファンにとって、今年はブルックナーのアニヴァーサリー・イヤー(生誕200年)として記憶されることだろう。演奏会でも音盤でもさかんにブルックナーの音楽がとり上げられたし、関連本もいくつか出版された。SNSでは、これまでにないほどブルックナー談義に花が咲いた。

 しかし、私にとっての2024年は、何と言ってもディーリアス・イヤーである。ブルックナーの逆張りをしようというのではない。私自身、ブルックナー祭りの恩恵に浴することができたのだから。ただ、ディーリアスの音楽をこよなく愛する私にとって、驚くべき事件が起きたのだ。

 具体的に言えば、ディーリアスのCD新譜が三つ、それも立て続けにリリースされたのである。しかも、再発売ではない。とれたてピチピチの最新録音である。これはもう惑星直列か、1シーズン50本塁打50盗塁かというくらいに稀なことで、半世紀近い私の音盤歴でも、こんなことはなかったはずだ。それだけディーリアスの音楽がマイナーだということなのだろうけれど、そんなことはどうでもいい。こよなく愛する作曲家の音楽を、最新の演奏で楽しめることの喜びは何ものにも代え難い。実演で聴くことがほとんど望めない以上、音盤で聴けるだけでも御の字である。

 新譜の一つめは、劇付随音楽「ハッサン」の完全全曲版(Chandos)である。既出のビーチャム、ハンドリー盤では省かれていた劇のセリフ部分が、すべて朗読されているのがミソで、演奏はジェイミー・フィリップス指揮ブリテン・シンフォニア、ゼブ・ソアネスが語りを務めている。

 次が、ディーリアス畢生の大作「人生のミサ」(LAWQ)で、名匠マーク・エルダーが首席客演指揮者を務めるベルゲン・フィルを振ったライヴ録音だ。バリトンにBCJ来演でもおなじみ、ロデリック・ウィリアムズが出演している。

 最後は、ヴァイオリン協奏曲で、演奏はベルリン・フィルの元コンサート・マスターで、最近は指揮者としても活躍するガイ・ブラウンシュタインのヴァイリン、アロンドラ・デ・ラ・パーラ指揮リエージュ・フィルである。ビートルズの「アビー・ロード」をVnとオケに編曲した「協奏曲」と、ヴォーン・ウィリアムズの”Lark Ascending”を並べたユニークな「イギリス名曲集」の一曲である。

 どの演奏も、ディーリアスの音楽が持つ魅力を存分に味わせてくれる、素晴らしいものである。ビーチャムやバルビローリが録音していた時代に比べ、指揮者やソリスト、オーケストラの技術やセンスはより洗練され、アンサンブルの精度も、往時とは比べものにならないくらいに向上している。さらに、微細な音まで漏らさず収めた高解像度の録音が、優れた演奏の持ち味をさらに引き立たせている(だからと言って、往年の名演への愛着と敬意はまったく減じることはなく、むしろその素晴らしさを再認識しているくらいである)。

 ともあれ、これらの新盤を聴きながら、どうして私がこんなにもディーリアスの音楽に惹かれるのかを考えた。

 ディーリアスの音楽の魅力にはいろいろな要素があって、既に多くの人たちが指摘しているが、その中で最も心を惹かれるのは音楽の「移ろい」である。ディーリアスの作品は、キャラクターの立った旋律やフレーズが絡み合ってドラマを展開して成立するのではなく、経過句や推移部的なパッセージが現れては消え、現れては消えていくばかりである。すべての音は、ここではないどこかへの憧れや、あるいはノスタルジックな感傷、そして遥か彼方の世界の気配を孕んで、大気を儚げに漂う。ワーグナーの無限旋律と、ドビュッシーの近代的な和声法を参照しつつ(ディーリアス自身はドビュッシーには批判的だったらしいが)、唯一無二の独特の語法、音色、管弦楽法を駆使して、移ろいゆく音の風景をただひたすらに描いていく。それが美しいのだ。

 ディーリアスの音楽は、声高に何かを主張したりはしない。その声も、(実際の楽器編成に関わらず)決して大きくはなく、聴き手が自ら近寄って耳を澄まさなければ聴こえない。その声が発する言葉は決して明瞭ではないけれど、ひとたび声が聴こえるようになれば、詩的で、やさしくて、ときに形而上学的な深みをもった言葉を、あちこちに見いだすことができるようになる。そして、生きていくのに欠かせない「友」となる。

 私がディーリアスの音楽にこのような魅力を感じるのは、私の中にディーリアスの音楽が生き生きと響く固有振動数があるか、その声が聴こえるチャンネルがあるからだ。それは誰だって簡単に見つけられるもののはずだけれど、SNSなどでディーリアスという名前を見る機会の極端な少なさを考えれば、まだ見つけていない人が多いということなのだろう。

 しかし、私は知っている。私と同じようにディーリアス・チャンネルを自らの内に持って、その音楽を大切に愛でている人たちが必ずいることを。彼ら彼女らは、ディーリアスの音楽と同様に自己を声高に主張することもなく、静かに音楽を楽しんでいるに違いない。もしかすると、私がこんなふうにネットでディーリアスについて何かを書くなんていうのは、マスコミには取り上げられない隠れた名店を紹介してしまうようで、好ましくないと叱られてしまうのかもしれない。しかし、私のnote記事の影響力など、たかが知れているし、私はこれらのCDを誰かにお薦めしようなどと大それたことを考えてもいない。「ディーリアス・イヤー」を飾った素晴らしいCDたちについて、聴いた喜びをひっそりと分かち合えれば、それで充分である。

 3点のうちどれが最も心に残ったかと言えば、作品の規模の大きさ、演奏の質の高さと感銘深さを考慮して、エルダー指揮の「人生のミサ」(1904~5)を挙げようか。「人生のミサ」は、ソプラノ、テノール、バリトン独唱と混声合唱、そしてオーケストラという大編成を要する大曲である。テキストはニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」(ドイツ語)で、ディーリアス自身の言葉を借りれば「高地と広々とした空間を前にしたときの孤独のメランコリー」を描きつつ、「生への絶対的肯定」を歌い上げる。ベルゲン・フィルの首席客演指揮者を務めるエルダーは、職人的な腕の確かさで全体を堅実にまとめつつ、ディーリアスの音楽の核心である繊細な弱音をビューティフルに響かせていて、好ましい。

 「人生のミサ」と言えば、何年前だったか、渋谷の名曲喫茶「ライオン」で聴いたことがある。それはビーチャム指揮の古いモノラルLPで(CD化済)、第2部が再生されたのだが、そのどこまでもノスタルジックな響きと、遥かなるものへの憧れを秘めた弱音の美しさと、響きの広大な広がりに打たれて陶然となり、ほとんど涙を流さんばかりの状態で聴き入った。その頃は自分の将来への不安を抱えていて、どこか敗北感を含んだようなメランコリックな響きが沁みて沁みてたまらなかった。あのときの喫茶店の空気感と、コーヒーの味はまだ私の記憶に残っている。

 今回、私の手元では6種類目のCDとなるエルダー盤は、かつて私に濃密な体験を与えてくれたビーチャム盤と比べるとぐっと現代的な演奏だが、その絹のようななめらかなテクスチャと、音空間の奥行感は、ビーチャムが聴かせてくれた魔法のようなサウンドにも負けず劣らず魅力的だ。歌手も優秀で、特にバリトンのロデリック・ウィリアムズが素晴らしい。ディーリアス畢生の名作の持つ魅力を改めて実感した。

 それに比べると、劇音楽「ハッサン」は、中東を舞台にしたあらすじが荒唐無稽で、ナレーションが多く音楽も細切れなので、全体の印象がややつかみにくい。しかし、合唱のパートソングや、有名な「間奏曲とセレナーデ」のように親しみやすい曲もあり、演奏はとびきり上質なものなので、聴かせる。是非、舞台上演と併せて見てみたいものである。

 ブラウンシュタイン独奏、デ・ラ・パーラ指揮のヴァイオリン協奏曲も、すべてが明確・明晰な方向へとベクトルが向いているところが、長所でもありちょっぴり不満でもある。しかし、永遠の経過句的な成り立ちの音楽が持つ魅力は十分に表現されていて、非常に好ましい。これでいいんだ、これが聴きたかったんだと思わせてくれるのが嬉しい。

 クラシック音楽界隈では年の瀬もまだブルックナーで持ち切りで、演奏会では相変わらずマーラーが大人気である。もちろん、私も愉しませてもらっている。しかし、それに引きかえ、我らがディーリアスは、コンサートでとりあげられることもなけれぼ、ムックが出されたり、対談企画が組まれたりするようなことはない。最近めでたくオンライン化されたレコード芸術でも、これらのディスクは紹介されていない。が、それを嘆いても仕方がない。ただ私はこのだだっ広い世界の片隅で、ディーリアスの音楽への愛着を呟くのみである。それでいい。

 来年は早々にまたディーリアスの新譜が出るようである。その後、またリリースが続くのかはまったく分からないが、数は少なくとも、またあの「移ろい」の音の世界を楽しませてくれる音盤との出会いに期待している。そして、来年はイギリスの指揮者エドワード・ガードナーが読響定期で、「楽園への道」をとり上げるらしい。私は彼の指揮に好感を持っているので、滅多にナマで聴けないディーリアスを、コンサートホールで満喫したいと思っている。

ディーリアス: 劇付随音楽 《ハッサン》(全曲)
ジェイミー・フィリップス 、ブリテン・シンフォニア 、ブリテン・シンフォニア・ヴォイシズ
(Chandos)
ディーリアス: 人生のミサ
マーク・エルダー 、ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団
(LAWO Classics)
アビイ・ロード・コンチェルト
ガイ・ブラウンシュタイン (Vn)
アロンドラ・デ・ラ・パーラ 、リエージュ・フィルハーモニー管弦楽団
(Alpha)



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