高校時代友達が少なかったので、東大に現役合格できた話
高校時代、私はほとんど友達がいなかった。今でも連絡を取り合う友人は片手で足りるほどだ。部活は天文部に一瞬だけ所属したが、一度も星を見ることなく退部した。おそらく開校史以来私だけの伝説を打ち立ててしまったわけだ。生徒会やクラス委員はもとより、文化祭の出し物にもほとんど関わらない。気がつけば、スクールカーストの端っこどころか、三角形の外側でひっそりしているような存在だった。そんな私が、偏差値60そこそこの自称進学校から、予備校に通わず東大に現役合格できた理由を振り返ってみたい。
「友達が少ない」と聞くと、一般的には「かわいそうだ」「寂しい高校生活だ」とネガティブなイメージを持たれがちだが、私の場合はそれが意外なアドバンテージとして働いたのだ。この記事では、内向的で人付き合いが苦手だった私が、いかにして周りに流されることなく勉強にフルコミットできたかを語りたい。同じような境遇で大学受験を控える人にとって、少しでも参考になれば幸いである。
1. 「勉強」をすることで人を避けていた
内向型の人間にとって、人とのコミュニケーションはエネルギーを激しく消耗する。高校生にもなれば、SNSやゲーム、放課後のカラオケなど、友人同士での付き合いが日常茶飯事だが、私はそれに楽しさを見いだせなかった。だからといって露骨に距離を置こうものなら「つまらないヤツ」と言われてしまうかもしれない。
しかし、そこで「勉強しているフリをすれば人と接する必要がなくなる」という戦略を思いついた。放課後でも休み時間でも、教室の片隅で教科書や参考書を広げていれば、周りの生徒たちも気軽には話しかけてこない。いわゆる「自分から壁を作る」やり方である。
さらに、私はそもそもコミュ障気味だったので「話すより勉強をしている方が楽」と思っていた。単なる逃げかもしれないが、結果的には地道に学力を上げるチャンスになった。修学旅行で飛行機に乗っているときも、私は数学の参考書を開いていた。見かねた学年主任からは「もう勉強するな」と言われるほど取り憑かれていた(まさか教師の口から「勉強するな」と言われる日が来るなんて夢にも思わなかったが)。それだけ勉強して人を避ける行為に徹底していたということだ。
2. 友達がいなかったので余暇時間が大量にあった
たとえば、クラスの人気者だったり大勢の友達がいる人は、放課後にカフェに行ったり、休日にグループで買い物に行ったりと、何かと外出の予定が詰まりがちだ。しかし私の場合、ほとんど誰からも誘われない。委員会や文化祭の準備に駆り出されることも一切ない。
結果的に、一人で過ごせる時間が圧倒的に増えた。部活に時間を取られることもなく、SNSで交友関係を広げる必要もなく、ゲームの進捗状況を友達と合わせる努力も不要。いわゆる「何もしなくていい時間」が、常にたっぷりとあったのだ。
ここでポイントなのは、内向的で友達が少ないことを「残念だ」と思わず、むしろ「自由時間が増える」とポジティブに捉えることだ。受験勉強はコツコツと時間をかけた分だけ報われる要素が大きい。たとえばみんなが部活で汗を流している時間や、友達同士でゲーム談義に花を咲かせている時間を、私はまるまる勉強に充てることができた。
余暇時間が増えた分、私は「今日は化学を3時間やろう」「来週の土日は物理の問題集を終わらせよう」といった計画を立てることができ、それを着実にこなすことが日常となった。これがいつしか習慣化し、偏差値60そこそこの自称進学校にいながらも、実力は確実に伸びていったのだ。
3. 周囲の大人たちが優しかった
さて、ここまで読んで「ずっと一人で勉強していたら、さぞ孤立感がすごかったのでは?」と思う方もいるかもしれない。しかし、私には幸運なことに、何人か理解ある大人が周囲にいてくれた。
まず高校三年の時の担任は、私が積極的に友人関係を築けない性格だとわかっていながらも、勉強面で最大限サポートしてくれた。夏休み中に学校の教室を自主勉用に使わせてくれたり、東大合格者の先輩を紹介して面談の機会をくれたり、さらには私のレベルに合わせた問題集の選択を手伝ってくれた。
数学の先生も同様で、「こいつ、普段のテストは良い点を取るのに授業中は一言も喋らない」という生徒である私の個性を受け止めたうえで、追加で特別な講義や演習を用意してくれた。おかげで私は自分にあったレベルの問題と好きなだけ格闘できる環境を得られたわけだ。
ただし、当然ながら優しい大人ばかりではなかった。保健体育の授業で内職をしていたら、体育教師がブチギレて教科書をゴミ箱に捨てられたこともある。それでも総合的にみれば、学校という場所は「頑張ろうとしている生徒には、少なからず支援してくれる大人がいる場所」なのだと実感した。人と距離を置く内向型だからこそ、そうした大人の助けがよりありがたく感じられた。
4. たった一人の受験仲間と切磋琢磨し合えた
「友達がほとんどいない」と豪語していた私だが、実は高三の時に受験勉強を一緒に頑張る仲間が一人だけ存在した。
二人で行きつけにしていたのは、近所のフードコートだった。コーヒーを一杯だけ頼み、それを頼りに長時間居座って勉強するという、今思えば若干迷惑な行為を繰り返していた。周りから白い目で見られようとも、こちらとしては必死だ。何より、そこにいるだけで「自分もサボってはいけないな」という気持ちになれる相互監視体制が整う。
具体的には、休憩中にお互いがやっている問題をちょっと見せ合ったり、勉強法のコツを話し合ったりする。内向型だと根本的にコミュニケーション量は少ないが、「こいつも頑張ってるなら自分ももう一踏ん張り」というモチベーションが保てたのだ。
さらに、内向型の人間は「自分のやり方が正解に違いない」と独りよがりに陥りがちでもある。そうしたときに、たった一人でも別の視点を持つ仲間がいれば、「いや、そっちの参考書は難しすぎて無駄じゃないか?」と突っ込んでくれたりもする。私も何度か指摘を受け、路線変更して正解だったことがあった。
つまり、友達が大量に必要なわけではなく、一人か二人、気の合う相手がいれば勉強の効率を上げることができるというわけだ。しかも内向型同士はコミュニケーションの煩わしさを最小限に抑えて、必要なときだけ密度の濃い情報交換を行うので、まさにちょうどいい距離感だった。
おわりに
このように、私は高校時代、ほぼ友達がいないことを逆手に取り、勉強時間を確保し、周囲に左右されることなく自分のペースを貫くことができた。さらに、優しい教師やたった一人の受験仲間といった支えもあったからこそ、予備校に通わず東大に現役合格という成果を出すに至ったのだと思う。
一般的には「友達が少ない=かわいそう」という認識があるかもしれない。だが、大学受験においては「孤独をどう捉えるか」が大きな鍵になる。部活や行事への強制参加がなければ、相対的に勉強に充てる時間が増え、集中力をそがれる要素が少ない。少数精鋭の仲間がいれば、互いに監視し合って勉強を続けられるし、定期的に勉強法の方向性をチェックしてもらえる。
もちろん、ぼっちなりの寂しさはゼロではない。体育祭で楽しそうにはしゃぐクラスメイトを横目に、空席だらけの教室で数学を解いている自分が何者なのか、時々わからなくなることもあった。しかし、その孤独を前向きな原動力に転換し、結果的に第一志望へ手が届いた事実がある。
もし今、内向型で人付き合いに疲れ、「友達が少なくて不安」という受験生がいるならば、その性質を武器として活かす方法もあると知ってほしい。自分でコントロールできる時間が多いのは、実はとてつもないアドバンテージだ。ぼっちを嘆くのではなく、「この孤独が学力向上のチャンスになる」と考えてみると、いつか振り返ったときに「友達が少ない高校時代も捨てたもんじゃなかった」と思える日が来るかもしれない。
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