見出し画像

お釈迦様は輪廻転生を説いてますよ①

このnoteの結論は「お釈迦様は輪廻転生を説いてますよ」です。
結論だけ知りたい人は、以上で終了です。

先日、小さな正義の味方から「お前の言う事を全部否定してやる!全部論破してやる!完全に言い負かしてやる!」という熱い気持ちでいっぱいのコメントをいただきました。
そのコメントから、読み手が読み誤りしやすいポイントがわかりましたので、本文に言い回しを追加するなどの対応をしたので、それは純粋にありがたかったです。
で、このコメントが、なかなかすごかったんですよ。

中論には「釈尊は輪廻が有るとも無いとも説かれた」とあります

いただいた正義感あふれるコメント

阿含経典をベースに語っているこのボクに対して「ナーガルジュナはこう言った」と指摘する蛮勇www
このコメントを見た時点で、この人は、
・阿含経典が何かを知らない
・仏教経典の成立過程を知らない
・仏教思想の変遷を正しく理解していない
ということが、こちらにはわかっちゃうわけです。
ちなみに「有るとも無いとも説かれた」とは、結局、有るの?無いの?

仮に「輪廻転生」がシステムとしてあるなら、釈尊は何故、そのように説かれなかったのでしょうか?

いただいた正義感あふれるコメント

まさかのお釈迦様は輪廻転生を説いていない説!!!
えらそーに仏教を語るくせに、今どき、こんなことを言う人が存在するとは思わなかったので、ボクは大変な衝撃(笑撃)を受けました。


このnoteは2回に分けて阿含経典の中にある「仙尼経」というお経の内容をダイジェスト版で説明する第1回目です。
なぜ、このお経を取り上げるかと言うと、お釈迦様が輪廻転生を説明しているからです。

「仏教には教義教学が無い」とか「お釈迦様は輪廻転生を説いていない」と主張をする人の知見と正気を疑う内容のお経となっています。


「仙尼経」の内容構成

「仙尼経」の内容は、ざっと、このような流れになっています

  1. 仙尼さんがやってきて、お釈迦様に質問をする

  2. お釈迦様が輪廻転生について3種類の思想があることを説明する

  3. 五蘊等々のマニアックな議論

  4. 仏弟子の実際の状況と縁起論のまとめ

このnoteでは、1と2を説明します。
3と4は、このnoteの続きの第2回目で説明します。

また、今回は原文や書き下し文を引用として出しません。
そこまで遡って考えたい人は下部リンクから書籍購入をご検討ください。

仙尼さん、お釈迦様に質問する

お釈迦様ではない他の宗教指導者のもとで修行をしていた仙尼さんがお釈迦様のところにやってきて質問をしました、というところから、お経の話が始まります。

「沙門ゴータマさんという宗教指導者は、その弟子が亡くなったとき、この人はこういうところに生まれ変わり、あの人はあういう場所に生まれ変わると説明していると聞きました。
私はそのことに疑問を抱きました。
沙門ゴータマさんは何を根拠に、そのような事を言うのですか?」

仙尼さんは、どこかの会合に参加したときに「ゴータマさんという人は、弟子がどこそこに転生するって言っているらしいぜ!」と聞いて、疑わしく思い、真偽を確かめるためにやってきたのだ、という導入部分です。
そういう噂が流れていたらしい。

輪廻転生に3種類の説がある

この質問を受けて、お釈迦様は答えました。

この世の中には、三種類の思想が存在する。

  1. 「常見」といって、ひとつの魂・アートマンがずっと永続して存在し、そのアートマンが生まれ変わるという思想

  2. 「断見」といって、死ねば終わりで来世は存在しないという思想

  3. 「縁起・如来応等正覚」というブッダの思想

お釈迦様は、輪廻転生について、このような3種類の思想がありますよ、と説明をしています。
1と2について簡単に解説します。
3の縁起の生まれ変わりについては、仏弟子の実際の状況の部分(第2回目)で説明します。

常見

「常見」は、ひとつの魂が前世から今生、そして来世、そのまた先の来世までずっと続くという考え方で、今の我々にもわかりやすい思想です。生まれ変わりを題材とする各種ファンタジー作品も、だいたい、この考えで作られています。とてもわかりやすい思想です。
「恒常」「常住不変」という言葉で説明されることもあります。
そして、輪廻転生はある、という思想です。

でも、お釈迦様は、この考えは誤りであるとしています。

ちなみに、後世、アビダルマ時代の仏教に「説一切有部」というグループができるのですが、彼らの主張した「一切有」というのは、お釈迦様が否定した「常見」のことです。
どういうわけか、当時の屁理屈仏教者が、仏教の思想は「一切有=常見」であると言い始めたので、その流れを否定してインドの仏教界の思想を「縁起=空」に戻したのがナーガルジュナです。チベット仏教系の人の説明を見ているとナーガルジュナが「縁起」を正しく理解してたように思えないのだけれど、結果的に仏教思想が変な方向に行くことを防いだことは確かな事実です。

断見

「断見」というのは、死後の存続、来世とか死後の世界を認めない、即ち輪廻転生は存在しないという説になります。

当然、お釈迦様は、この考えは誤りであるとしています。

以前、南伝テーラワーダ仏教系の誰かが完璧な「断見」思想を語り、これがお釈迦様の思想であるとしていました。バカだなぁと思いました。
南伝のパーリー五部にも、漢訳阿含の「仙尼経」に該当する経典は存在するだろうし、輪廻転生に関するお経もたくさんあると思うのだけど、何をどう理解すると「断見」になるのか、よくわかりません。

輪廻転生の種類の説明は教義教学ではないのか?

お釈迦様は、仙尼さんの質問に答えるかたちで、「輪廻転生には3種類の考え方があるけれども、正しいのは縁起にもとづいた輪廻転生のシステムですよ」と説明しているのが、この段落の内容です。

「常見」「断見」「縁起」の3種類を並べて輪廻転生の説明をしている説法が仏教の教義教学ではないとするならば、これはいったい何なのか?

お釈迦様は輪廻転生を説いていないとするならば、
仙尼さん「ゴータマさんは弟子が、どこそこに生まれ変わると説明しているって噂を聞いたんですけど、ぶっちゃけどうなんすか?」
お釈迦様「それはね、こういうことなんだよ・・・」
というやりとりをしている、この「仙尼経」というお経は何なのか?

ちなみにボクがこの「仙尼経」というお経を知ったのは、阿含宗開祖が1993年に発刊した書籍で説明していたからです。もう30年以上前の出来事です。

何年前であろうが、一般の人なら知らなくても仕方がないので、今回、このnoteを読んで「仙尼経」というお経の存在を初めて知った!という人がひとりでもいれば、ボクはとても嬉しいです。

でも、もし仮に、現代の現役の仏教学者がお釈迦様は輪廻転生を説かなかったと自信満々に述べているのだとするならば、あなたたち学者は、この30年間、いったい何を学んできたのですか?ということになります。

学者ではない一般の読者さんに伝えたいのは、
怪しげな仏教を語る人間を見抜く確かな視点を得てほしいということです。

たとえば「仏教に教義教学は無いけど修行法はある」という発言を見て、「裏付けとなる理論理屈メカニズム、到達すべき目的地の定義」=「教義教学」が何も無いのに修行法だけ存在するとは、あなたたちの修行とやらの正体は一体何?という冷徹で残酷なツッコミができるようになってほしい。

そういう願いを込めて、このnoteを書いています。

過去のnote

阿含経典という聞いたこともないものを持ち出されて
自分が信じていたものを全否定されて、今、猛烈にブチ切れている人
もし、あなたが、如来真実義を理解したいと願う人ならば、いちどおちついて、このリンク先の動画を真摯な気持ちで見ることを推奨します。

漢訳阿含を学ぶ

下記に紹介する書籍は阿含宗開祖が極めて重要と考えている阿含経の解説本です。漢籍原文の阿含経、書き下し文、阿含宗開祖の解説という構成になっています。

上巻

阿含宗開祖がまず最初に知ってほしい「八法十六法」という修行法について書かれた経典がトップバッターとして掲載されています。もしどこかの仏教者が「仏教は自分が瞑想して自分が救われることであり、他者を変えることはできない」と主張していた場合、その説明は完全に誤りであるということを堂々と指摘できる阿含経典です。是非、読んでほしい仏教の本当の教えです。
また、今回のnoteで取り上げた「仙尼経」の解説もあります

中巻

「意生身」という、現代の我々が一般的に幽霊と思う存在をお釈迦様がはっきりと認めている経典が掲載されています。お釈迦様は霊魂を説かなかったという一部の人の説明は誤りです。それをこの書籍でご確認いただければ幸いです。

下巻

仏教は道徳・哲学であって、お釈迦様は輪廻転生も死後の存在も認めていないと本気で考えている人は、この本を読んで、今までの自分が何を学んできたのか、改めて考え直してみる機会を持ってほしいです。この書籍は、お釈迦様が認識している輪廻や死生観をテーマにした阿含経典が多く掲載されています。

いいなと思ったら応援しよう!