澶淵の盟:中国史をCCTVドキュメンタリー番組で学ぶ
今の時代、Youtubeのおかげで日本にいながらにして中国語のドキュメンタリー番組を見ることができるようになりました。その中でも日本のNHKに該当するであろう中国のCCTVが作成するドキュメンタリー番組は見る価値があるものが多いです。現時点において、もはやNHKを超える質と量に到達しているのではないかとボクは思っています。
それらの中で、ボクがこれは名作だ!と思うドキュメンタリー番組のひとつが「歴史のターニングポイント・澶淵の盟」という番組。
中国語が理解できる中国史好きの人は見る価値がある、と、ボクは確信しています。
とにかく展開が熱い!
中国史が好きな人向けに書くnoteなので、澶淵の盟の詳細説明はしません。ですが改めて押さえておいてほしいポイントは、この2点。
澶淵の盟によって、なんと120年もの平和が中国北部にもたらされた
澶淵の盟まで状況を持っていった北宋の責任者を知っていますか?
《 历史的拐点·澶渊之盟 》第一集 五代十国饥荒
北宋3代目皇帝真宗の時代に契丹の遼が侵攻してきました。
真宗は、遼軍が怖いです。めちゃ怖いです
なぜならば、偉大な将軍でもあった父親の宋太宗ですら遼軍との戦争で矢傷を受けて敗戦しているから。
ましてや自分は戦争や軍事のことなんてわからない。勝てるわけがない。とにかく怖いです。逃げたいです。
大臣たちは「四川に逃げましょう」「金陵(南京)に逃げましょう」と主張するものもいます。
そのような国家の行末を決める瀬戸際で、色々あって地方に左遷されていた寇准が宰相に任命されて首都開封に戻ってきました。
御前会議で寇准は主張しました。
「親征して敵を殲滅すべし」
真宗は黙って宮中の奥に逃げようとしたところ、なんと寇准は皇帝をひっ捕まえて、さらに言いました
「いいですか?逃しませんよ?今日はこの問題を必ず解決してもらいます。逃げる選択肢はありません。前に進むのみです。親征あるのみです。逃げたら開封は陥落して、全ての戦線は壊滅します。もうあなたに退路は無いのです!」
寇准によって、宋真宗は親征せざるを得ないところに追い込まれたのでした。
《 历史的拐点·澶渊之盟 》第二集 宋辽战争
宋真宗「やっぱり金陵(南京)に避難したほうがいいんじゃないかな?」
禁軍の将軍「我々の家族は皆、開封に住んでいるのです。家族を捨てて逃げるなんてできません。皇上が金陵に逃げた瞬間に我軍は瓦解します」
宋真宗「・・・」
当時の澶州城は黄河を挟んで北と南に分かれていたそうです。
黄河の北は最前線。南側は比較的安全です。
安全な南側にいたいという意向は完全に無視されて、輿ごと最前線の北城へ運ばれてしまう皇帝。
そして城壁の上に立たされて兵に姿を見せると全軍が「皇上万歳」と連呼して、その声は遥か遠くまで聞こえたという。
そしてその時、実は遼軍では致命的な大事件が発生していたのでした・・・
《 历史的拐点·澶渊之盟 》第三集 宋辽议和
遼からの和平提案に反対して主戦論を唱える寇准に宋真宗は言いました。
「確かに寇准が言うように、十数年後に再び遼軍が侵略してくるかもしれないが、今まさに戦乱で苦しんでいる農民たちを戦火から救いたい。だから和平をする」
宋真宗が、和平交渉の担当者に出した金銭条件は、毎年100万両までならば支払うというもの。
会議後に寇准は、その和平交渉の担当者を捕まえて言いました。
「皇上は100万までOKと言っているが上限は30万までだ。もし30万を超えたら、お前をぶっ殺すぞ!」
毎年の支払額は国家収入の1.53%
大昔、ボクが世界史の勉強をした時、この時の年次の支払いは莫大で北宋の財政上は大きな負担だったというような話を聞いた気がします。
しかし、この番組で学者さんが説明するには、30万両というのは当時の北宋の収入の1.53%にしかすぎない。
たったこれだけのお金で平和が買える。
買えた平和は120年。和平直後に生まれた人は、単純計算で孫の孫くらいまでの子孫が戦争を知らずに過ごせたことになります。
これは大きいですよね。
番組は、まだ2話くらいあるのですが、ここからは中国の歴史あるあるです。
偉大なる功績を残した人物は調子に乗って精神が崩壊して人生が破滅する。
つまり寇准が堕ちていく話になっていきます。
あとは各自、興味のある方はYoutubeで続きを見てください。
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