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死後の世界の入口、サイの広場

このnoteは阿含宗開祖が見た死後の世界の「入口」についての解説です。
阿含宗開祖の著書「君は誰れの輪廻転生うまれかわりか」という書籍から引用します。

これを読んでいるあなたを含めて、大多数の人は六道輪廻の境界にあり、それらの人は死後、精神体として意識を取り戻し、本能に引きずられるかたちで、とある場所に辿り着きます。

その場所を阿含宗開祖は「さいの広場」と呼んでいます。
一般的な仏教説話で言うところの「三途の河原」です。

この頃になると、死者は、これまでに何度もこのことを経験していたことに気づくのである。そして、魂が凍りつくような恐怖を感ずる。
「そうだ、この道はいつか来た道だった」
そう思って、心の底から戦慄するのである。そして、絶望に打ちのめされる。
しかし、そこへは行かねばならぬのだ。
引きずって行くような力がはたらきかけてくる。
-- 略 --
そこは昼も夜もなく、太陽は見えなかった。秋の日暮れのもやにつつまれたような薄明かりが空間を占めていた。
時々、足元から冷風が吹き上がってくる。大地がそこで裂けているのだ。断層となって深い亀裂が、見渡す限り、どこまでもつづいている。
-- 略 --
ここ、斉の広場・・・。
ここが、この世の果て、この世の終極の地であり、あの世への入口であった。

桐山靖雄著 君は誰れの輪廻転生うまれかわり

さいの広場」には先が見えない大地の亀裂がある。
その亀裂・断層の事を、一般的な仏教説話では「三途の川」と呼ぶ。
その地にいる死者たちは「地獄谷」と呼んでいるらしい。

死者たちは、この断層を飛び越えなければならぬのである。
この断層を越えた対岸に、冥界(冥土)がある。
死者は、そこが一応、安息を得られる場所であることを、本能的に知っている。
この世の終極の地を離れて、冥界へ行かぬ限り、死者は一分一秒も休息することが出来ないのだ。
なんとしても、この断層を飛び越えねばならぬ。
こうしている間にも、そこここで、断層を飛び越そうとする姿が見える。そのたびに、その周辺からどっと喚声があがるが、その声はすぐに、魂切たまぎるような悲痛な叫びと呻きに変わる。
死者は肉体がないから軽いので、絶望のふちから空間に躍り出ると、風に吹き上げられて虚空に舞い上がり、そのまま対岸に行き着くかと思われるのだが、それも瞬時、あっというまに石のように落下し、霧の中に姿を消すのである。
断層の下は急流になっていて、そのまま地獄の底につながっている。
死者は、生前になした悪業の重さにより、この空間を飛び越えることができないのである。

桐山靖雄著 君は誰れの輪廻転生うまれかわり

悪因悪業・カルマが残っていると、それが原因で断層を飛び越えることが出来ない。
また、それは自分自身の悪因悪業・カルマだけではなく、他人から向けられた怨念も含まれる。
お金持ちになって、晩年に慈善事業をたくさんしたような人であっても、そのお金持ちになる過程において、多くの人を生きながら地獄に叩き落すような人生を送ってきていれば、被害にあった人々の怨念が突き刺さった魂は、その怨念の強さにふさわしい地獄に落ちてしまう。

こういうことであるから、多くの女性に性被害を与えてきたような男性は、女性たちの強烈な怨念を身にまとうことになるので、その魂の重さによって救いようがない地獄に落ちる。死ぬ前に怖くなって反省して悔い改めて何かをしても、何もかも手遅れ。来世は人間に生まれてくることすら出来ないかもしれないので、人間としての最後の魂の思い出を作ってほしい。どうせ来世には、かつて自分は人間だったということすら忘れてしまうけれども。

ちなみに死者たちは、この「さいの広場」に永遠に居続けることはできない。
なぜならば、定期的に断層の下から津波が湧き上がってきて「さいの広場」にいる死者たちを谷底へ引きずりこんでしまうからです。


スピ系の人たちの中に、キラキラした霊界を語る人がいるかもしれない。
その人が本当にキラキラした霊界を見ているのか、単なる妄想か、それはボクにはわからない。

わかっているのは、
そのような死後の世界の知識を得ても、
キラキラした霊界に辿り着くことはできない
ということ。
さいの広場」に辿り着く人は、地獄経由で冥界に辿り着くことになるが、冥界はキラキラした霊界とは異なる場所です。

座禅や、ブッダの呼吸法だとか、マインドフルネス瞑想がブッダの瞑想法・仏道修行そのものであるという戯言を信じて、いくらか心の平安を得て悟りを得たようなつもりになっても、キラキラした霊界には辿り着くことはできません。
残念ながら死後に辿り着く場所は「さいの広場」です。

運命の分かれ道は、悪因悪業・カルマを消滅させ、且つ、しっかりと善徳を積み、その結果として四沙門果ししゃもんかの境界に到達しているかどうかです。

ごく稀に、虚空高く飛行ひぎょうして行く人影があった。
大群衆は、そのたびに、その人影を指し、「おお」「おお」と呻き、胸を打って悲泣した。
人影はかすかに霊光オーラを発していた。
それは、「四沙門果ししゃもんか」の聖者であった。
シャカの伝えた七科三十七道品の成仏法を修するか、三福道を実践して、聖者となった者のみが、虚空高くこの断層を越え、さらに対岸の冥界をも越えて、その先にある霊界に到達するのである。
飛行する聖者の姿を見ると、見る限りの亡者たちは、いっせいに手をさしのべ、聖者めがけて地を蹴った。イナゴのごとく跳躍した。
口々に、意味不明の声を発している。
「つれていってくれぇ」
「後生だから助けてくれぇ」
と声をかぎりに叫び、号泣しているのであった。
聖者の姿が消え去ると、亡者の大群は、一大パニックに襲われる。暴風にもみしだかれる大草原の草のようであった。
狂乱絶望して、断崖から跳躍して、無間地獄に落ち込むものたちが、相次いだ。

桐山靖雄著 君は誰れの輪廻転生うまれかわり


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