このnoteは阿含宗開祖が見た死後の世界の「入口」についての解説です。
阿含宗開祖の著書「君は誰れの輪廻転生か」という書籍から引用します。
これを読んでいるあなたを含めて、大多数の人は六道輪廻の境界にあり、それらの人は死後、精神体として意識を取り戻し、本能に引きずられるかたちで、とある場所に辿り着きます。
その場所を阿含宗開祖は「斉の広場」と呼んでいます。
一般的な仏教説話で言うところの「三途の河原」です。
「斉の広場」には先が見えない大地の亀裂がある。
その亀裂・断層の事を、一般的な仏教説話では「三途の川」と呼ぶ。
その地にいる死者たちは「地獄谷」と呼んでいるらしい。
悪因悪業・カルマが残っていると、それが原因で断層を飛び越えることが出来ない。
また、それは自分自身の悪因悪業・カルマだけではなく、他人から向けられた怨念も含まれる。
お金持ちになって、晩年に慈善事業をたくさんしたような人であっても、そのお金持ちになる過程において、多くの人を生きながら地獄に叩き落すような人生を送ってきていれば、被害にあった人々の怨念が突き刺さった魂は、その怨念の強さにふさわしい地獄に落ちてしまう。
こういうことであるから、多くの女性に性被害を与えてきたような男性は、女性たちの強烈な怨念を身にまとうことになるので、その魂の重さによって救いようがない地獄に落ちる。死ぬ前に怖くなって反省して悔い改めて何かをしても、何もかも手遅れ。来世は人間に生まれてくることすら出来ないかもしれないので、人間としての最後の魂の思い出を作ってほしい。どうせ来世には、かつて自分は人間だったということすら忘れてしまうけれども。
ちなみに死者たちは、この「斉の広場」に永遠に居続けることはできない。
なぜならば、定期的に断層の下から津波が湧き上がってきて「斉の広場」にいる死者たちを谷底へ引きずりこんでしまうからです。
スピ系の人たちの中に、キラキラした霊界を語る人がいるかもしれない。
その人が本当にキラキラした霊界を見ているのか、単なる妄想か、それはボクにはわからない。
わかっているのは、
そのような死後の世界の知識を得ても、
キラキラした霊界に辿り着くことはできない
ということ。
「斉の広場」に辿り着く人は、地獄経由で冥界に辿り着くことになるが、冥界はキラキラした霊界とは異なる場所です。
座禅や、ブッダの呼吸法だとか、マインドフルネス瞑想がブッダの瞑想法・仏道修行そのものであるという戯言を信じて、いくらか心の平安を得て悟りを得たようなつもりになっても、キラキラした霊界には辿り着くことはできません。
残念ながら死後に辿り着く場所は「斉の広場」です。
運命の分かれ道は、悪因悪業・カルマを消滅させ、且つ、しっかりと善徳を積み、その結果として四沙門果の境界に到達しているかどうかです。