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【仏教:四諦】仏教のnoteを読む側に持ってほしい着眼点
仏教には「四諦」という思想があります。
「苦集滅道」という漢字四字で表現されています。
この「苦集滅道」の説明は、どこかにテンプレがあるらしく、コピペしたかのように同じことを書いている人が多いです。
コピペするのは構わないのですが、その中で「苦集滅道」の「道」を「八正道」と書いてしまうと、この人は表面的な部分だけを見て理解したつもりになっていることを証明してしまいます。
阿含仏教、原始仏教をさらに踏み込んで理解している人は「道」を「八正道」とは認識しません。さらに奥の世界を見ています。
また、四諦は縁起論と不可分の関係にあります。
この世界はカルマの法則によって苦界になっていると説明する縁起論があり、でも、その苦界を変えることができる具体的な方法があるよ!と訴えているのが四諦です。
縁起論と四諦の関係
このnoteでは、この図で説明していきます。
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縁起論の因
図の左上の部分です。
人は、悪因・悪業・カルマ・タンハーといった各種パラメーター値を持っています。
タンハーというのは、とてつもなく激しい執着と捉えてください。古来の説明では、砂漠で喉が渇いて死にそうになっている人が水を激しく求めるような心の状態とされています。
占星術的には、運命の星に該当する部分です。
縁起論の縁
図の左中央の部分です。
人は様々な「因」を持ち、すると、その「因」に対応した「縁」が発生します。
例えば、男女関係で苦しむことになるという「因」と持っている女性の場合、「妻子ある男性」と「運命の出会い」をしてしまう。
そういう「縁」が発生してしまう。
出会いたいという意志が働いた結果ではなく、自分の意志とは無関係に「運命の出会い」をしてしまう。
ちなみに普通の女性は「妻子ある男性」と「運命の出会い」をしません。
縁起論の果報
図の左下の部分です。
最近は「親ガチャに失敗した」という言葉があるけれど、親の側も「子ガチャに失敗した」と言いたくなることがあることを忘れてはいけません。
ただ残念ながら、家族はガチャではありません。
人は前世から持ち越した「因」に対応する「縁」が発生して、その親の子供として生まれてくるという「果」が生じます。
例えば、人を救う力を全く持っていないどころか、多くの人を不幸にしてきた宗教団体に属して熱心に信仰活動をした親の元には、教団全体の悪因悪業を背負ったかのようなモンスターが生まれるという「果」が生じることがあります。そのモンスターは元総理大臣を殺害し、その影響として、国家がその宗教団体に解散を命ずるという「報(果のあとに発生する影響)」が発生することもあります。
誰も、このような事を望んでいないのに、こうなる、という強制力が働くのが縁起の法則が持つ特徴です。
縁起論から四諦へ
縁起論は「今、あなたが、このような苦しい状況にある」のは、図で言うと、左上から左下に流れてきたからです、という法則の説明です。
そして「あなたの苦境を消滅させる具体的な手段がある」と説明しているのが四諦です。
四諦は縁起論の「果報」から逆に向かって、つまり図で言うと左下から左上に向かって見て、問題の解決は可能であると説明しています。
四諦の苦集
図の中央下と右上です。
哲学者気取りで仏教を語る人は「人生は苦である」で終わらせますが、それではダメです。
今、自分は不倫をしている。たぶん、まだバレていないと思う。
ダメだとわかっているけどやめられない。
という状況の女性がいると仮定します。
マッチングアプリか、職場か、友人同士の食事会か、出会いの場所は様々であるだろうけど、とにかく、妻子ある男性と運命的な出会いをしてしまい、深い関係になってズルズルと今に至る
四諦でいうところの「苦」の状態にあります。
どうして、このような「苦」の状態になったのかというと、この女性には、元々男女関係のトラブルを起こすという悪因・悪業・カルマを持っており、そのカルマが悪縁を生じる見えないエネルギーを集めて作用して、運命の出会いをするような環境を作ってしまい、お互いのココロが運命的な出会いを感じてしまう。これが自分の意志とは関係なく発生してしまう。
マッチングアプリをするとか、実際に不倫をするのは、その人の意志なのでは?と思うかもしれませんが、そうではなくて「出会ってしまう」、自分の意志とは関係なく問題が発生する「縁」が集まってしまうのです。
これが四諦で言うところの「集」です。
ちなみに普通の人は不倫相手が欲しいと願っても、出会えません。
四諦の滅
図の中央上です。
四諦の苦:人生がボロボロです。つらいです。苦しいです。
四諦の集:それは悪因・悪業・カルマが起因となって悪縁を集めているからです。
↓
ということは、悪因・悪業・カルマを消滅することができたならば、そこから生じる「縁」も変わるのですから、「縁起論の果報」「四諦の苦集」も変わり、即ち人生を変えることができる。
これが四諦の滅です。
四諦の道
そして、悪因・悪業・カルマを消滅させ、悪縁を良縁に変える具体的な手段、方法、「道」があります。
これが四諦の道です。
ここで「道」を八正道と説明するのは、薄っぺらい上っ面でしか阿含仏教、原始仏教を理解していません。
具体的な「道」、代表的な修行法は下記のとおりです。
・七科三十七道品(三十七菩提分法)
・三福道(三善根)
・八法十六法
八正道は、七科三十七道品の中に含まれている、手段のひとつです。
本質を理解しているならば、仏陀釈尊が説いた修行法全般を指して「道」と表現していることは明白なのであって、わざわざ八正道だけを取り上げる必要性はありません。
むしろ逆に八正道だけが「道」であると主張している、即ち八正道だけが悪因・悪業・カルマ・四諦の苦集を消滅させることができると主張している文章を見かけたならば、その人は完全に誤っているという着眼点を、文章を読む側に持っていただきたいです。
四諦を知ることで得てほしい着眼点
お釈迦様は悪因・悪業・カルマを消滅させることの必要性と、そのための修行法を説き、それが阿含経に残っています。
問題の解決、問題発生を未然に防ぐ。大難を小難に変え、小難を無難に変えようと思ったならば、図の左上と左中央に踏み込む必要があります。
即ち個人、家庭、国家国土の悪因・悪業・カルマを消滅させる必要があります。
これが仏教の四諦の本質です。
では、多くの宗教はどうでしょうか?
病気平癒等々の加持祈祷や、災害発生時やその他諸々に対する各種のボランティア活動は、左下の部分だけのやりくりです。
それはそれで重要な事柄なのですが、でも、それは縁起論と四諦の観点から見たならば問題の解決には繋がりません。
政治行政も左下部分のやりくりとなりますので、もし仮に熱心に政治活動をしている宗教団体が存在するとしたならば(存在するけれども)、その教団には縁起論や四諦の概念が存在しないのでしょう。
また政教分離を大原則とした日本においては、政治が左上の領域に入ることは許されませんし、そもそも政治で解決できる分野でもありません。
スピリチュアル系?の引き寄せの法則は「縁」を変えようとしているのだと思われますので、図でいうと左中央に対するアプローチであると思われます。しかしながら、その前段階の「因」を変えることはできませんから、どこかで限界に到達するはずです。
この考え方は、仏教に関するnoteやその他の文章を読む人が、是非とも持っていただきたい着眼点です。
この着眼点を持ち、その上で、色々な宗教を語るnoteや書籍を見ると、今までと違う視点から見ることができると思います。
過去のnoteと書籍のリンク
悪因・悪業・カルマを消滅させる手段の実践とは、どのようなものなのか?
目には見えない悪因・悪業・カルマを消滅させるとは、どういうことなのか?
という事が気になるのであるならば、さらに深く学ぶ必要があります。
下記の書籍、あるいはボクの書いたnoteを参照していただければありがたいです。
このnoteで紹介した縁起論と四諦、八法十六法を阿含経を知ることで学びたいと思われたならば、こちらの書籍を。
三福道(三善根)はこちらです。
悪因・悪業・カルマを消滅させるとはどういうことか?という実例はこちらのnoteをお読みください。