見出し画像

わかりやすい人、難しい人、深い人。

人と関わるとき、わかりやすい人だと思う場合がある。
その逆に、わかりにくい、難しい人だと思うこともある。

人付き合いではしばしば、わかりやすいことが求められる
リアクションが大きい人は特に好まれやすい。
何が嬉しいか、何に悲しむかを伝えてくれる人はとても付き合いやすい

一方で、わかりやすいことはつまらないとも言える
難易度の低いことを繰り返すと飽きる、なんてことがあるがそれに近い。
底が知れるという言葉があるように、人は底なし沼でなければ見限られてしまう

では難解な人であることが良いかと言うと、全くそうではない。
まず、近寄りがたい。発言の内容が高度であったりする場合、やはり同等のレベルを求められると考えてしまうからだ。
リアクションが薄く感情的でないなら特に、疎んじられる

わかりやすく、しかし解かり難い。
中庸の法則などと言うが、人間性というものはやはりそういったバランスが求められる。
感情がハッキリと伝わるし、考えも理解できる。しかしそのルーツがわからない。
そのような人間は敬意と共に親しみを与えるものだ。

底の知れない深みのある人間とは何か

底知れないとは、その人の井戸の深さを表すものではない。
文字通り、井戸の底が見えないことだ。
つまり浅くても、井戸が暗ければ底が見えない。
だから底が知れないだけでは、深い人間であるとは言えない

比喩表現で話したが、より具体的な例で話す。
ミステリアスな人、というものを想起してほしい。
彼らは自らのことを積極的に話しているだろうか?
普通よりも自己開示に消極的にあることがうかがえるだろう。
どんな人生を送ったか、どんなことを考えているか。それを見せず、相手に想像させる人が「底知れない人」である。
ただし、自己開示に消極的であっても社交性は求められる。
社交性もなく自己開示に消極的な人は、その井戸の存在すら知られない。
あくまで井戸を見せて、その底を見せないのが重要なのだ

ではミステリアスな人が深い人であろうか?
いや、そうではない。彼らは想像させるだけである。
なら深みのある人間とは一体どのような人間か?

深みのある人間は自己開示をするし、感情表現も豊かである。
その点でミステリアスな人からは遠ざかる。
しかし幾度の自己開示を経ても、未だに相手に底を悟られない
井戸の中を見せながら、しかし底が見えないような人間

「自分の経験に思索を重ねる人間」こそが、深みのある人間である
誰もが挫折を経験するだろうが、その挫折についてより多くの思考を巡らせた者が深みのある人間として認められる。
そういった努力の末に、深みのある人間だけが
平易な経験を難しい言葉で表し、特殊な経験を平易な言葉にまとめる
といった能力を得る。
日常の些細な出来事を哲学的な言葉で語ったり、逆に、生死に関わるような壮絶な経験を淡々と語ったりするのだ

そうなりたければ、文章にすることが重要である。
文章化は人間性の成長に多くの良い影響を与える。

深い人間になれば、自分に満足ができるようになる。


いいなと思ったら応援しよう!

ないあん
いただいた分だけnoteに割く時間が増えます。ありがとうございます。