栗の思い出話(12月9日月)
きのう天津甘栗をむいて食べていたら、いろいろなことを思い出した。
私が幼い頃、祖母や母が大きなお鍋で大きな和栗を茹でていたな。茹で上がった栗は包丁で半分に切ってくれた。その中身をスプーンですくって食べた。ほくほくでおいしくて、薄皮のぎりぎりまで真剣にスプーンを入れて、残さずきれいに食べた。きれいに食べなさいと言われなくても、おいしいから、自然とそうなった。
栗には時々小さい黒い穴があった。「虫が通った跡」と教えられた。跡だけでなく、実際にダンゴムシの小さいような生き物が、ぼろっと出てきたこともある。「虫も食べるほどおいしいんや」と言われ納得した。幼い頃だったから、そんなに怖がることもなく、そんなものかと思った。
私は栗を茹でて食べることをしなくて、きれいな商品の栗しか買わないので、虫との遭遇がなくなっただけ。そこまでにしてくれている人たちにとっては、穴の空いた栗なんて普通かな。
むかしむかし、落ちているイガグリの外皮をむいて、ころんとした中身を取り出して、また皮をむいて、その中身は栄養満点でおいしいと発見した人、偉い。
祖父母の家は丹波地方の一角にあり、栗の木もあった。栗ごはん、栗おこわ、おやつに茹で栗、いっぱい食べさせてもらったなあ。
栗をむくという作業はとても面倒だし、加工にも手間がかかる。だから、栗を使っている和菓子や洋菓子が結構なお値段することはよくわかる。
おせち料理定番の甘露煮、瓶詰めにされて、すぐに食べられるようにしてある商品も、びっくりするほどお高い。当たり前ですね。
幼い頃から、おせちの中で一番好きだったな。黄色は目立って華やかで、甘くて、やっぱり食べたくなる。「1人1個」と釘を刺されて、1個は確保して、最後のお楽しみに食べた。今はいつでも食べられる。