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#05 千年の柱と少年たち(イチャン・カラ)

城壁の中を上機嫌に歩く。

ここが宮殿、ここがあの「ハーレム」。
天井の高い建物はラクダごと入れる隊商宿で、この古い扉をくぐりぬけると…豊かなお茶のいい香り、軽食つきの広いカフェだ。
塔をめざす。野良猫が走り去る。暗くおおきな扉が開いている。

遠慮がちに薄暗いモスクをのぞくと、花や草木のアラベスク模様が彫られた木の柱が何百と連なっている。

案内によると、213本の柱のうち7本は千年前につくられたそうだ。どれが千年前の? 忍び足で探して歩く。どうやら、年季の入った柱はあたらしい柱へと取り替えられているらしい。金属で補強された数百年前の柱や、いよいよしんどくなって隅に寝かされている柱もある。

”知的好奇心のある観光者”の役を演じながら、内心では場違い感にいたたまれなくなる。千年続くイスラムモスクだ…。挙動不審にならぬよう姿勢をただしてゆっくり動くが、どうも物音や人影に敏感になる。

ぎこちなく柱の写真を撮りまわっていると、真上の塔から声がひびく。波のような抑揚の声。これはおそらく礼拝時間を告げる知らせだ。

ぽつりぽつりと、城壁内の住人たちがあつまってくる。祈りの時間に居てはいけないと焦って外へ出ようとするが、「観光客は居ていいんだよ」というモスク係員の合図に甘えさせてもらう。笑われてしまった。人々の慣れた仕草で、ここでの礼拝が日課とわかる。

このジュマ・モスク(Juma Mosque)は中央アジアで最もふるく、10世紀頃のイスラム寺院なのだという。

約千年前。ひと世代を30年として、私の母の母の母の…母母母母母母母母母母母母母母母母母母母母母母母母母母母母母母母、これだけ遡って千年前だ。気が遠くなるほど前なのに、彫られた花がこんなに残るくらいには近い。

お礼を言って外に出る。やたらと明るく暑く感じる。
立派なひげの帽子売りの男が、独特のアクセントで毛皮の帽子を売りこんでいる。あのモスクの静謐さが夢のようだ。
売店でファンタオレンジを買う。この冷たさ、この炭酸、このケミカルな味!いかにも千年後って感じ。

RPGゲームであたらしい町に到着すると、私はすべての建物をたずねるが、現実世界はそうもいかない。とはいえこの町イチャン・カラでの散歩はそれに近しい感覚がある。

ここはイスラムの“博物館都市”である。数百年の歴史をもつ遺跡群が改修保存され、いまでも現役利用されているのだ。450m×650mの城壁内に、王宮やモスク、神学校や塔などの古代建築が50以上ひしめいて、250以上のふる古い住居にはいまも人々の生活がある。

こんなにも歩くのがたのしい町は他にないんじゃないか。サッカー場4つ分ほどの城壁内という制約が、この町の魅力を凝縮させているのだろうか。

ぼんやり散策をつづけていると、あのジュマ・モスクで見た木の柱が寝かされているのを発見する。興味をひかれて駆けよると…彫りが浅くてまろやかだ。きっとだいぶふるい。どうして野ざらしに置かれているのだろう。じっと観察していると、一人の少年に話しかけられる。

「ついてきて」のジェスチャーをする少年を追って門をくぐってみると、そこは静かな木彫工房だ。

まさにあのジュマ・モスクとおなじ形の柱を彫る職人少年たちがいる。
10歳、12歳、リーダーと呼ばれている青年は20歳くらいだろうか。一本の丸太に鉛筆でアラベスク模様が下描きされている。ノミと槌の手さばきをみれば、彼らが熟練した職人であることは明白だ。

あの千年前の柱がいまここでつくられている。伝統模様のあたらしい柱。千年前のあの模様だ…。時間感覚にぞくぞくする。もしも私が彼らだったら、いま自分が彫っている柱もこの町に200年以上残ると信じられる。だって町中がうつくしく、ふるい柱で支えられているのだから。

私は東京からの旅行者だ。
建っては壊されるビル、つねに流行の姿に生まれかわる街並み。私は新陳代謝の激しいメガシティ・東京が好きだ。探索心に事欠かない。

そんな東京で約10年、私は絵を描いては売った。
著名なギャラリストにお会いした時に「きみが金属で作品を作るならウチのギャラリーで取り扱ってもいい」と言っていただいたことがある。なぜ金属なのですか、と訊ねると「芸術は未来永劫、後世の歴史に残るからだ。強い素材でつくられねばならない」とおっしゃられた。
私は疑問をもった。作品が残るためには、それを守る人々や施設の維持が必要だ。戦争が起これば金属は溶かされて銃弾になりはしないか? 私には「未来永劫歴史に残る」という信念が受けいれられなかった。

また、思想家や芸術家が「あいつの仕事は残らないけど、俺のはきっと歴史に残る」と言って、議論を切り上げる場面を何度か見た。「歴史が証明してくれる」というセリフが議論を終わらせる機能をもつのはなぜだろう。
どうせ何にも残らないのだという無常観と、その不安に抗おうとする意思、未来に結論を託さざるをえない切なさを感じてしまう。

千年の柱の町に住む職人少年たちにとって、あたらしい柱を彫ることは「歴史に残す」特別なことではなく、しかし自然に「そこそこ残る」ことが前提となった営みなのだろう。

きっと100年、修復されて200年…。
これはあくまで観光者の憶測にすぎない。しかし私の妄想の中で、200年はほどよく希望的でちょうどいい時間感覚だなとしっくりきた。200年残って朽ちる草花を彫る。これは等身大の永続性だ。

「歴史に残る」ほど大それていなくて「どうせ何も残らない」ほどの無常観ではない。永遠への盲目的な欲求ではなく、いくつかの時代を超えるたしかな希望。そんな時間感覚でものをつくれたら、ずいぶん気持ちよさそうだ。

当然、イチャン・カラと東京とでは200年の時間感覚におおきな差異がある。東京で200年を信じることはむずかしい。夢のまた夢、ほぼ無理な夢。たった10年すら信じさせてくれない東京で病んでいってもつまらないが、胸にイチャン・カラを思い出せるのは力になる。

工房の一室にならべられた小さな木工品の中から、鍋敷きをえらんで購入した。あのジュマ・モスクの花と葉が彫られている。東京の部屋の壁に飾ったそれを眺めながら、いまこの旅行記を書いている。


(イチャンカラ、ヒヴァ、ウズベキスタンにて)

























臆病者紀行―好奇心と不安の旅行記

〈01〉ウズベキスタン前夜
〈02〉砂漠のスイカ、砂漠のメロン(ウズベキスタン)
〈03〉サマルカンドにて(ウズベキスタン)
〈04〉きみは360°の地平線を見たことがありますか(カラカルパクスタン)
〈05〉千年の柱と少年たち(イチャン・カラ)
〈06〉饅頭ホテル(富山)
〈07〉刑務所文化祭の衝撃




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