2021年を振り返って
12月31日23:59に締め切りの英語のレポートを23:56に提出し、ほっと一息ついたところ、テレビから荘厳なハーモニーと共に、新年の始まりが告げられた。
新年、最初の朝を迎える前に、この一年を振り返ろう。
振り返りの前に、皆さんにひと言。
一年間お疲れ様でした。
目標に向かって順調に進んでいる人、思い通りに事が運ばず消化不良に終わった人、とりあえず今年も何とか生きた人。
寒い12月を一緒に超えることができて、あなたがそこにいてくれて、嬉しく思います。
さて、かくいう私は、ようやく井の中から出て、自分の小ささを知った蛙だった。
今年の3月に実家を出て、全国のシェアハウスを巡り、ついには国を出て、comfort zoneから離れてみた。
新しい土地・刺激的な出会いの毎日のなか、いちばん本気で向き合っていた時間が長いのは自分の内側である。
自分を問い、問われ続けた一年だった。
私は何者?何が好きなの?どういう人に惹かれるの?何をしている時がいちばん心地いいの?私の苦手はどこから生まれてくるの?
自分が興味を惹かれる人に、同じように興味を持ってもらいたくて。そうだ、彼らと同じ風に考え、洗練された意見を持ち、一目置いてもらえる存在になりたかった。
でも、なんか違う。
私から出た言葉は、本当に私のものなの?
私は、意見を持つ前に、「輪郭」というものをはっきり持っていなかった。(以前は持たずにうまくやれていた)しかし、それではダメだ、と気づいたのだ。
それからは自分というものの再構築に努めるようになった。自分磨きとも言えるのかな。あくまで内面のだけれど。
そこで、私は何者かになろうともがいていた。私の周囲には憧れのひとがいて、その人の思想、哲学、心を取り入れたいと思っていたし、その人に似た、近い人になろうとしていた。
しかし、旅をするなかで、何者かになる必要はないということに気づいた。「あこがれの人物像」に「近づこう」と、現実とのギャップを少しでも埋めようと苦しむ必要はない。
私がどんな手を使っても、その人にはなれないのだ。
あこがれの人がいて、その人に寄せたり、近づけたりするすることで自分というものがぼやけてしまう。
私は、いままで、「自分」と「なりたい人物像」の間で、どっちつかずの迷子になってしまっていた。
私は、自分、に焦点を当てて、この子が好きなこと、やりたいことを素直に聞いて、素直に従い、自分らしさを育ててあげようと決めた。
そうすると決めてすぐ、身に着けるものが変わってきた。赤いデイジーのスカーフ、肩パットの入った昭和チックなジャケット、まっ黄色のタイツ。
あと、これは感覚的なお話になってしまうんだけれど、自分の心の声がよく聞こえるようになった。心から素直に言葉が出てくる。
あと一番大きな変化は、周りの動きが気にならなくなり、将来に対する焦りがなくなった。ん?いいことなのかな、これ。
まあとにかく、この一年で自分の軸がやっと見つかったような。
あとはどんどん肉付けをしていこう。そしたらいままで探していた「何か」が見つかるような気がする。
一年の振り返りというトピックから少しズレてしまったが、まあそんなもんだ。
追加することがあるとすれば、出会ってくれた人への感謝かな。
ちょっぴり暗い文章になってしまったかもしれない。が、この一年が暗かったということでは決してなく、間違いなくいちばん実りのあった年だったと断言できるほど素晴らしい一年だった。
何より、人生の中で近くにいなくても大切にしたいと想える人に、何人も出会えるなんて!胸を張って自慢できる素敵な人たち。みんなそれぞれの暖かさを持っていて。その人たちとの出会うきっかけ、第一歩を踏み出したのは、紛れもない、自分なのだ。
しかも、その素敵な人の懐に入れてもらえるくらい私にも素敵なところがある!なんて、今年はそのくらい傲慢に生きたいわね。
つまり、一年前の私、ありがとう!私が、私以外のみんなを特別だと感じるように、私も特別なのかもしれない。特別に、special な人間になろうとしてない場合でもね。
そして、私に関わってくれた皆さん、本当に感謝しています。
できることなら、このご縁を続けていきたいです。
直接、ご挨拶することはかなわないかもしれませんが、この場で、心からの感謝をこめて、新年の挨拶とさせていただきます。
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