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母親のこと好き? 幼少期の私のネガティブ体験 自己受容 親との関係

自分に向き合うこと、コーチングに向き合うことに全力集中しているnahoです。ジョブレス2ヶ月目です。

両親のことは好きで当然。
特に子どもは皆、お母さんのこと大好き。

そういう思い込みはありませんか?また、両親のことが好きかどうか考えたことはありますか?
「毒親」という言葉があるように、必ずしも親との関係が良好な人ばかりではありません。
外から見て、私は両親との関係が悪かったとは思いません。
両親は経済的なことが原因で理由で離婚はしていますが、愛されていたと思いますし今も母親との関係は悪くありません。父親とは離婚以来会っていません。

結論、親子関係に大きな問題を抱えていたとは思わないけれど、母親のことが好き100%、大好きではないと思います。


きっかけは父親のことが好きだという気持ちに気づいたこと

両親は私が大学生の時に離婚していて、それ以来一度も父親に会っていません。また、離婚の原因(借金)は父親にありました。
幼少期の親との関係を振り返った時に、父親とはどうだったか?と父親にフォーカスを当てた時に、父親のことを思い出さないようにしていたこと、そこにある好きだという気持ちに蓋をしていたことに気づきました。

そこで思ったのが
「私は母親のことは好きなのか?」ということです。
今までそんなことを考えたことはないし、好きなものだと思っていたからです。

私は母親のことがそんなに好きじゃないかもしれない。
疑問がわきました。

母親のことが好きじゃない?

私は母親のことが好きなのか?というか嫌いなのかも?
「母親にもっと構ってほしい、甘えたい私」と嫌いとまでは言わなくても、好きじゃないのでは疑惑。

子どもの頃の私は、
もっと「構ってほしい甘えたい」と思っていたと最近の振り返りやコーチングセッションで分かったし、抱きしめて頭を撫でて欲しかった

そのままの私を肯定する言葉をたくさんかけて欲しかった。「かわいいよ、よくできたね、上手だよ、頑張ったね、大好きだよ」っていう言葉が欲しかった。

結論、母親としてみる場合に好きの感情はあまりなくて家族としての愛情はある。
ただ愛情を「好き」という言葉に置き換えるのは違って、家族愛がある。

これは、今の大人になった私が心と頭で考えてみた結果です。 

母親のことが嫌いなんじゃない?

母親のことが嫌いなんじゃない?
と、「嫌い」という言葉を使うことですら抵抗を感じています。

なぜ抵抗を感じるのか?
やっぱり「子どもは母親を好きで当然だ」という刷り込みがあるからだと思います。
「嫌い」っていう言葉の持つネガティブな力の大きさが怖いから。

なんで怖いの?

「嫌い」と言い切ってしまう程の負の強い感情っていうのはなくて、嫌悪感とかこういう所がイヤだなって思うことはあるけれど、丸ごと嫌いな訳じゃない、そういう面もあるって感じだから。
嫌いって言い切る程でもない。そこまででもない。それが近いです。

じゃあ、どんな所がイヤ?

・依存的な所。
・助けてもらえるのが当然って思ってる節があること。
・自分の価値観を押しつけてくる所。
・それ以外の考え方があるなんて思ってなさそうな所。

でも、これは私にも原因•責任があって、親の価値観から出れないから従う、自分のしたいことを抑えて母親の言うことをきいてきた時間がある。
母親1人でそういう状況を作った訳じゃなくてお互いの関係の中で作られてきたと思う。

私が母親を助ける、支えるという立場をとってきたから。
子どもっていう立場を私が自分から早いうちに捨てて、そうしてきたと思うから。
中学生位には経済的に苦しくなってきていて、「優等生である私」になってたし鋼の責任感があったから。
母親を守る、支えるっていう方向にシフトしていたと今考えたら思う。

それと、私も母親に依存してきたと思う。お互いに依存してるし支え合ってもいた。加えて母親は私に対して過保護でした。
過保護、妹に去年そう思ってたって指摘されるまで私にその自覚はなかったです。

じゃあ、そうやって守るんだ支えるんだって
お母さんのお母さんをやってたんやね。」

そう言われたらすごく状況を説明してると思う(これは人から言われたこと)。
そっかー、私お母さんやってたんやなぁ、って諦めというか遠い所を見つめて、たそがれるような気持ちになる。受けとって、ちょっとだけ悲しい。そんな気分。

私は、子どもじゃなくてお母さんになってました。
母親を背負っていくのは私って思ってたから。

父親と離婚して妹が結婚して、私が離れたら母親は1人になる。経済的にも自立できるのかなって思ってた。

子どもを産んだことがないから母親というものを完全には理解してないけれど、「お母さんは私がいないとだめだよね?」って思ってた。
母親を助けられる、支えられる私が好ましいものだと思ってた。
私の存在価値をそこで与えてもらってた。

私は「子どもじゃなくてお母さんのお母さんになってました。」
って実際に言ってみてどうかというと、言ってみるとスッキリした。
明るく「やってました~てへ。」みたいに感じられる。

「子どもっていう役割を私はやりたくて、子どもとして扱ってほしい」って以前のコーチングセッションで話していて、実際に母親は子どもとして私のことを扱っていない訳ではないけれど、そうは見ていない部分もある。
自立した大人だから。

それと、私も母親を支えるっていう役割を完全には降りられないし、降りたくないのが今の気持ち。
支えるっていう役割に、「お母さんのお母さんだった」という説明がされたことによって、より客観的に考えられたし、降りられないけどお母さんはやめようって思った。

じゃあ、お母さんやめてどうする?

親戚のおばさん位の距離感がいいかな~。困った時にちょっと頼れるみたいな。友達ほどの近い距離は今の私は無理かもって思う。そこまで近くで支えたい気持ちがわかない。
友達よりもドライな感じ。

それと、私にそこまでの余力がない。私のことを私が一番に考えて、優先する。わたしがやりたいようにやる道を歩こうとし始めていて、まだそれがなじんでないから。今はそれが一番大事だから。

親戚のおばさんになるのは、やっぱそこまで好きじゃないに関係してそう。

母親のことを大好きだと言えない自分に対して、私が悪いのではないか?という気持ちがあったのかなと思います。
母親のことは好きで当然、そう思えない私がダメなのでは?
母親との関係を変えたい、離れたい、息苦しさがあったのに、それを言えなかったし、離れるのとは見捨てることだと思っていました。

見捨てることなんて出来ないし、してはいけない。だから、私は私の人生を生きられないような気がしていたと思います。
自分が自分らしく生きられないことをどれだけ人に責任押しつけてるんだって今は思います。が、なかなかしんどかったんだなーと思いました。

私の自己否定につながりがありそうです。
母親と離れたい、好きじゃない私は悪い子どもだ。

依存的な関係は変化している

今は実家を出て物理的に離れたことで、お互いの依存的な関係性は少し変化していると思います。
母親にも自立するという自覚が芽生えたはず。

そして私が思っていたよりも母親は自立できるというのも理解しました。
私以外にも母親を支えてくれる人はいる。
私が思っていたよりも強い。

対等な関係になりたいは違ってて、「子どもと親の関係になりたい」と直近のコーチングセッションで話しました。

では、今そうなりたいか?というと違うような気がしてきました。
「甘えたい」は、心にママをお迎えした(また別のnoteに書きます、サブパーソナリティ的なことです)ことで、そこで満たせるって分かったからです。

現実の母親に対して親戚のおばさんポジションで今は行きたいって思ったので、無理に現実の母親にこだわる理由がなくなりました。  

子どもは皆、母親が大好きだという刷り込み

子どもは皆、母親が大好きだという刷り込みについて考えます。
これ、幼い頃に盲目的に親のことを好きな子どもに対しては、当てはまるのかもしれないけれど、必ずしもそうじゃないよっていうのは大人になったら受け入れて良いと思います。

冒頭に書いたように親子関係が良好だとは限らないし、親子であっても別の人間なのだから合う、合わないが出てくるのは自然なことだと思います。
母親に、「お母さんのようになりたくない」と言ったことがあります。大学生の時くらいだったと思います。
これ、言ったらいけない言葉だったと思っています。
経済的に自立できていない、だから人生の選択肢が限られている。そういう生き方をしたくないという意味でした。

お母さんのようになりたくたい

今でも時々思い出す、母親に対する悪いことしたなって思う言葉です。
反面教師にして生きようとしていたと思います。子どもの私からは見えていないものがあったのかもしれません。

だけど、当時の私はそう思っていました。
怒りの感情からそう言いました。

そういうなりたくたいという感情から、私は自立という所にこだわるようになり、1人で生きていけるようにならないと、って思ったのだと思います。

自立できない人はダメだ
私は自立しなければならない


という思い込みが出来上がった。

もし私が子どもを産んで母親になるとしたら、私の母親のようになりたい?

そもそも子どもを持ちたいとあまり思っていないので、どんなお母さんになりたいか?ということもほとんど考えたことがありませんでした。

けれど、母親のような母親になりたいか?
と考えると

即答でNO

これが直接母親のことを好きじゃないにはつながらないけれど、1つの考える時の補助線にはなるのかなと思いました。

もっと分かりやすく愛情表現をする母親になりたい。基本スタンスが全肯定が良い。

心にお迎えした理想のママみたいになりたい。

まとめ

母親のことをうっとうしいな、こういう所がイヤだと思う負の感情全部を悪いことのように無意識のうちに感じていたと思います。
それが、私の母親に対するそんなに好きじゃないを隠していたのかなと思います。
また、母親を嫌いになるなんてありえない、好きで当然だよねという呪いも結構きつかったと思います。

母親との関係は変化していくし、家族愛があれば今はOK。
好きか嫌いかの2択ではなく、人間なんだからイヤな所も好きな所もあるよね~でいいじゃんって思います。
全部を好きでいなくちゃの呪縛が解けました。


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