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私にとって「成長」とは何?(クライアント) コーチング
コーチングの学びとクライアントさんと出会うの両立を実験中のなほです。
毎日楽しいが向こうからやって来ます。
練習させてもらいました。
コーチには守秘義務があり、コーチングセッション(コーチと2人で対話する時間をこう呼びます)で話したことが外に出されることはありません。
このnoteは、私がクライアントとしてコーチングセッション(練習でした)を受けた記録、それをさらに深めた内容です。
成長、私にとって大事な物なので過去何回も考えてきたのですが、
①価値観を考え直さなきゃと、
②コーチングの学びにおいて、楽しく成長していきたいと思っているので、向き合う必要があると感じています。
あなたにとって成長とは何ですか?
成長と聞いて、どんなイメージを持ちますか?
上記の質問に対する私の答は本文に書いています。
けれど、人とは違うイメージを持っていたり、私にとっては大事なものだと思っていたけれど、人によってはどうでも良かったりするのかなと思いました。
私にとって「成長」とは何?をテーマに話をしました。
過去の私にとっては必要なものだったけれど、今の私にとっては「成長」は手放せるものだと思えた。
楽しく、好奇心にあることを学べる、吸収できることが大事。
仮に成長できなくても私の価値が損なわれることはない。
今までの私が考えている「成長」とは
成長において、私が一番重視しているのは「広がり」だというのは認識しています。深めたり精度を上げるという方向の成長もあるけれど、私にとっては新しいことを知る、出来るようになる=成長と捉えています。
そして、成長を目的にするとそれが叶わない状態になった時に自分が立ち行かなくなるから、成長を目的にしてはいけないと思っています。
成長の天井が見えてきたり鈍くなると私は焦っていました。
私にとっては大事なことなのに、それをすると破綻するの学習があるのでそう出来ない、してはダメだと思っています。
▼セッションでは話してないこと
これ、書いてみて感じたのが過去においては、「成長」を目的にすることで破綻したけれど、「今の私」はどうなんだ?
「成長」出来ない、したいけど出来ないみたいになったら焦る?
焦らないかもしれない…。焦らないかも。どうしたら良い?ってしんどくならないかも…。なんでだ?
成長、そんなに大事じゃないのかなが1つ。
成長出来ないが起こらないと思っているのが1つ。
そこにしか価値がない(仕事で成長する、仕事が出来る私、仕事しかいらない私だったから)って思っていたから焦っていた訳で、今の私はそこ以外にも価値あるよね?
これかもしれない。
たとえ成長し続けられなくても私にはそこにいるだけで価値はある。
まだそれが何なのかはちゃんと分かっていないけれど、その私は私の一部であって、全部じゃない。
成長出来ないが起きたとしても、それはある分野においてであって、他の所でなら、私は成長出来る所がたくさんある。
それに、「全てにおいてもうこのままで成長は今日で止まりました。」
となっても、今の私にはすでに出来ることがある。
掴めたかもしれない。
「学び続けたい」もあって、全然仕事に直接関係のない勉強会にさくっと参加したりするけれど、それは興味があって学びそのものが楽しいことだから仕事につながらなくても私の中では全然良い。そこで完結しているから。
「好奇心」につながっている話で、好奇心は抑えて諦めて生きていたけれど、それを辞めたので今の私の生きる指針です。
成長がないと生きていけない、と思っていたけれど、なくても生きていけるかも?
とコーチに問われて思いました。
ここ深めてはないのだけど、この話から私は、停滞やそこに留まり続けるということが苦手だと話しました。
(成長がなくても生きていける?のこの質問、セッションでも投げかけられてるのにこの時にピンとこなかったのはなぜ?)
コーチングにふれるようになって以前よりは出来るようになってきたけれど、前に進むことが大事。進み続けていたい。
今書いてみて思うのは、この前に進み続けたいは私の大事にしたいことではない。今までは大事だと認識して生きてきたけれど、違うんだよね。
となると、「成長」なくても良いのか?
私の見ている「成長」のイメージはちょっと違う?
成長すると、私の体はどんな風になる?
と聞かれると「広がる」だったら、膨張するだよなと思ったけれど、私は膨張しない。
雨が降ってきたらそれを全部吸収します。って話しました。そんなイメージ。
吸収したら潤う。
「吸収」ここで出てくるのかぁってなりました。
前にも出会っている「言葉」です。価値観について話したコーチングセッション(コーチと2人で対話する時間をこう呼びます)で出てきています。
「成長」っていうきらきらした言葉よりも「吸収」にした方が良いのかもなと思いました。
コーチが「吸収」という言葉をちゃんと拾ってくれました。そこに力が入ってるってフィードバックしてもらって、核心をつかれました。
水やりする
「潤う」「雨が降ってきたら」という言葉から想起されたのが、「水やりする」という言葉だったので、それについても話しました。
私は、「自分に水やりする」という言葉を使っていて、それは自分で自分を褒めること、承認することです。
「水やりしてくれる人のそばにいたい」と書いたこともあり、それは自分を褒めてくれる、承認してくれる人という意味です。
自分で自分に水やりできるようになりたいと思っています。
やっぱり水やりしてもらっても潤うよね。
吸収しても潤う。
けれど、吸収できない時もあるのでは?
というようなこともコーチに問われました。
これちゃんと答えてない。今考えてみると…
どんな時に私は吸収できないのか、ぱっと浮かぶのは自分が不調な時、それも心が健やかではない時だと思います。
じゃあ、どんな時に不調なのかと言えばストレスがかかっている時だよねってなるので、「健やか」であるのが大事なんだろうなって思います。
これは夏まで価値観に置いていたのでそこに引っぱられている可能性もあるけれど、自分が楽しくいられないと、吸収が出来ないかも。
TKA(手術です)の手順は、仕事上覚えて出来るようにならないといけないし、それが出来るようになることは外から見たら成長だし、私もそうだと思っていたけれど、出来なかった。それは心が病むくらいにはストレスがかかっている状況だったからだと思います。
吸収したい時って、興味があるから吸収したいし、成長したいもやっぱり興味があるからが基本にあるなと思います。
興味のないことにおいて成長したいって思わない。
だったら、やっぱり「成長」の条件というか、「吸収」の条件は私が楽しいとか好奇心のあることに限られる。そして、調子の良い時。
「成長」という言葉の力
「成長」という言葉の見せてくれる希望や明るさに私は夢を見せてもらっていた、今までの私は確実に助けてもらってきたけれど、「成長」ではないのかもしれない。
書いてみて思うのは、私にとっても大事だけど、それは他者から評価されるために成長が必要だと思っていたが正しいなと思いました。
腹落ち感かなりある。あの頃の私が成長にこだわっていたのは、純粋に出来ることが増えて楽しいもあったけど、そこには期待にこたえられているがあったと思います。
成長することは必要だし、楽しく成長したいは本当にそう願っているけれど、生きていくのに不可欠ですか?と言うと違うのかもしれない。
価値観として大事にしたいのか、と考えると違うのかもね~が書いてみて感じることです。
けれど、「成長」を手放したくないと話しました。
話したけど、書いてみた今は手放せると思いました。
今の私は「成長出来ない、今日で成長は止まりましたよ」と言われても、大丈夫かもと思えたからです。
これは、やっぱりコーチングを今まで受けてきたからそう思えるようになったと思います。私が変わったからです。資格や仕事に依存してそれによって自分の存在価値を見出していたけれど、そうしていたことに気づいて、距離を取れたからです。
「好奇心」とは親戚の距離か
親戚なのかなと話しました。近い感じがしたからです。
「好奇心」は生きる指針です。と答えてて、じゃあ、「成長」も生きる指針かって言われたら、ちょっと違うってなりました。
けれど近い距離にはいると思ったので、親戚かもしれないと答えました。
まとめ
私の思う成長をイメージしたことはなかったので、コーチのおかげで見えました。「吸収、広がり」という言葉にはなっていたけれど、それによって私は上に伸びたり膨張したりしない。
雨のように降ってくるものを吸収するし潤うけれど、木が成長するようなイメージはなかった。
そして、それはコーチに言われないと気づきませんでした。
セッションが終わって離れてみると、一般的には成長でイメージすることって背が伸びるとか木が成長するというような大きくなるイメージだよねっていうのは分かる。
そして、成長第一主義は手放せると思いました!!
成長が大事なものではあるけれど、目的にしてはいけないだったり、けれど成長が欲しいと思う私は手放して、「成長はなくても大丈夫だよ」って私にそれを許したいと思いました。
うん、許していなかったんだな、多分。
だから焦っていたしその自分を受け容れられないし、停滞はダメだ、留まりたくないになっていて、前に進み続けたいにつながっている。
前に進み続けるって私の中では休まずに泳ぎ続ける魚のイメージで、しんどそうです。
「成長」を価値観とするのかということも、うっすらと持ちながら話していたけれど、価値観としてはいらないもはっきりしました。
コーチングめっちゃ面白い。
過去に引っ張られていたなと感じます。
コーチング学習において「楽しいと成長の調和」の道を歩きたいというのは、そう出来ないかもしれないからそう決めたのですが、歩ける。
なぜなら成長にこだわらなくても良くて、もちろん学ぶからには成長は大事だけど、留まることも横道にそれることもしても良いし、転んでも良い。
成長はマストではない。
成長するには痛みや辛さを経験しなければならないというまた別の気持ちもあるのですが(だから楽しく歩いて行きたいになる)、それについてはここでは置いておきます。
コーチが、おおらかでゆったりと優しくいてくれました。
初めてご一緒したのですが、私の見ている世界や大事にしていることを共有してくれようとしているとすごく感じました。
コーチのペースがゆったりだったので、私はもしかしたら困っているのかな?と思った(実際はそうではなかった)ので、たくさん話した場面もありました。しかしそれはコーチングセッションは2人で作っていくものだと思っているので、そうしました。
コーチの人となりが理解出来れば、そうは感じなくなるのだと思います。
コーチが安心感を与えてくれたから私が大事にしていることは好奇心だという内面の深い所に行き着いたと思います。
また、どの道を歩く?と提案してもらったことも私にとってありがたかったです。
「成長を目的にしちゃダメだよ、それで痛い目にあったよね」の私と、とは言え「成長したい」私がいると最初に話して、折り合いをつけたいと話しました。その声を聞いていくか、成長の輪郭をはっきりさせるかを選ばせてもらいました。
私は後者を選びました。少しそこに近づくにはコーチとのパートナーシップ(信頼関係)がまだないかもなーと思ったからです。
コーチに感謝です。
今月体験セッションをご案内予定です。
私のコーチングの学びを一緒に歩いてもらえる継続クライアントさん(指導を受けるために録画にご協力頂ける方)を探しています。
ご興味のある方がいれば、プロフィールのXのDMよりお声がけ下さい。
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