自分という「物語」を生きるには? ナラティブの視点から
コーチングに全振りしているnahoです。有償でコーチングを提供するに挑戦中です。
私が借りている言葉の力だと「私を生きる」が近いと思います。
どんな物語を生きていますか?
その物語、楽しい?
楽しい時もあったけど、今はしんどい?
この先のページをめくるのは、わくわくする?
それとも、あと何ページめくったら展開変わるのかなーって先が見えない?
仕事、このままで良いのかなぁってなってる?
今は見えなくても、楽しくなくても大丈夫。焦らなくて大丈夫。
あなたがあなたの物語を生きているなら、それだけで心配いらないです。
株式会社SUNABACOの中村マコトさんの講演からの学びです。「どうやって始める?最初のお仕事の第1歩」をオンラインで聴講しました。
ナラティブという言葉で、自分の物語を生きることについて教えてもらいました。
「自分から見た」物語を生きるということ。
自分のナラティブに従って生きることが、人生の充実、幸福につながります。
ヒトはナラティブの動物
ナラティブは「物語」と訳されることがあるけれど、正しくは
自分から見た「物語」だそうです。
だから、仕事が頑張れないのは
自分から見て無意味なことになっているから。
自分から見て無意味なことをするのは、ヒトは辛い。
刑罰:穴を掘らせる→埋めさせる→隣にまた穴を掘らせるを繰り返す→発狂する
これが刑罰として成り立つのは、無意味だと感じることを強制されるからです。
仕事がしんどくなったり、頑張れなくなるのは、
「何でこれやってるんだっけ?」となるから、と教えてもらいました。
「分かる。」
ってなりました。何をしているのか自分が大きな歯車の一部になってしまって全体像が見えなかったり、やってる意味が感じられないと、途端にそれは仕事でも何でもなくてただの作業にすり替わります。
反対に同じことをしていても、それに自分なりの意味が見出せていれば、それは自分から見た「物語」となり、意味づけがされて楽しかったり意義のある活動となります。仕事をこなしているのではなく、仕事をしている状態と言えるのではないでしょうか。
「無意味が辛いことだ」というのは、感覚としては誰でも経験があるのだろうと思います。
けれど、教えてもらわないと、そういう作業になってしまっていることも自分がそれに苦痛を感じるのも仕方ないと思っていたけれど、仕方ないことなんかじゃないんだ、と気づかせてもらいました。
自分のナラティブに従え
自分で考えたこと、やりたいことは頑張れます。
これは、自分から見て意味のあることだからです。
自分のナラティブに従うとはつまり、自己決定感と自己重要感にもつながります。
自己決定感が幸福につながるというのは以前のnoteに書いているので、ご興味があれば、ぜひ読んでみて下さいね。
「他人のナラティブを生きているから、自分はダメだ」と考えるそうです。
これも分かる。
他人の文脈で生きる、他人の尺度に当てはめて生きるのは、しんどいし楽しくない。
以前の私もそうだったなと思います。人から期待される私、親の価値観の中で生きる私です。
今は、「私を生きる」と決めたので、言葉に引っ張ってもらいながら、楽しく生きることができています。
毎日、楽しいが起こって、感謝して幸せを感じることが多いです。不思議とそうなりました。
まとめ
「自分から見て、これは意味のあることか?」
この質問を投げかけて、YESと答えられる状態を増やしてけば、自分の物語を生きられるようになると思います。
もし、意味が見出せないなら、意味を探すのか、他の仕事ややりたいことを探す方が良いかもしれません。
▼ライフコーチのaimiさんが10月31日21時~ワークショップを開催されます。今回私が書いたナラティブについての学びと親和性が高そうなので、ご紹介です!
▼ただいまコーチングモニターセッションを受けて下さる方を募集しています(2024年10月、11月)。
ご興味を持たれましたら、ぜひこちらのnoteもチェックして下さると嬉しいです。
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