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「人が好きな人なんですね。」と言われて気づく私のこと セルフイメージと人から見える自分のズレ 自己認識

コーチングに全振りだー!っと学びと自己理解(自己受容)にいそしんでいます。自己理解プログラム(八木仁平のされている3ヶ月で好き・得意・大事を探すプログラム)修了生です。
退職して2ヶ月目、元気に過ごしています。

今日は、「人が好きな人なんだなと感じました。」と言われたことについて考えます。
いずれも面識はなくて、私の文章(自己紹介と悩み相談)を読んでそう感じたというフィードバックでした。
立て続けにそういうフィードバックをそれぞれの人からもらって、驚いたからです。

なぜなら、「人が好きだ」という自覚がないからです。

え?私って人が好きなの?」

と思いました。
私の思う私の自己認識と、周りから見える私にズレがありそうです。
1回目は軽くスルーしようとしてたので、何か認めたくない気持ちもありそうです。スッと受け取れたかというと、半信半疑でした。

2回目に言われた時は、さすがに最近別の人からも同じこと言われたけどそうなの?ってちょっと嬉しかったです。

直接会って言葉を交わした訳ではないけれど、文章から伝わる人柄というのはあると思うので、直接対面していないからといって、それだけで信用に値しないとは思いません。

自己認識を高めるには、自己対話他者からのフィードバックが必要です。


主観と客観の自己認識のズレ

自分が思う「私ってこういう人だ」というセルフイメージと人から見えている自分との間にズレというか溝があるのは当然のことです。
主観と客観の間に生じるズレ。

主観的:私は○○だと自分で認識している自己
客観的:私は周囲の人から○○だ、と思われているだろうなという思い込み

どのくらいの人が自己認識を出来ていると思いますか?

95%の人は自己認識を出来ていると思っていて、実際は10-15%の人しか自己認識はできていないそうです。
ズレが生じるのは当たり前なんだから、仕方ないのでは?
とも思います。しかし、これがズレていることで何が起こると思いますか?
コミュニケーションのズレです。

コミュニケーションのズレ

そこにつながるの?と思いました。ズレてても仕方ないんだから修正したり一致させる必要はそこまでないのかな?と思っていました。けれど、人との関わりの中で障害になるなら、できるだけそこのズレは失くして一致させる、または正しく自己認識したいと思いました。

具体例を挙げると、
自分は周囲から頼れる上司だと思われている、という自己認識があって、実際に部下たちからはうっとうしい上司だと思われている。
そういうズレがあると、
上司は部下に何か困った時は自分を頼るようにと関わるけれど、それが煩わしいと受け取られます。
良かれと思ってやっていることが、実は相手の迷惑になる…。認識のずれから生じます。

このことから、自己認識力の高い人は、コミュニケーション能力も高いと言えます。
また、自分の強みや才能を正しく認識出来ている人は、問題解決能力も高いです。

私の自己認識

あまり人と関わるのが得意ではない。
人と関係が作れると素を出せるけど打ち解けるのに時間がかかるタイプで初対面は苦手。
大人数の場所も苦手。
友達少ない。
1人旅できるし、したい→1人でも平気
1人の時間も好き

これをまとめると、人が苦手そうということ…。

仕事選びの基準は人と関わる仕事

だけど、仕事を選ぶに関しては、人と関わるということをポイントにして選んできました。

営業を最初に選んだのも、人と深く関われると思ったからです。
次の仕事は、人の役に立つ仕事を、と思い看護助手。
学費を稼ごうと転職した時は、通勤圏内で人と関われるを条件に探しました。そして、看護師へ。

人と関わることがイヤだという気持ちはありませんでした。
むしろ直接関われるということが私には重要でした。

一人一人と向き合って深く関わりたい、そこで信頼関係を築きたい、築けるのではないかと思って、営業の仕事に就きました。

人と関わるのが苦手そうという自己認識があるのに、人と関わる仕事を選ぶ。それは、やっぱり人が好きだからと言えそうです。

人に対する好奇心

漠然とですが、私は人に対する興味や好奇心が高いような気がします。自分と全然違う考え方を持っている人や素敵な人を見つけると、もっと知りたいという好奇心が湧きます。
かけ離れた人は苦手ではなく、どんな人なんだろうと逆に興味が湧きます。
人の話を聴くのも好きです。
どんな人なんだろう?どうやってこの人が作られたのか?という所に興味があります。その人自身に好奇心が向いて、その人自身を知りたくなります。

つながり、人と双方向の関係を築きたい

私の価値観の土台です。

心身ともに健やかに
他者と安心できる関係を築けている
チームの仲間に頼れる・協力できる
自分を出せる

が価値観の土台になっています。なので、人との関係性が健やかであることが大事です。一方的な関係は私はイヤで、お互いに理解し合いたいと思っています。

私の思い込み:ありのままの私は受け容れてもらえない・拒否される

これを裏返すと、「私は周りの人に受け容れられたい」っていう願いがあります。
これもやっぱり、人と関わりたい、輪の中に入りたいっていうことです。
一緒に輪の中に入って、やりとりをしたい。同じように分かち合いたいです。

まとめ

人が好きだから、人とのつながり、受け容れられることを求めるのか?
それとも、人から受け容れられたいという私の行動が「人が好き」と感じさせているのか?と
「私は人が好き」を検証しようと最初は思っていました。

これが私のパターンで、何か疑問が生じると頭で考えて分析して答を出そうとします。答を求めがち、そして論理的に考えて答を導き出そうとする。それが適する場面もあるけれど、今は適さないと思います。

だけど、それをするのをやめようと思えました。

①他者からのフィードバックを素直に受けとろうと思えるようになった。
②私が自己認識する私は人と関わるのが苦手そうだから人が好きなはずないというセルフイメージが正しいと決めつけて自分の見たいように見るために材料を集めるということになりそうだと思ったからです。

これは、マイコーチとの以前のセッションでもらった言葉が思い出されたからです。
振り返ると6月のセッションでした。
「仮説に対してそれを補強する材料を集めているのではないですか?」という言葉です。
サブパのお静さんが言っていることの方が正しいのではと感じるのは、自信があるからではなく、それを支える根拠がたくさんあるからで、私もやりたいことをやるにはできると思える根拠を探したらできるのではないかという文脈だったと思います。

2人の人が私に対して、「人が好きな人なんだ」と感じたということ、私はそれが嬉しいなと思ったこと、それだけで、素直に「私ってそうなんだ!私の知らなかった私を教えてくれてありがとう」って受けとればOK

ここに集約されると思いました。

長々と書きましたが、私は人が好きだったんだな~とルンルンしようと思います!

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▼別の感じ方をしたセルフイメージとのズレについてのnote


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