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「愛って何?」って聞かれたら、何て答える?

コーチングと私を育むを両立させようとしているなほです。
有償でコーチングを提供するに挑戦中です。

私の中で存在感を増してきているのが、愛です。哲学的なことかもしれないけれど、私は愛を分かっていないなぁと思います。

愛って何?
と聞かれたことはありますか?

私は多分ないと思います。

あ、でも質問したことはあるなと思い出しました。
「○○さんにとって愛とは何ですか?」ってコーチングセッション(コーチと2人で対話すること)では問いかけたことがあります。

普段の友達との会話で、職場の同僚との会話で、そんな話はしませんよね…。

けれど、愛は身近なもので日々生きていく中で誰かの愛を感じたり、愛をもらったりしていると思いませんか?
愛は循環するって教えてもらったことがあります!
意識していないだけで、そこに存在している感じ。

隣人愛、家族愛、親の子どもへの愛、恋焦がれる愛、ご自愛。いろんな愛がある。

愛、よく分かっていないと思うけれど分かるようになりたいな、と思っています。

私の信頼する人から教えてもらいました!

愛とは状態である。


母親の「無償の愛」は分かる感覚

母親が子どもに対して抱く「無償の愛」については私は「分かる」になった瞬間がありました。
ちなみに私に子育ての経験はありません。

なぜ「分かる」になったのか、それは読書体験からです。
角田光代さんの『八日目の蝉』という小説を読んだ時に、母親が子どもに向ける愛について分かったと思いました。感覚です。
私は子どもの立場しか経験していなくて、母親になったことがないのに、分かったと思いました。
これは、私の読書体験の中でも印象に残っています。映画化もされていて、今も心に残る作品です。(振り返ると2011年に映画を観ていて、小説も良かったけれど映画も良かったって褒めちぎってました笑)

母親が持つ子どもへの愛ってこういうことなんだ、と子どもを産んだことも育てたこともないのに分かると思ったことを当時もなぜなのか?と思いましたが、論理的に説明出来ません。
そこにある物語を読んで体験することで、分かったと思ったからです。

愛と感謝

私の感謝の気持ちを受けとってくれた人から、
「愛を受けとりました」
とお返事がきたことがあります。

そう言われた私は戸惑いました。
なぜなら、愛を伝えたいと思ってしたことではなかったからです。
感謝の気持ちを伝えたい。相手のことが大好きだ。

大好きだという気持ちはあるのですが、それが愛に結びつくかと言われると、そうではない気がします。

そして、相手から「愛を感じました。」
と言われて戸惑うのは、

私に愛がある、持っている、人にそれを渡せるという感覚がないからだと思います。
これが愛なの?私の他者に対する愛?
って気づかせてもらう感覚です。

愛の存在が増してきた理由

私が変化しているからだと思います。
あるけど、ない。見ないようにしていた気持ちをきちんと見ようとしているからだと思います。

ありのままの私を愛してほしい

ありのままの私には価値がなくて頑張らなくては、何かを出来る私にならなくては、期待にこたえる私でいる

これを私は手放しました。

私を優先して、好きなことをさせてあげよう

私はそのままで良いんだよ、価値があるよって言い聞かせています。
これ、心から思えるようになっているのか分からない今ここです。

そして、根底にあった「愛されたい」という気持ちに向き合おうと思えたからだと思います。

自己肯定感が低いから上げたい、かわいくなりたいをスルーしていた私は、
私には価値がないから愛されないの公式が成り立っていたけれど、

そこから、私は愛されたいし、そのままで愛される人間だと自分で少しずつ思えるようになってきたのだと思います。
だから、愛って何?と存在感が増してきていると思います。

恋愛的な意味でも私は愛を分かっていないと思います。
好きだな、とか人間的にこの人好きだ!
は、あるけれど、お互いに愛し愛されるということは分かってないと思います。

誰を愛していますか?には答えられる

愛を私が持っているのか分からない。
そう思うのですが、

「誰を愛していますか?」

には答えられます。不思議とそこに
「そんな人はいない。」とはならないです。
日によって違いますが、私は誰を愛しているかの質問に具体的に答えることができます。

また、「誰が私を愛しているか?」
にも答えられます。
これは幸せなことだな、と感じます。

毎日、私に質問しています。

愛とは状態

これを教えてもらいました。

まず、「愛とは何か?」は言葉で説明したり、頭で理解できるものではない。
を教えてもらいました。

何となくそんな感じはします。
愛とは人との関わりの中で感じるもので、言葉で伝える場面もあるけれど、本質的な所は体や心、感覚で分かるものだと思います。

だから、今回教えてもらった「愛とは状態」も、愛とは何か?の一部を教えてもらったのだと思います。

死にたくなっている人がいたら

自分で命を終わらせたくなっている人にどう接するか?
という具体的な場面を用いて教えてもらいました。
かなり極端な場面であるが故に、「愛とは状態」が分かるお話でした。

目の前にそういう人がいたら、何て声をかけますか?

「死なないで」って引き留める?

言葉として見ると、合っている。

けれど、そこに愛がないとそれは相手にとって傷ついたり、死ぬという選択を選ぶ引き金になり得るということを教えてもらいました。

逆に、愛があれば何を伝えても、しても大丈夫になる。

と教えてもらいました。深い。そして分かりやすい。

愛とは状態。

親子関係においても愛という状態が大事

子どもとの関わりにおいても、そうなのだとおっしゃっていました。

無関心と過干渉。

その両極端がある時に、なされるアドバイスの多くは反対をするようにというようなものになりがち。

少し距離をとりましょう。
または、もっと関わりましょう。

うまくいかない。
が起こる。
ちょうど良いバランスの所を探すのではなく、「愛がある」という状態になることで改善するそうです。

うーん、やっぱり深い。そして、私はすべてを理解したり分かるにはなれていないんだろうな、と思いました。

ちょうど読み終わったケアについて書いてある本と近い感じも受けます。

疑いがない状態

信頼関係とも近いと私は理解していて、

疑いがない状態

と教えてもらって、印象に残りました。

愛とは疑いがない状態

これは、分かるような気がします。
相手のことも自分のことも信じている。どこまでも信じられること。

私が私を信じること。
ここにつながっているのが面白くもあり、今の私にとっては課題感もあります。

愛は混沌(カオス)の先にあるらしいです。
ますます分からない感もしちゃうんですが、印象に残る言葉だったので書き残します。

愛は周りにあふれている

私が、「愛をよく分かっていない」という話をした時に、

愛は周りにあふれている

と伝えてもらいました。

すべてのものに愛があふれていて、
これを作った人はどんな愛をこれに込めたのかな?って考えている。

と。
その視点、私には薄い。

すべての人には両親がいる。
にも通じる話だなと書いてて、思いました。

すべてのものはそれを作った人がいて、そこに愛がある。

自分にとって大事なもの、素敵なもの、作り手が見えるようなものだけでなく、すべてのものに誰かの愛がある

めちゃくちゃ興味深い。

まとめ

私の中で今テーマになりつつあるものの1つが愛なので、教えてもらったことを忘れないように、また私の現在地を残す意味で書きました。

愛とは何か、分かる感覚を掴める日は来るのかな?
人に説明してもらって分かるものではない。
ということは、分かるので、これを持ちながら人と関わりたいです。
私と関わるすべての人が感覚で愛を教えてくれたり伝えてくれている。

そして、分からないなりにも私は愛を伝えたり渡すことは出来ていそうなので、愛かも?と思いながらやっていこう!と思います。

「愛って何?」
という話が出来る仲間に恵まれたことに、何よりも感謝したいです。

人と話すこと、ふれあうことのかけがえのなさを感じます。

自分の中で今テーマになってきていることはありませんか?
私と対話する時間を通して整理したり発見したりしませんか?

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