PASSION 旅の終わりの”結語”
バスは遅れつつもパラナ州を走りゆき、23時ころローランジャに到着した。黒沢は待っていてくれているだろうか。
不安を抱えつつバスを降り、小さな待合所へ。甚平を着た下駄姿の男性がいる。黒沢和尚さんだった。
「どうぞ、どうぞ」
お寺はかなり古いと聞いていたが、緑色のペンキで塗られた木造家屋は趣があった。
翌朝、窓から見えた空には雲がまったくなかった。カラッと晴れたブラジルの空、パラナの空。
縁側で用意してくれた朝食を頂く。具沢山の味噌汁と白米。ワサビの味噌漬け、シソやワカメの昆布漬、佃煮。
「僕は、朝食は和食しか食べないんですよ」
昼過ぎ、23時発のサンパウロ行きのバスチケットを購入した後、黒沢さんはパラナ州の移民史料館へ連れて行ってくれた。資料館がある一帯は公園で日本の木々が育てられている。竹、つつじ、椿…八重桜もポンポン花を咲かせていた。
ローランジャの日系人運動場で車を降りると、力強い太鼓の音が響いてきた。その奥では白球が舞い、横のほうではサッカーボールが弾んでいる。野球を楽しんでいるのは中年を過ぎた日系人たちだ。
近くに寄っておしゃべりをする。
野球をやっているのは平均60歳くらいのオールドボーイ。マリンガと同じく硬球を使っている。打ったボールは外野の奥まで飛んでいった。
野球おばけの登場だ。
体力は昔に比べたら落ちたとはいえ、キャッチボールもバッティングも見事なもの。練習着も、ユニフォームを着こむほどの気合である。上はTシャツでも、そのTシャツも移民100周年Tシャツなど、日本とブラジルをつなぐものがプリントされたTシャツを着ている人が多いのである。
私たちが着いたとき、練習も終わるころだったようで、そのまま宴会に誘われた。太鼓の練習をしている近くにはハウスがあり、キッチン設備が整っている。
「はい、肉を焼くから座って。ビールもあるよ」
荒塩を振った肉が豪快に焼かれ、煙が上がる。野球をやる楽しみの大部分が実は練習後にあるようだ。気の合う仲間とブラジル名物・シェハスコにビール。最高のひとときだとみんなが笑う。
ビールもどんどん注がれて、マンジョッカ(芋)やフランスパン、きゅうりと玉ねぎの漬物も出され、たっぷり食べて飲んでしまった。
「ローランジャは素晴らしいとこよ。ひがみなどなく、協力心がある。演芸会なんていうのもやるけれど、これがみんな楽しみでさ、朝から晩まで一日中、芸の出し合いだからね」
ニッコリ笑う。
「さ、肉食べて」
紙皿に肉が乗り、コップに再びビールが注がれた。
結局グラウンドを発ったのは20時。
私の旅は終幕を迎えていた。
帰国~旅の終わりの結語
3月10日、21時50分。サンパウロ・グアルーリョス国際空港からアメリカ・アトランタ行きの飛行機が離陸した。座席では、現在地を知ることができるモニターをずっと眺め続けていた。ブラジル上空を抜けて、ベネズエラ上空を過ぎ、カリブ海へ…。南米が遠くなっていった。
冬のアメリカ、アトランタに着いた。南半球から北半球へ。フライトをはさんだら季節も逆。空港内でも寒い。
南米大陸ははるか遠い場所となってしまった。
だがひとつだけ、まだ“南米”が近くにいた。言葉である。
成田へと向かう飛行機の機内サービスでは「コーヒー」と言えず「カフェ」。「サンキュー」が言えず「オブリガーダ」。「イエス」が言えず「シー」。
南米での会話が体にしみこんでいた証拠である。
サンパウロからアトランタ間では一睡もできなかった。成田までの道すがら眠ってしまうだろうと思いきや、眠れない。それでもいい。だってもう、日本が待つだけだから。
15時45分、成田空港。
父と母が迎えに来てくれていた。
父の運転する車に乗る。
おかしな感じだ。
旅がまだ続いている感覚だった。
南米のどこかへと“移動するだけ”みたく。
だけど、着いたのは日本の「実家」。わたしの家。
2010年3月12日、帰国の日。
静けさが、私の心を取巻いていた。
180日間の旅の結語。それは…
南米に野球のあるところ、そこには日本人・日系人がいる。
移民史のなかに、野球があったということ。
移民生活を送るなか、
唯一の娯楽として野球をすることに、
ただひたすら、ひたむきだった。
今の日本で失われたもの、失われつつあるものたちが
南米では脈々と存在し続けていることを体で感じた。
何よりも、生きる力を教えてくれた。
生きる力とは「情熱」である。
これにて「PASSION」おしまいです。
第100回の甲子園が始まる前に、すべてアップできました。
もうこの旅から8、9年が経つのに、新鮮なまま、当時の「空気感」を思い出していました。この旅は、わたしの人生上、これから先何があっても「一番」の体験です。そして、この体験・経験があるから「ここは日本なのだから、何とかなる!」と思えるのです。かなうならば、もう一度、南米を訪れたいー。
旅は人生を濃くしてくれる。
確実に。
人との出会いが人生を濃くしてくれる。
人生が「オモシロク」なる。
今までお読みいただき、ありがとうございました。
おまけ。
PASSIONとはスペイン語で「情熱」です。
ブラジルのユバ農場に滞在している時に、この言葉が浮かびました。