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嫌味と皮肉とどちらも分からない人



{2023.09.28の記事}

今日のお話には便宜上
「発達障がい」
という言葉を使いますので、苦手な方はご注意くださいね。

 

私は嫌味も皮肉も得意です (ゝω・´★)

免罪符になるかどうかは分かりませんが、勿論誰でも彼でもに嫌味や皮肉を言うのではなく、あからさまな敵意や攻撃的な意識を向けられたときに返します。

つい最近、私の皮肉が通じなかったことが気になってるので今日はその辺の話を書きます。


先程も書いたように、私は誰でも彼でもに嫌味や皮肉をぶつけるのではなく、[明らかな私への敵意を向けられたとき]に発動します。

また、例えば職場に誰がどう見てもパワハラな上司がいたとして、その上司が話題に上がったときに影で皮肉を言ったりします。
(チャンスがあれば本人に言うこともありますが)


嫌味も皮肉も攻撃なんですよね。

ところが、世の中には嫌味や皮肉が通じない人も存在します。

一般的に
嫌味や皮肉が通じない=発達障がいかも…
などと言われることも多いのですが、私はその認識に「待った!」をかけたいのです。

順を追って書いて参ります。


まず、嫌味と皮肉についての説明から入りますが、一般的には【嫌味】と【皮肉】の違いはハッキリしていない人の方が多いようです。

軽くネットで調べてみた限り、かなり混同されている話ばかりでしたので、ちょっとハッキリさせてみましょう!

【嫌味】
とは、字を見て分かる通り、相手が嫌がることを言うことを指します。

太っていることを気にしている人に対して
「そのデカイ身体じゃ出勤するだけで一苦労だろうね。」

痩せていることを気にしている人に対して
「そんな貧相な身体じゃろくに外回りもできないだろうね。」

肌が黒いことを気にしている人に対して
「そんな黒い肌だと化粧で隠すの大変だろうね。」

の、ように
・相手が気にしている部分
・相手が『これを言われたら嫌がるだろうな』ということが分かる部分
に対してストレートに非難して、明らかに攻撃的な言い回しをすることを【嫌味】と言います。


【皮肉】
とは、遠回しに相手を非難するため、字面だけでは分かりにくい表現も多いです。

太っていることを気にしている人に対して
「冬も暖かそうで羨ましいよ。」

痩せていることを気にしている人に対して
「子供服でも着れそうで良いね。」

肌が黒いことを気にしている人に対して
「日焼け止めが必要無さそうで羨ましいよ。」

の、ように
・相手が気にしている部分
・相手が『これを言われたら嫌がるだろうな』ということが分かる部分
に対して一見褒めているかのような言い回しをして、含みのある雰囲気で相手に攻撃の意思を示すことを【皮肉】と言います。


嫌味の方があからさまに攻撃的な態度なので、嫌味を言う人はとても嫌な人に感じやすいはずです。

しかし実は、[露骨に攻撃の意思を示している]分、ある意味良心的とも言えます。


問題は皮肉の方で、一見褒めているような言い回しにも聞こえつつ

「裏の意味を読み取って、察しなさい!」

という無言の圧が含まれているので、皮肉を言う人の方が質が悪いのではないでしょうか。

[遠回しに攻撃の意思を示している]分、相手に気を使わせる気満々な辺りが厄介さを激増させています。


一般的によく言われる、発達障がいの人は
・空気が読みにくい
・言葉を文字通り捉えてしまう
・ニュアンスが分かりにくい
などの性質から[皮肉が通じにくい]人も多いはずです。

先程の例の場合
「冬も暖かそうで羨ましいよ。」
と言われれば
「暖かいんです、えへへ^^」

「子供服でも着れそうで良いね。」
と言われれば
「そーなんですよ!たまに安くて可愛い服を見付けられたりして、得した気分になります☆」

「日焼け止めが必要無さそうで羨ましいよ。」
と言われれば
「本当に、みんなは毎朝大変そうだな~って思います( ゚ェ゚)」
と、いう具合に、【言葉の裏側にある攻撃の意図】を華麗にスルーし、言葉の通りに

「褒められた^^」

という風に感じたりするそうです。


私個人はエンパス体質で、皮肉などを言われても、その含みのある感じや裏の本心までも丸っと通じてしまうタイプなのですが、あえて上記のような返しを使うこともあります。

この、含みのある攻撃に対して

「わーい褒められた~えへへ^^」

という反応を返す技はとても効果的なのです。

遠回しな攻撃の意思】を無視し、相手に気を使わせようとする皮肉屋の思惑に乗らない、

「あなたに気を使う気は一切ありません!」

と、態度で返していることになるからです。


こうして紐解くと、皮肉というチクチク攻撃がナチュラルに効かないタイプ物凄い強みを持っている、とも捉えられますよね。


ところが、皮肉とは時にユーモアとして用いられることもあります。

また、ユーモラスな使い方の延長として、
【被害者を攻撃した人への攻撃
という風に、被害者を慰めるために用いられることもあります。


また1つ1つ書いていくのですが、

[皮肉が分からないと困るシチュエーションもよくある]

という部分をまず捉えておいてください。


海外のコメディアンなんかはよく皮肉を使って笑いを取ります。

こういったユーモアのメカニズムとしてはその場にいる人間のほとんどが敵と認識しているような人物や現象、存在等に対して【皮肉】という攻撃をすることで、対象となった存在をバカにしたり見下すような笑いが生まれるという状態です。

[過半数にとっての敵を攻撃する]
ことによって敵が愚かな存在であるということになり、笑いへと変わるのです。

また、こういう類いの笑いの中には【敵を成敗したスカッと感】や【敵は恐れるに足らない存在であるという証明からの安堵感】なども内包されています。

このユーモアを用いるには
【その場にいるほとんどの人間にとっての共通の敵】
というものを見極めていなければいけません。


例えば女子だけで話している時に
「本当、男子ってバカで羨ましいよね~」
と、話せば笑いが起こるかもしれませんが、男子も交えて話している場面で
「本当、男子ってバカで羨ましいよね~」

と、話せば笑いではなく争いが勃発するのは想像に容易いでしょう。

この例えのように、

『今、このメンツでXXを批判しても大丈夫か否か?』

という点をしっかり判断できているかどうかが、皮肉を利用したユーモアのセンスがあるか無いかを決定付けます。


少し前に森元首相が
「女性が沢山入っている理事会は時間が掛かる………」
と発言したことで炎上しましたが、これも、身内の男性だけの中で、その他の周りに漏洩しない状況で話していただけであれば、それはユーモアとして片付いた話です。

ところが、発言して良い場面を見誤ったことで大きな問題へと発展しましたよね。


皮肉をユーモアとして活用するには、高い状況判断能力を要するのです。

状況判断能力を欠いた状態で皮肉を使ってしまうことはそれはユーモアではなく、ただの意地悪となってしまいます。


次は例え話から入りますが、
A子、B子、C子で会話をしていたとしましょう。

A子の旦那さんは、いつも19:00には仕事が終わるにも関わらず、
「仕事の気分からリセットして帰りたいから。」
という理由で、必ず本屋に立ち寄ってから21:00頃に帰宅しています。

そのせいで、夜ご飯が冷める、洗い物が片付かない、など、A子は困っています。

A子の旦那さんは、
「ご飯は先に食べてて良いよ。」
と言うので、A子は
「じゃあ自分で食べた分のお皿は自分で洗ってね。」
と伝えると、旦那さんは黙り込んでしまい、それ以降も早く帰ることも自分で洗い物をすることもないので、A子は困っている様子です。

その話を聞いたB子が
「それはワガママだよね。仕事の気分を持ち帰らないようにしてくれるのはありがたいとも思うけど「だったら自分のお皿は洗いなよ。」って話だし、A子に洗い物をさせる気なら「まっすぐ帰ってこい!」って話だよね~。」
と返します。

するとC子が
「え?まっすぐは無理じゃない?A子の旦那さんの会社からA子の家まで、絶対どこかで曲がらないと帰れないと思うよ。」
と言いました。

さて、このC子の反応、皆様はどう感じますか?


『こういうシチュエーションでC子のような反応をする人は発達障がいの傾向がある。』と、いう風に思う人も多いと思います。

しかし、C子が発達障がいの診断を受けたとしても、グレーゾーンとしか診断されない可能性も高いです。

これは何が起こっているのかというと、C子がこれまでの人生で
「まっすぐ」
という言葉に
・文字通り直線を表す意味
・寄り道をしないことを表す意味
2パターンが存在していることを知る機会が無かっただけなのかもしれないのです。

【C子が思い描いているまっすぐという言葉の意味】
と異なる使い方をしたB子に、
[訂正してあげただけ]
なのかもしれないのです。


・特定の言葉に異なる意味が存在することを知らずにいること
・相手が間違っている認識を訂正してあげようとすること

これって別に、発達障がいではありませんよね?

C子がたまたま言葉を知らなかっただけだし、結果的にC子自身の認識が間違っていたとはいえ、相手の誤った認識を正そうとしてあげるという考え方は、発達障がいとは一切関係がありません。


ところが、近年は特に、様々な場面において
「発達障がい」
という言葉で片付けてしまって、解消できる問題点も解消できないままうやむやになってしまっていることも少なくないのです。

この例え話の場合、C子に
[まっすぐという言葉には寄り道をしないことを表す意味もある]
ということを教えてあげればそれで話は通りますよね。

同じように、特定の言葉への思い込みや勘違いさえ無くなってしまえばその場にいる全員のわだかまりが解消される場面はなかなか多いのです。


A子B子C子の例え話に因んだ話をもう1つ加えます。

A子が悩みを相談した際にB子が、
「今時ちゃんと旦那さんが帰るまでご飯を待っててくれて、洗い物も全部やってくれるような優しい奥さんが頼んでるのに…それを無視するような男のどこが良いのか、私には分かんないな~。」
と、皮肉めいた返しをしたとしましょう。

この時C子が
「A子は旦那さんの、話題が豊富なところが好きなんだよね?」
と、発言したとしたら…

その発言もちょっとピントがズレています。


この場合のB子が言う
「どこが良いのか分からない」
という発言は、
[本当にどこが良いのか疑問視している]
のではなく、
[遠回しにA子の旦那さんを非難しているだけ]
ですよね。

何気に、このパターンで話が通じない人もそこそこ存在するようです。

確かに、ここまでで挙げてきた例の中では一番高難易度の皮肉の使い方とも言えるかもしれません。

「旦那さんが悪い。」
という直接的な表現ではなく、

「旦那さんの良さが分からない(=裏を返せば、旦那さんが悪い)」
という風に聞いてる側の頭の中で言葉を転じさせて伝える比喩表現だからです。


この比喩表現が伝わらない人に対しても
「発達障がい」
というレッテルを貼る人は結構いますが、実は本をあまり読まないとか、国語が苦手というような、[勉強不足なだけ]という可能性も非常に高いのです。

同時に、子供の頃から大人へと成長するまでにこういった言葉の使い方をする大人が周りにいなかった人に関しても、この表現は伝わりにくいのかもしれません。


ここまで書いて伝わったと思いますが、皮肉が通じない要因は頭の使い方や訓練次第で解消できる余地はあるんです。

にも関わらず、何でもかんでも
「発達障がいだから…」
という話で終わらせてしまうのは、ちょっと勿体無いと思いませんか?


私は、もっと沢山の人が皮肉的な表現について理解しておくことも大事なことなのではないかと考えています。

今回は嫌味や皮肉に特化して語っていますが、どんな場面においても
【言葉、言葉の使い方を知らないことによる諍い】
は、争い事の火種になり得ます。

諍い・争いに発展しなかったとしても
「あの人ちょっとズレてるよね…。」
と、話の輪に入れて貰えなくなってしまうケースも大いにあり得ますよね。

そういう悲しい事態を生まないためには
[言葉、言葉の使い方]について、色々と知っておくこともとても重要なのです。


様々な言葉の使い方の中でも、この皮肉的な表現、言い回しに関しては何となくのノリ空気感でのみ理解している人の方が多いと思います。

そこで、【皮肉】というフワッとしか認識できていない表現方法について、もっと解像度を高めて理解している人が増えたら良いんじゃないかと思い、今回のテーマに選んでみました。


話の本筋から少し逸れますが、私は昔から

「具体的に指摘できないことに関して怒るのは無責任過ぎる!」

という憤りを強く抱えています。

よく
「国語力の低下が…。」
「読解力の低下が…。」
「日本語力の低下が…。」
などと嘆く言葉は目にするのに、
「では、国語力を向上させるために、こういう取り組みをしましょう!」
「読解力を向上させるために、こういう案はいかがでしょう!?」
「日本語力を向上させる為に、こういう活動をしましょう!」
という風な提案を目にする機会はほとんどありません。

そんな風に、
[できていないことに対して指摘するだけで、改善案を提示できない]
ということは、

「結局国語力が無いのは指摘している人間の方じゃん!」

と、子供の頃から長いこと思っておりました。

「あなたは国語力が備わっていません!」
と、指摘するだけ指摘しておいて具体的な学び方、会得することの重要性までしっかり伝えてあげないことは、

それは指導ではなく教育放棄です。


そんな教育放棄を止めさせるための何かのきっかけになったら良いと思い、こんな話を書いてみています。

前回の記事の内容と若干リンクしてくるのですが、近年はSNS等、ネット上で様々な人の言葉を目にする機会が多いですよね。

長文よりも、一言だけとか短文で目にする機会の方が多いと思いますが、だからこそ
『この一言はどういう意図で書かれているのだろう?』と、発言者の真意を読み取るスキルは必要です。

自分の物差しのみで他者の発言を読み解こうとすると、勘違いや苛立ちも生まれやすくなることから、自分の尺度を広げる努力を怠るべきではないのではないでしょうか。

と、いうか、自分の尺度をわきまえた上での立ち居振舞いがより重要な時代に生きているのだという気がしませんか?

この点についても色々な人に考えてみていただきたいです。


私はいつも書いていますが、

[理解できる人の人数が増えること]

はとても大切なことです。

1人理解する毎に、倍、もしくはそれ以上の人間が理解できるようになります。

理解できる人がどんどん増えることで、不必要な諍いや争いがどんどん減らせます。


近年はスピリチュアルブームで
「思考を手放しましょう!」
「頭ではなく心で感じましょう!」
といった言葉もよく耳にしますが、頭で理解できる人はしっかりと頭で理解して、具体的な解決案を見出だせるようになることも大切なお役目の一つです。

全ての人に通じなくとも、伝わるべき人にしっかりと伝わってくれることを信じてこの話を届けます。

言霊という強いエネルギーを武力としてではなく、幸福のために活用できる人が増えると良いですよね。


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