感謝すること
これも、何度も触れてきた内容ですが、とても大事なことなのと、私が上手く表現できてるか分からないから、何度だって書きます。
スピリチュアルな話や、精神的な話、ビジネスの成功談的な話なんかでも
「感謝することが大事です。」
と、よく言われます。
私は、何年も前に、精神的に辛くなり過ぎて、後は神頼みしかないといった心境になった頃、スピリチュアルな話や、精神面を救ってくれるような話を漁りまくって感謝の大事さを説く話に出会いました。
初めの頃は、
『感謝なんかできる訳ないだろ、こんなクソな人生で!!!』
と、いう感じの心境だったのですが、
『でも、とりあえずできそうなところから始めてみよう…。』
と、少しでもご飯が美味しいものだったら感謝して、お風呂のお湯が温かいことにも感謝して、歯ブラシというものがこの世に存在してることに感謝して………
自分が感謝できそうなことだけ、感謝するように意識し始めたのです。
↑このエピソードだけでも分かると思いますが、私は自分が納得しないことはやりたくないタイプなんですよね。
それで、
[形だけ感謝しておく]
っていうことをあんまりしたくなかったんです。
だから、自ずと【私が感謝できそうな事柄】を意識的に探していました。
途中には
『何故、感謝が大事なんだろう?』
と、色々調べ、
「感謝の"波動"が最も良い波動だからです。」
という話に出会い、
『じゃあ、尚更"形だけ"の感謝じゃなくて、自分が感謝を感じなきゃダメじゃん…。』
などと、思い立ったときには感謝できる事柄を探すように取り組み続けました。
最近になってくると、自分から
『探すぞ!』
と気合いを入れずとも、
『よくよく考えてみると、これってありがたいことだよね。ありがたいなぁ。』
と自然に感じる機会が増えました。
不意に
『何気なく使ってるけど、これ無かったら不便だよなぁ。ありがたいなぁ。』
と気付いたりするようになってきたのです。
そうして、最近理解したのは、
『大事なのは、感謝することじゃなくて、ありがたいことであることに気付くことだよね。』
というポイントでした。
多分、世の中には、
「いやいや、とりあえず感謝をするのはとても大事だ。」
と、訴える人もいると思います。
ですが私は、
『感謝できないと感じる事柄には、『これは感謝できないなぁ。』と自分の気持ちに正直になることを優先する方が大切だ。』
と、考えています。
この辺もまた絶妙な話なのですが、例えば、
[自分が欲しくないと思ってる物を人から貰った]
というシチュエーションにおいては、形だけでも
「ありがとう。」
と伝えることが大事な場面だってあるとは思います。
一方で、
「ごめんなさい、これ、私には不要です。」
と、断りを入れることが大事な場面もあるんですよね。
私は、これら双方の態度を臨機応変に使い分けることが大事だと考えているタイプです。
スピリットに目覚めて生きる上では、必ず、自分の感覚に素直に動くことを優先しなければいけない場面も出てきます。形だけ、その場だけ取り繕うことを止めなければいけない段階に差し掛かるときはあります。
そんな中で、
『だけど、私にプレゼントしてくれようとした、"心遣い"はありがとう。』
と、置かれたシチュエーションの中にある【自分が感謝できる事柄】に気付くことがとても大事なんだと、最近感じるようになったのです。
もしかしたら、昨日の内容を読んだ上で今日の話を読まないとピンとこない部分もあるのかもしれませんが、私たちにとって大事なことは、
[感謝すること]
ではなくて
[感謝できる事柄に気付くこと]
であって、尚且つ
["自分が"ありがたいと思えることに気付くこと]
なんです。
先程の例え話で言うと、
[自分が欲しくないと思ってる物を人から貰った]
というときに、
『私のために、プレゼントしてくれようと、"心遣い"をくれたんだな。』
という部分に気付いて、感謝できることが大切なタイミングもあるかもしれません。
が、人(場合)によっては、その心遣いすらも感謝を感じられないのなら、無理にその点に対して感謝するのではなく、
『自分に、『何かあげよう。』と思ってくれる知り合いがいる、ということはありがたいことだなぁ。』
という点に気付く必要があるのかもしれません。
はたまた、
『世界のどこかには、今日の食べ物にすら困るくらいの人だっているのに、私は要る、要らない、とわがまま言えて、ありがたいよなぁ。』
という部分に気付く必要があるのかも分かりません。
人それぞれ、また、タイミングやシチュエーションによって、
【自分がその場面において気付くべき感謝の対象】
は必ず異なります。
今朝目覚められたことに感謝したとしても、明日感謝すべきことは夜眠りにつけることかもしれないのです。
条件反射で感謝しているだけでは、意味がないのです。
と、言いながら、やっぱりこの辺もタイミング次第の話でしかなくて、確かに
[とりあえず感謝すること]が大事なタイミング
も、あるとも思いますし、
[感謝できる事柄に気付くこと]が大事なタイミング
も、あるとも思いますし、
["自分は"これがありがたいと感じるんだと気付くこと]が大事なタイミング
も、あるんです。
何にしても、その時々で"自分が"感謝の気持ちを持つことが大事なんですよね。
他の人がご飯を食べられたことに感謝したからといって、自分がそれに対して心からありがたいと感じないのであれば、無理に感謝するよりも、他の部分で感謝できることを探す方が大事な場面だってあります。
もしも自分の周り100人が感謝するような事柄であっても、自分がそれに感謝を感じないのであれば、無理に感謝するよりも、他の【"自分が"感謝できる何か】に気付くことが大事な場面もあるんです。
これ、結構、難しい課題です。
私たちは、子供の頃から幼稚園や学校など、特定のコミュニティ内で
「○○に感謝しましょう。」
などの意識の統一を促されて育ちます。
給食を食べるときみんなで手を合わせて
「いただきます。」
と言わされます。
そんな中で自分だけ、
「食べ物に感謝なんてできない、だから「いただきます。」なんて言わない!」
なんて…言える人はなかなかいないのではないでしょうか。
こういうことの積み重ねにより、
『"自分だけが"感謝できない。』
『"自分だけは"感謝したい。』
と、独自の倫理観で判断を下すのが難しい事柄は結構あるのです。
何も、
「自分は感謝の意を感じないから感謝なんて絶対しない!」
などと意固地になる必要は無いのですが、
『これに対して自分はそんなに感謝を感じないんだよなぁ?』
『これ、何がありがたいんだろうなぁ?』
と心の中で気に掛かるのは、とても良い反応なのだと留めておく必要があります。
この、小さな違和感こそが、別の方向性で【"自分が"感謝できる事柄】を見付けるチャンスなのです。
少し話の趣旨から逸れますが、食べ物に感謝できないから、断食してみる、など、新しい経験を積むチャンスに繋げるのも、なかなか素晴らしい取り組みですよね。
先程書いた内容同様、【わがままを言える環境への感謝】に気付くべきときなのかもしれませんし、色々と諭された上で【食べ物が流通している環境への感謝】に気付く学びのチャンスになるかもしれません。
とにかく、
【自分オリジナルの感謝ポイント】を沢山見付けられる
という部分に、
【自分にとっての幸福な人生】を見出す可能性
が眠っているのです。
『他の人が感謝してるから。』
『これに感謝するのが常識だから。』
そんな形だけの感謝では見付けられない幸せもあるんです。
自分の自宅から半径100m以内に咲いている全ての花の名前を間違いなく言える人なんてそうそういませんよね。
それと同じことで、普段、私たちの周り、しかも身近な部分に、幸福の種は沢山既に存在しているのに、それらに気付けていないと幸福を感じられません。
視界に入っていても、意識に入ってこなければ、無いと感じてしまうように、自分の遠くにしか珍しい花は無いんだと、決めつけてしまいがちなんです。
もしくは、周りの100人が愛でる花にしか価値が無いのだと強要されがちなんです。
でも、この話に出会ってる皆さんは、次に進まなければいけません。気付いてください。
自分の価値観を失ってしまった人間が、それらを取り戻すのはきっと楽なことではありません。少なくとも私はかなり苦戦しています。
ですが、だからこそ
『何か…これ、感謝できないんだよね?』
などと少しでも違和感を感じたときは素直にその違和感を優先するように努めた方が、自分の幸せを築けるんだと思います。私自身はそうなんだと感じています。
色んなタイミングの人がいると思いますが、
『感謝さえしとけば良いんだ!』
と、自分の素直な反応を押し殺す人が1人でもいなくなりますように。
私も早く自分の人生が見えるようになりますように。
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