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ワンネスって一周回って…
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何となく、スピリチュアル界隈の
「ワンネスの感覚」
ってヤツが、私はどうも分からないタイプだと思ってずっときてるんですよ。
『いやぁ…分離するために地球に来てるんじゃん…。』
みたいな気持ちもあって、ワンネスっていう概念に対して微妙な気持ちになることが多かったんですが、最近、思うことがあります。
「ワンネスだから~」
「世界は全部1つだから~」
みたいな、スピリチュアル大好き系の人たちって、
『ワンネス…ってことは、自分の気持ち、分かってくれるでしょ?』
って押し付けるタイプ多い感じがするんですよね。まぁ、全員とは言いませんよ。
けど、本来のワンネスの意味って、シンプルに
『自分がされて嫌なことは、人もされたら嫌なことなんですよ。』
って、物凄~く当たり前のことを訴えてるだけのことなんじゃないかって気がしてならないんですよね。
これもまた絶妙な紙一重なんだと思うんですけど、
『ワンネスなんだから、自分のことも受け入れてくれて当然でしょ?!』
『ワンネスなんだから、自分がされて嬉しいことは相手がされても嬉しいに決まってる!』
みたいに、
[相手に自分の意見を投影する]
方向性にワンネスの意味を捉えて利用する人がちょいちょいいる感じがあるんですよね。
けど、そっちじゃなくて、
『自分が受け入れられないってことは、相手も受け入れられないのかもしれない?』
『自分が苦痛に感じるってことは、他の人も苦痛に感じるのかもしれない?』
みたいに、
[相手側の意見を自分に重ね合わせる]
ような感覚で人と接することを目指すのが、ワンネスの正しい使い方なんじゃないか、って最近強く感じるんです。
日本では比較的当たり前に教育に組み込まれてる部分も多いと思いますが、
[相手の立場になって考えてみる]
って、海外ではあまりそういう文化が無いから、
「ワンネスに目覚めましょう。」
みたいな教えがあるのも、頷けるんですよ。
でも、日本ではちょっと条件が違うので、下手に「ワンネスに目覚めましょう。」
って思想、要らないんじゃないかと思います。
相手の立場に立って考えるって、要は他人軸で物事を考えるってことですが、日本では他人軸の感覚が根強いです。そういう、他人軸を止めて自分軸を学ぶ上ではワンネスの感覚なんて必要無いんじゃないかって。
ところが、皮肉なことに、スピリチュアルが得意なタイプ程元々自分軸も得意なので、そもそも自分軸が強いタイプが更に
「自分軸になりましょう~」
「ワンネスに目覚めましょう~」
と、やると、ただの自己中やわがままを振り撒くだけになってしまうことも多いです。
わがままとまではいかなかったとしても、他人に対して平気で失礼なことをやったり、言ったり、【ワンネス】という概念を都合よく使って自分も周りも見えてない言動に繋がっている人、ちょいちょいいるんですよ。
ワンネスって、広い世界観に浸ってれば足元を見なくて良い、って話じゃないのに。自分の目の前のことを大事にできない人が、他のことも大事にできてる訳ないって、気付いた方が良い人結構いるんですけど…気付けなさそうですよね笑
少し話は逸れるんですけど、私って昔から、自分が他人にした行い(特に悪いこと)がキッチリ自分に返ってくる…っていう経験が多かったんです。だから、
『他人に対して滅多なことしたらダメだな!』
って思ってて、色々気を使うことも多いんですけど、私がよく見かけるスピリチュアル好き(得意)系の人たちって、
『あんなに失礼な振る舞いを平気でやってる癖に、自分に返ってこないのかな?』
ってめちゃくちゃ不思議なんですよ🤔
まぁ、一部は、失礼な行いをしたことで、他人からキッチリ返ってきてるだけなのに
「アイツ、何なの、ムキー!!!」
って自分の行動を振り返られずに他人のせいにばっかりして、一向に進まないってタイプなのも分かります。
それとか、相手から失礼なことをされても何も気付いてないタイプもいるのでしょう。それも分かります。
だから、私みたいに
『あー、これって自分の行いが返ってきてるんだ…。』
って敏感に感じるタイプって、
『損じゃね?!』
って、なーんか、昔から理不尽な気がするんですよね。とはいえ、結局気付けるってラッキーなことだってのも分かってきてるので、最近は納得しつつあるのですが………
他人に失礼な態度を取る
=他人を蔑ろにしてる
=他人を雑に扱ってる
ってことなのに、何で
「愛ある行動を取りましょう~」
みたいに面の皮厚いこと言えるのか、不思議で仕方ないんですよね。
「お前らは非道な言動の方が多いぞ?」
って、本当に、見てるこっちが不安になる位悪い業を生み続けてるのに、何ですぐ止めないで済むのか…やっぱりちょっと理不尽な気がしてしまいます。
とりあえず、自分の行いって、いずれ何かしらの形で返ってくるのは間違いないので、自分の言動が見えてない人たちにはその内天罰が下るとは思うのですが、日本人は【ワンネス】って感覚をわざわざ学ぼうとしない方が良いと、私は最近強く感じるんですよ。
先ほども書いたように、日本の教育では
「人にされて嫌なことは、相手にしないようにしましょう。」
とか、
「相手の立場に立って考えてみましょう。」
みたいな教え方はかなり色濃く根付いているはずなんですよ。こういう教えも実はある種のワンネスの感覚を具現化した教えだったんだな、って気付いたんです。
そんな風に
『他人の意見も、もしかしたら自分と同じなのかもしれない?』
って、他者の感覚を自分に照らし合わせるような感じで自分の外側の存在も大事にすることがワンネスの感覚の本質であって、間違っても
『自分がこう思うのだから相手もそう思うはず!』
みたいに、自分の感覚を周囲に押し付けて溶け込もうとするような感覚は、ワンネスとは全く違う話なんだな、って、不意に気付いたんです。
だから「ワンネスに目覚めましょう~」
って言い方じゃなくて、日本人らしく
「他者の気持ちを考えてみましょう~」
みたいな教えで十分なんだと思います。
前にも全然別の内容で触れましたが、
[他者の立場で物事を考える]
って、深いんですよね。
『自分が相手だったら、こう思うに決まってる!』
の、一段階上の、
『相手は今こういう立場で、こんな考え方をして…だから、こう思ってるんだろうな?他人からこういうことを言われたら傷付くだろうな?』
の、ように、相手を深く理解した上で、相手の立場で物事を考える必要があるので、難しいと言えば難しい考え方だったりする訳です。
だからこそ、「ワンネスに目覚めましょう~」
なんて曖昧な話じゃなくて、
「他者の立場になって、気持ちを汲めるようになりましょう~」
という声掛けの方がよっぽど大事なんです。他者に寄り添うなんて、簡単なことじゃないからこそ、目指す必要もあるし、他者に寄り添うことで自然と愛ある言動にも繋がりますからね。
【ワンネス】なんて意味分かんないなら、意味分かんないままで良いんだな、って気付けた話でした。
普段こうして記事にしてる気付きのほとんどは、何かしらのエピソードを体験して気付くことばかりなのですが、今回の話は不思議なことにフワッと浮かんできた内容なので、言語化が難しかったです。
要するに、
「わざわざ、「ワンネス」なんて曖昧な言葉を使うんじゃなくて、「他者の気持ちを汲むように心掛けましょう。」って、至極当然のことを当たり前にできるようにしていればそれで良いってだけの話でした!」
っていうことだった訳ですが、ちゃんと必要な人に上手く伝わったら良いなって思います(  ̄- ̄)
何か、最近妙に、
『ミイラ取りがミイラになってることに気付いてない人多いなぁ。』
って思う事柄が目に付くんですよ。
『いやぁ…あなたがされて嫌なんなら、あなたもそれしないでよ…。』
みたいな、ゲッソリしちゃうような小さいことを立て続けに目撃しちゃったので、それも相まって
『やっぱ、今の時代、スピリチュアルに目覚めようとすることよりも自分や周りを見れるようになることの方が大事なんじゃないか?』
って思いが強まってるんですよね。
ゴールは一緒なんですよ。目指すべき部分は同じなんですけど、こう、何回も書いてきたみたいに
「スピリットに目覚めましょう!」
みたいな言い方すると、これまでの時代の変なスピリチュアルの世界観に合わせた行動を取ろうとしてしまう意識が強まっちゃう恐れがあるから、そうじゃなくて
「自分の目の前の出来事と真摯に向き合いましょう。」
っていう言葉が届く必要のある人の方がよっぽど多いんだろうなって。
「スピリチュアルなんて興味ないから~」
なんてタイプにしても、生活しながら常にスマホやPC、SNS、ゲーム…などなどバーチャルな世界に浸りきって、目の前にある様々なことをおざなりにしてるような人たちが、少しずつでも
「今日のご飯、美味しいなぁ。」
「温かいお風呂って気持ち良いなぁ。」
「運動するって、楽しいなぁ。」
みたいに、目の前の出来事をしっかり味わえるようになることが必要じゃないですか。
スピリチュアル好きなタイプも、
「チャネリング~」
「引き寄せ~」
とか、遠くばっかり眺めてないで、目の前に享受できている自分の豊さを存分に感じきることが大事じゃないですか。
使命とか天命とか色んな言葉もあるけど、
[自分の人生を生ききること]
を全うして、初めて使命を果たすんだからさぁ。
「せめて、自分くらいしっかり見えてからじゃないと、何も始まんないんじゃない?」
って、話だと強く感じる訳ですよ。
私は、スピリチュアルに興味を抱き出した頃は
『"スピリチュアル"なことを学ばないと~!』
って気がしてたんですけど、最近、スピリットに目覚めるってことがどういうことなのか理解すればするほどに
『日々の生活と向き合うことこそが、自分を生きることであって、自分のスピリット(ハイヤーセルフ)と共に生きてるってことなんだなぁ。』
って、思えてきて、そうなると
「ワンネスに目覚める。」
っていう話も、結局のところ
「自分と他者を大事にする。」
ってたったそれだけのことなんだろうな、って感じてきてるんですよね。
その、"たったそれだけのこと"が難しかったりするんですけど。
俗に言う、スターシードと呼ばれるような存在たちは、その使命を果たすために
「人と変わったことをして良いんですよ◎」
「変な人で良いんですよ◎」
みたいに、突飛な行動を取ることを推奨するような言葉の方が多く見掛けますが、多分、突飛な行動を取るんじゃなくて、地に足を付けて真っ当に生きる生き方を教えなきゃいけないタイプのスターシードもいっぱいいるんだと思うんです。
私もその内の1人だと思うんですよ。(突飛な行動もガンガンするけどね🙃)
それで、私のブログに出会ってる人っていうのは、誠実な行動の取り方の模範になるべきタイミングもたまにある人のはずなんです。常に真面目でいなきゃいけないとかそういう話じゃなくて、目の前の物事に注意深く接することに注力すべきタイプというか、何事にも一所懸命に取り組むべきタイプというか、とにかく、フワフワした生き方じゃないタイプなんだと思うんです。(人それぞれ、度合いとか内容は全然違うと思いますが)
だから、
「変に巷に溢れてるようなスターシード像に自分を当てはめにいこうとしなくて良いですよ!」
て言葉が、一部に必要かと思うので、改めて書いておきます。
真剣に遊ぶ必要があるってことですね◎
私ももっと真剣に遊びたいな😀💭
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