自分軸と自己中
基本的に私は、
「地球上で生きる上では、7回中6回の選択を自分軸、7回中1回の選択を他人軸…位を目安にして、両方の軸を使って生きることが大事ですよ。」
と、考えているタイプです。
私は他人軸しか分からなかったところから、自分軸を学んだタイプです。一方、世の中には自分軸しか分かってないところから、他人軸を学んだ方が上手くいくタイプも存在しているはずです。だから、より沢山の人が、自分軸も他人軸も双方の感覚を理解することが大事だと考えています。
「自分軸にさえなれば良い。」
という話ではない、ということですね。
いつも例えてる例え話から書きましょう。
他人軸
久しぶりに会った友達の顔がパンパンでした。それを見て、
『顔、腫れてるなぁ、どうしたんだろう?浮腫んでるだけ?それとも病気か何か?気になるけど、もしその事に触れて友達が気分を害しちゃったら可哀想だから、一旦触れないで様子を見よう…。』
と、相手の心境を思いやった上で顔の腫れについては触れないという選択をする状態。
自分軸
久しぶりに会った友達の顔がパンパンでした。それを見て、
「え、顔腫れてんじゃん!アンパンマンみたいだね😆」
と、自分が『面白い。』と思ったから笑うという選択をする状態。
極端な例え話ですが、ニュアンスはこんな感じです。
では今日は、この話に続きを付け足します。
I子は、久しぶりに会った友達の顔がパンパンだったのを見て、
「え、顔腫れてんじゃん!アンパンマンみたいだね🤣」
と、自分が『面白い。』と思ったから笑いました。
すると友達のA子は
「この前ちょっと病気しちゃって、その薬の副作用で浮腫みが出ちゃうの!太りたい訳でも、ご飯を食べ過ぎてる訳でもないのに体重は増え続けるし、こんなに辛いのに、どうしてあなたはそんな酷いことを言えるの?人をバカにして笑うなんて、ありえない!」
と、怒ってしまいました。
「バカになんてしないよ?」
「バカにしてるよ!」
こうして、2人の話は平行線を辿ります。
さて、I子は、本当にA子をバカにはしていないのです。自分が『面白い!』と感じたことに素直に反応し、笑っただけなのです。決してA子を蔑んでいる感覚ではないということなんですよね。
とはいえ。
『他人の様子に対して言及する場合は、相手に配慮して言葉を選ばなければいけない。むしろ、下手なことは言わない方が良い。』
という風な、事なかれ主義的な感覚の方が一般的だろう。
と、多くの日本人は思っているはずです。
A子も漏れなくその内の1人で、
『普通、友達の顔が腫れてるからって、そのことに触れる?触れるにしたって、せめて、「不躾な質問かもしれないけど、もしかして…病気か何か?」とか、布石打つでしょ!?それをいきなり笑うとか、どんだけ失礼なの!?』
と、非常に不愉快に感じた訳です。
ただし、世の中には
「顔パンパンじゃん🤣」
と、笑われたとしても、
『…微妙な気持ちだけど…笑ってくれたなら良いか?』
とか、
「僕!アンパンマン!って誰がアンパンマンやねんwむしろバイ菌にやられとんねんw」
などと、
『ウケた方が、オイシイか?!』
っていう方向に考える人もいるので、笑うことが全て悪いとは限りません。
ですが、今日の話の方向性としてとりあえずは
『人様の様子に対してあれこれ言及するものではありません。どうしても触れなければならない場合は、失礼のないように、気を使いましょうね。』
と、よそ行きスタイルを想定した話として捉えてください。
話を戻しまして、自分軸の感覚でつい、笑ってしまったI子、他人軸の感覚が当たり前だと思っているから怒ってしまったA子。
2人が分かれた後、I子は1人考えます。
『私は本当にA子をバカにした訳じゃないのに…。あんなに怒って、A子酷いよ。怒り過ぎだよ。もうちょっと私の言い分に耳を傾けてくれても良いのに…。』
はい。☝️ここ⚠️この時、I子は他人軸になってるんです⚠️
これ、物凄く重要ポイントです!
全員とは言いませんが、スピリチュアルが好き・得意な人たちは
『"自分が"面白いと思ったから行動した。』
としても、その結果
『"他人が"私のことを責めた。』
という風に、拗ねる人が凄く多いんです。(私の偏見も大いに含んでおりますよ。)
行動する時だけ、都合良く自分軸になって、その結果何かが起きた際は、他人軸に切り替わる。これは、
[【自分の行動への結果(責任)】を他人のせいにしている]
という、ただの自己中になります。
本当に【自分軸】で生きるということは、『私は本当にA子をバカにした訳じゃないのに…。あんなに怒って、A子酷いよ。怒り過ぎだよ。もうちょっと私の言い分に耳を傾けてくれても良いのに…。』
と考えるのではなく、
『A子に強く怒られちゃって、凄く悲しいなぁ…。私は本当にA子をバカにした訳じゃなかったのに。もうちょっとA子に言い分を聞いて貰いたかったな?』
と、考えるようになることなのです。
大事なことだから、じっくり解説していきますね。
何か嫌な思いをしたとします。
「あの人が、私に嫌なことをした!」
という解釈ではなく、
「あの人の行動で、私は嫌な気分になった。」
という解釈をすることが大事なんです。
必ず主語が自分にならなければいけないんですね。これぞ日本語トラップ。必ず自分を主語にした文章で考えるように切り替えていきましょう。
この場合は、[あの人が嫌なことをした]
のではなくて
[私は嫌な気分になった]
がメインにならなければいけないのです。必ず、"自分が"どうだったのか、という部分にフォーカスしなければなりません。
なので、『私のことを怒ったA子…。』
を軸に考えるのではなく、
『A子に怒られてしまった私…。』
を軸に話を展開していかなければいけないということです。
日本の言葉、文化、色々ひっくるめて、この違いを理解するの、ちょっと難しいですよね。でも、超超超超超大事!じっくりと理解を深めてみてください。
私がなんちゃってスピラーたちにイライラしがちなのも、正にこの部分なんですよね。
【自分が行った行動の結果】
として
[相手が怒る]という結果が現れただけ
なのに、
『怒ったのは相手のせい。』
と、自分の行動に対する責任を自分で負わずに相手に押し付ける
ことが多い点です。
本来、
【自分が行った行動の結果】
は当然、
[自分が悲しくなった]という結果が現れた
のだと受け止めて、
『"私が"相手を怒らせるという結果を生み出したんだな。』
と、自分の行動に対する責任はしっかり自分で負わないといけない
のです。
これが、本当の意味での「自分軸で生きる」ということだし、「スピリチュアルに生きる」というのも、こういうことなんです。
自分が生んだ因果は自分が受け取るのが筋なんですよ。だから、普段から自分の行いは気を付けないといけないということですね。
私が
「一部で他人軸という感覚が大事ですよ。」
と、言い続けているのは、例えば
[誰かの大事な持ち物を壊してしまった]
としますよね。そしたら、その相手、または別の誰かから
[自分の大事な持ち物を壊される]
という因果を受け取る場合があるんです。
こんな風に、他人や他人の持ち物だからといって乱雑に扱ってはいけない訳ですね。
人それぞれ、怒るポイントや、悲しむポイントは異なるじゃないですか。100%それらを読んであげるのは無理だとしても、極力配慮を施すことで、
・自分が怒る結果
・自分が悲しむ結果
をかなり回避できるんです。
だから、目の前にいる相手に対して
『この人は今、どういう気持ちかな?』
などと、相手の軸に立って考える、要は他人軸で考えることが、時に必要なんです。他人をないがしろにし続けることは、結局自分を苦しめる結果を招くということなので、他人に気を配ってあげることも一部大事なのです。
もう少し別の視点でも書きます。
I子が、
『この服、すっごく可愛いなぁ💘』
と、思って、フリルが多い服を着ていたとしますよね。
そこへ、機嫌悪そうにしているお局様が近付いてきて、
「あんた、いい歳してそんなぶりっ子みたいな服着て、恥ずかしくないの?!もっと落ち着いた、年相応の格好しなさいよ!」
と、怒ってきたとしましょう。
(I子は会社規定に違反していない前提とする)
この時、I子は
『あぁ、お局様は機嫌が悪いから私に八つ当たりしてるんだなぁ。お局様はお局様の都合で怒ってるんだなぁ。』
と、流せることが大事なんです。この時に『え…。私が『可愛い💘』と思ってこの服を選んだだけなのに…私どうして怒らせちゃったんだろう…?お局様に何かしちゃったかなぁ?』
などと、【お局様の(怒ったという)行動への結果】を受け取ろうとしてはいけないのです。
しっかり、自分が受け取る必要のない結果は見極めて、上手くスルーする必要があるということですね。
この部分も、月と地球の関係性をイメージすると分かりやすいのではないでしょうか。
I子が地球、お局様が月と考えて、I子が受け取る必要のない【お局様の行動の結果】を受け取ろうとしてしまうという状態は、地球と月の引っ張り合う力のバランスを崩してしまうことと同じです。引き合う力のバランスが崩れるということは、月が地球に落ちてきてしまうかもしれませんよね。流石に月が地球に落ちてきてしまうと、地球は滅亡する恐れだってある訳です。それは、防がないといけません。
自分の行動⇒自分の結果。
他人の行動⇒他人の結果。
見極めることは大事なのです。そして、
自分の行動の結果は自分で受け取る。
他人の行動の結果は他人が受け取れるように干渉しに行かない。
こういう部分を理解し、体現できる人が
「自分軸で生きています。」
と言える訳です。
自分の好きなように行動して、他人への配慮は皆無、自分に都合の良い結果だけ受け取って、自分に都合の悪い結果は他人のせいにする。こういう生き方はスピリチュアルでも自分軸でもなくて、ただの
「自己中に生きてます。」
っていうだけですね。
履き違えてはいけません。
私さぁ、スピ系界隈に涌いてる
「お陰様」
って言いまくってる人たちに不快感を覚えるんですけど、この人たちって、「お陰様で、素晴らしい結果を受け取れました、ありがとうございます。」
っていう感覚じゃなくて、
「お陰様で、嫌な結果を受け取らずに済みました。これからも私の踏み台になってください。」
みたいな感覚で「お陰様」って言いまくってる人が多い感じがして、ムカつくんですよね。
本当に、こういう【いかにもスピリチュアルっぽい演出を醸し出せる言葉】を流行らせるの、止めて欲しいです。そういうのは、【やってるフリ症候群】【精通してますアピール】に悪用されることの方が多いんだから、まじで唱えさせない方が良いと思う。
ちゃんと、
・他の人がいてくれるお陰で、様々な恩恵を受けさせていただけている事柄が世の中には沢山あること
・自分が受けることのできた恩恵を運んでくれた人には「ありがとうございます。」と感謝の意を伝えること
こういう本質の部分を伝え続けることの方が大事だし、
「お陰様」
なんて粗雑な表現で終わらせてんじゃねーよ、と、思ってます。
しかも、これからの風の時代の生き方として、他人ありきじゃなくて自分主体な生き方を目指そうとしていくのが筋なのに、
「お陰様」
って、他人に頼りきった言霊使うとか、本当に止めた方が良いと思う。
言って満足してる人たちはどーでも良いけど、"本気で"目覚めたい人とか、精神性磨きたい人の邪魔になるから、変なムーブメントしない方が良いよ。
こういうのを見る度に
『本当に、スピリチュアルが好き、「アセンション!」「目覚め!」「覚醒!」とか盛り上がってる人たちが一番、他の人の目覚めの邪魔してんだよ。』
って、私には思えて仕方ありません。
自分のことしか見えてないどころか、自分のことすら見えてない人間を量産するのは本気で止めませんか?
少し話を遡りますが、I子がA子に怒られた後、
『A子に強く怒られちゃって、凄く悲しいなぁ…。私は本当にA子をバカにした訳じゃなかったのに。もうちょっとA子に言い分を聞いて貰いたかったな?』
という風に捉えた方が良いと書きました。
その次に
『どうして怒られちゃったんだろう?私はどう行動すべきだったんだろう?』
『どうして言い分を聞いて貰えなかったんだろう?私は何て言うべきだったんだろう?』
の、ように、反省、振り返りをすることが時に必要になります。これが、内省というものですね。内省をして、自分の中の思い込み、トラウマなどが解消できたり、何かしら気付くべきだった事柄に気付いたりできる訳です。
またそれだけでなく、こういう場面で内省を繰り返すことで、
『笑ってしまったのは良くなかったな…。』
『私が怒らせちゃったんだから、私の言い分を押し付けられる立場じゃなかったよね。』
などなど、人間関係における気遣い・立ち居振舞いの経験・知識が積み上がっていくことになります。内省をせずにいる限り、また似たような失敗を繰り返し、他の誰かを傷付けては、結局自分に返ってくる…という負のループから抜け出せなくなるため、逃げずに向き合った方が吉なのです。
この例え話のケースの場合、
『『A子に私は怒られた。』の、前に、私がA子を怒らせた、むしろ傷付けてしまったんだな…。』
と、いうところまで気付くことができれば、A子と仲直りできる可能性も、次回以降に同じ失敗をせずに済む可能性も上がります。早い段階で
「今日は酷いこと言っちゃってごめんね。A子の気持ちを考えてから声をかけるべきだったよね。本当にごめん。」
のように、【配慮すべきだった点】などの気付いたポイントに触れた上で謝罪することで、許して貰える可能性がグッと上がる訳です。
それなのに、気付くべきことに気付かない、何なら自分を振り返るのではなく怒ったA子のせいにして、自分の結果から逃げ続ける。すると、A子との縁は切れる可能性の方が高くなる上に、次に起こる似たような出来事のレベルが上がってしまうのです。コテンパンにやられて、猛省に追い込まれるような出来事を経験せざるを得なくなります。だから、より早目に気付くべきことが何なのか、内省して探し当てる方が結果的に自分のためになるのです。
まぁ…自分軸ではなく、自己中にしか生きていない人は、なかなかステージアップのチャンスすらやってこないので、
『気付きましょうね~?』
という天からの采配が起きないこともザラですが。
自己中自己中と書いてきましたが、自己中心的。本来、これからの時代は自己を中心として自分の世界が回っていると捉えるのは正解ではあるんですよね。
ただし、
『他人にもその人中心に回ってる世界がある。』
っていうことはある程度想定して、ないがしろにし過ぎないよう配慮することも必要なのです。
そして何より、
『自分が行動したから、自分の目の前に結果が表れている。』
ということを受け止めるから、より沢山のものを受け取れるようになっていく
のだという点をもっと沢山の人が理解できると良いのではないでしょうか。そういうことが
[自分の器を広げる]
ということなので、自分の豊かさを増やすためにはとても大切な訳です。
近年あまり見かけることは無いかもしれませんが、【ラジオ付CDプレイヤー】ってありますよね。勿論【ラジオのみ】という品もあります。
スピリチュアルが得意な人は、電波を受信するアンテナの機能が物凄く高い、ただのラジオなんですよ。そうやって受信した様々な情報を活用して精進を続けていくといずれ、多機能ラジオのスペックへと成長していけるんです。
ところが、アンテナのスペックが高いだけなのに
『自分は超マルチ機能付ラジオだ!』
と、慢心を続けていることでおかしなことになっている人、結構いるんですよね。
本人がそれで満足してる分には全然それで良いのですが、
『私も多機能付ラジオに昇格するぞー!』
と意欲的な人のお手本として望ましくはありません。
本気で覚醒したい、目覚めたい、自分の人生を生きたい人は、お手本にする人を選ぶことも大事なんです。恐らく今日の話で、見極めるポイントが何となく分かったはずです。
そして前回の話とも通ずるのですが、私のおすすめは、誰かを見習うよりも
[ひたすら自分と対話することに集中する]
です。一時で良いので、仲間や同志と群れるのではなく、自分に集中する方がよっぽど目覚められると、私は思います。
精神性が磨かれれば磨かれる程、相手が発したエネルギーをそっくりそのまま返す素質が強まります。私は精神性が備わってない、子供の頃からそういう素質が強かったので色々苦しい思いもしてきたタイプなので分かるのですが、エネルギーをきっちりお返ししているだけなのに自分が悪者扱いされる経験することもあるでしょう。無いかもしれません。人それぞれ、状況次第ではあると思います。
モヤモヤする状況に陥ったとしても、しっかり、
『これは、相手の行いが相手に全部返っただけのことなんだ。』
と、他人軸を理解していれば不必要に落ち込まずに済みます。
だから恐れずに、相手に返すべきエネルギーはそのまま返す、自分が受け取るべきものだけを腹を据えて受け取る。こういうことができる人が1人でも多く増えますように、祈っています。
1人でも多くの人が、自分の望む現実を描いていけるようになりますように。
進みたい人の手助けになれれば幸いです。
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