相手の立場で考える???
{2023.06.26の記事}
はい、今日は久々に
ディープな話
書きますよ。
分かりにくかったら、私の表現力の問題なので華麗にスルーでお願いしますね*⌒ω⌒
最近凄~く、人間の心理とか思考に興味があります。
もしかして昔から興味があったのかな?
自分の中ではあんまり
『興味持って観てる!』って自覚は無かったんですけど、最近は凄く興味深さを感じてます。
私は
『他者の立場で物事を考えられるスキルもある程度必要。』
だと考えています。
『こういう発言をしたら、相手は傷付かないかな?』などの配慮は、少しはできた方が良いと思っています。
しかし世の中には自分中心にしか物事を考えられず、他人を振り回すタイプもいます。
『なぜ相手のことを一切考えられないのか?』という部分がとても気になりました。
そうして気付いた色々を今日は書きます。
【相手の立場になって物事を考える】
という表現がありますが、この言葉に実は2重の意味があります。
①自分が相手の立場だったらどうするか
②相手の思考を辿って考える
というものです。
①は、比較的誰でも取り組みやすい考え方で、この思考はできる人が多いのです。
できる故に、
『自分が相手だったら絶対○○するのに、何でこの人はやらないんだー!?』などと、
・自分の思い描く行動
・相手が実際に取った行動
の間に差を感じて怒りを覚える場合も少なくないでしょう。
そして案外公に語られていない②の思考…
これをできる人、できない人、くっきり分かれてしまいます。
できる人から見ると、できない人が何故できないのか全く分からないし、
できない人の中には概念自体が存在していない
という何とも不思議な世界観のお話です。
相手の思考を辿るためには、
・相手と同等の知識量であること
・相手の思考の組み立て方を理解していること
・相手の考えを予測すること
など、脳を使うことが必須です。
・知識量が少ない、
・相手の思考の組み立て方が理解出来ない
・予測する想像力がない
と、相手の思考は辿りにくいですね。
ただ、
・知識量が足りなければその都度聞く
・思考の組み立てが分からなければ思考の分岐点でどちらなのか聞く
など、相手とのコミュニケーションによって、リアルタイムで情報を補填しながら相手の思考を辿っていくことも可能なので、脳の能力差に関係なくお互いの思考を辿り合うのは本来難しいことではないのです◎
ところが
・思考停止してしまっている人
・脳を使うことに拒否感がある人
・自分は頭が悪いと極端に思い込んでしまっている人
などなど、何らかの理由によって[相手の思考を辿る]ということが全くできない人がいます。
もしかすると、先天的な能力によってできないのかもしれないし、かつてのトラウマによってできないのかもしれないし、人それぞれ理由は異なりますが[頑なに相手の思考を辿れない人もいる]のです。
言い方を変えると
[他人軸が全く理解できない人]
とも表現できます。
[究極の自分軸な人]
という風にも表現できますよね。
恐らく、
[絶対に相手の思考を辿れない]
というタイプは一定数存在するのです。
そんな中で
・思考停止を止めてみる
・脳を使おうとしてみる
・自分は頭が悪いという思い込みを無くす
などに取り組むだけで②が出来るようになる人も沢山います。
むしろ、思考停止や無駄な思い込みを無くさせるために対人トラブルが起き、変化を促される人の方が多いと思います。
そういったタイプの人たちにとっては、②の思考を身に付けることを促されているので、少し意識してみていただくと良いのではないでしょうか。
[相手の思考を辿る]
という思考は、本を読んだり、国語の授業、道徳の授業なんかでも身に付けていく流れが多いはずです。
問題の意図を汲み取る上でも重要な思考なので、算数や数学をはじめとした多くの教科においても、使えると優位な思考ですよね。
ところが、先程述べた通り
[相手軸で物事を考える]
ということが絶対にできないタイプもいるので、学業の成績で人を測ろうとすることがいかにおかしいことであるか、少しでも伝われば幸いです。
そして、普段から私がよく言っている
学業の成績が悪い=頭が悪い という考えはおかしいことである
という部分も伝われば幸いです。
とはいっても、初めに宣言した通り、私個人は
[相手軸で物事を考えられる]
というスキルがある程度備わっている人が増えること
も大事だと思うのです。
だから、[他者の思考を辿る]ということができるようになることを目指すための学習は結構大事だと思っています。
他者の思考をある程度辿ることができれば
・変な勘違いからのトラブル
・偏り過ぎた強い思い込みからのトラブル
・相手を不用意に傷付けてしまうトラブル
など、争いの火種を減らせる部分が多いからです。
では他者の思考を辿れるようになるにはどうすれば良いのか…
この部分に関してはIQの高い人を中心に
少し研究してみて貰うと、より確実な方法を炙り出せるような気がします。
その位、真剣に分析してみたい(してみて貰いたい)カテゴリーな気がするので、私の安直な考えを書くことに若干抵抗もあるのですが………
書くよね🙃
基本的に、
・何か物事を教えられたとき
・新しい何かを知ったとき
『どうして、なぜ、そうなるのだろう?』と、常々自分で考えてみる癖が付いていることは大切です。
新しいことをただ鵜呑みにする、
正しい、間違っている、と判断付ける
前に
『何故△△になるのだろう?』と、自分なりに考えてみる思考の流れになる必要があります。
まずはこのwhyの方向性に思考を使えることは重要になります。
この段階では好奇心がとても重要ですね。
次に
『△△になるのは、○○だからかもしれない。』と、仮説を立てられることも大切になってきます。
becauseの方向性に思考を使えると、想像力がとても広がります。
その次の段階では
『○○ではなくて、□□だったのかも?』
あるいは
『○○だったら☆☆になった可能性もあるかもしれない!』
など、異なる可能性についても思案できるようになってくると、かなり思考力の幅が広くなります。
may、ifの方向性で考える、複数の可能性について物事を考えるよう工夫できると、想像力だけでなく分析力も高めやすくなり、この段階にくると、自然と学ぶということに楽しさを感じやすくなるでしょう。
このように、自分の頭の中に
どうして?
こうかもしれない!
もっと違うかもしれない!!
など、それぞれの方向性に思考が働くよう
【思考の回路を巡らせておく下準備】
はとても大事です。
この、思考の回路が多ければ多い程、広ければ広い程、他者の思考を辿りやすくなります。
+αとして、自分が立てた仮説に対して本当に正しいか試してみる好奇心や実行力があるともっと思考の回路を広げやすくなったり、学ぶことに楽しさを感じるようになると思いますが、今回の話の主軸とは少しズレるので省きましょう。
why? →
because. . . ←
may. . . →
if. . . ←
あらゆる方向に思考の回路が広がっていると、他者の思考を辿りやすくなります。
特にmayやifの方向に考えた経験が多い程、他者の考え方に対して理解を示すのが容易になるでしょう。
また、いざ本を読んだり、会話をするなどして他者の考えに触れたときに、自分の思考の回路の流れとの差異に敏感になるんですよね。
そうなると、【意見の相違点】だけではなく【考え方の相違点】が見えやすくなり、
『世の中には異なる意見の人が沢山いる。』
というだけでなく
『世の中には考え方(考える方向性)が異なる人が沢山いる。』
という部分も肌感覚で理解できるようになります。
こういった、共感や差異を繰り返し繰り返し体感することによって、より一層他者の思考を辿ることが簡単になっていくのです。
以上が、あくまで私が思う他者の思考を辿るための経緯です。
先に書いた通り、他者の思考を辿る流れの詳細はもっと知能が高い人に分析して貰った方が確実だと思うので、どなたかお願いします!
ただ、注意点もあって
『こういうときはこうするべき!』
『こういう場面ではこれは絶対にしてはいけない!』
など、強固な強固な思い込みがあると、どうしても自分の思考回路が広がらないポイントも出てきてしまいます。
このことから、子供の頃にできる限り思考回路を広げるよりも、大人になってから思考回路を広げる方が難しい傾向にあるとも言えてしまいます。
大人になってから思考回路を広げることが不可能な訳ではないのですが、
例えば『地球は平面かもしれない?』など、これまでに習ってきた内容と全く異なる意見について考えを広げにくくなってしまっていることは想像に容易いのではないでしょうか。
思考の回路を広げる工夫を始めるには、若ければ若いほど有利ということになってしまうのです。
勿論、大人になっても頭の柔らかい人や思い込みが少ない人にとっては何ら問題は無いでしょう。
ただ、
『思考の回路なんて簡単に広げられる!』とナメてかかると、しんどい気分になる場合もあるので、お気を付けくださいということですね☆
他者の思考を辿れると喧嘩の仲裁ができるようになります。
(できれば巻き込まれたくないですけどね。)
双方の勘違いポイントが手に取るように分かるので、かなり少ない労力で仲裁が可能になります。
また、自分と相手でモメかけても相手の言葉の本意を理解しやすいため、相手の放つ言葉で怒る場面が断然減ります。
逆に相手が怒ってしまっても、すぐにその怒ってしまったポイントが分かるので、冷静に訂正ができ、華麗に辟易は忌避できます。
(急に韻踏むw)
他者の思考を辿れると、自分が怒ることがかなり減るんです◎
まぁ、先程述べた通り強固な強固な思い込みがある場合はそこで激しく怒ってしまう可能性もあるのですが、基本的には口論が断然減らせます。
ここまでこの話を読んでご理解いただいている皆様にはもう捕捉説明は不要でしょうが、
[他者の思考を辿る]
とは、
[相手がどのような流れで物事を考えたか]という部分を理解する
ということですね。
「アボカドって美味しいよね!」
「そう言えば今日マックの新作出るらしいよ!」
この会話、一見破綻しているように見えますが、
アボカド=ナトリウムが豊富
ナトリウムが豊富=しょっぱい物と一緒に食べるのが望ましい
しょっぱい物=ファーストフード
ファーストフード=マック
と、連想した経緯が読めれば
「アボカドって美味しいよね!」
という言葉を無視された訳ではないということが分かります。
この、連想具合が同等、もしくは片方が合わせられる関係性なら細かい言い争いが発生しにくいのです。
ところがこの例のような流れになったときに
「今、アボカドの話してるんだけど、無視しないでくれる?!」
と思わずイラついてしまうと、しょうもない喧嘩が始まってしまったりしますよね。
私は、他者の思考を辿ることができる人を増やすことは不可能ではないと思っているし、増えることは大事なことだと思うのです。
先述したように[100%の人が他者の思考を辿れるようになる]のは無理だと思いますが、[他者の思考を辿れる人の割合を増やすこと]はできるはずなんです。
そのために、大人になってからも
『自分は極端な思い込みで凝り固まっていないか…?』と振り返る機会をたまに設けることも大切だと思うし、子供たちへの教育の中で
【他者の思考を辿れる力を伸ばす教育】
に取り組む部分もとても大切なのではないでしょうか。
色々な方にとって何か考えるきっかけになれば良いな、って思います。
おわり
↓人によっては嫌に感じる言い方が入るかもしれません、ご了承ください。
他者の思考を辿る能力が無い人が悪…と言いたい訳ではないんですけど、辿れない人しかいないと、余計な争い事は確実に増えると私は思うんですよね。
スピリチュアル的な表現をするなら、全ての人がワンネスに目覚めた上での世界であれば自分軸でしか物事を考えられなくても問題は起きないんじゃないかと思うんですよ。
でも、現実世界は違いますよね。
色々な人がいて、ワンネスの感覚から完全に切り離されている人が混在している状態では、ある程度他人軸で物事を考えられることも大事な部分があるはずです。
そうやって色々な人が混在している世界で、
仮に『自分軸しか分かりません』ってタイプを悪玉菌に例えると、悪玉菌が増え過ぎたとき、環境のバランスを欠きますよね。
それに対抗する善玉菌役割として思考という『ゴリゴリ3次元世界の感覚を使える人』が同じ位の数存在する必要があります。
(悪玉菌と善玉菌が逆でも同じことですが)
ただ、日和見菌という、悪玉にも善玉にもどちらにもなれる存在が必要なように、『いざとなれば、高次元的感覚も使えるし、3次元ゴリゴリの感覚も使える』と両方同じ程度に使える必要性はあるじゃないですか。
そのために[思考を上手く扱える]という人も絶対不可欠なんじゃないか、って私は思ってます。
久しぶりになかなかディープな話になっちゃったので、今日のところはここまでにしておきますが
必要な人に良い感じに届きますように☆
高IQの人にも届いてほしーなー