自分を貫く
みんなそうだと思いますが、私も
自分のことが見えません。
自分の本心というか、もう少し深い、本質的な自分っていう部分が全く見えません。
でも、他人からは
『Nagyちゃんは自分を貫いてる人だな。』
って見られることも少なくないので不思議な気分によく陥ります。
でも、私が私を貫くそれなりの理由も確かにちょっと存在してて、今日はその辺を書いてみようと思います。
以前の記事でも何度か触れたのですが、私は他の人がやってる小賢しい行為を私も真似したら、必ず天からお叱りを受ける経験が多かったんです。
小賢しい行為だけでなく、人間として正しくない行いみたいなものを私がやると、必ず天罰が下るんです。
幼い頃の例え話だと、私は自分が何か選ぶと、決まって母は
「えー!絶対こっちの方が良いし~。何でそんなモン選ぶんか意味分からん~。」
の、ように私の選択を否定するのが当たり前だったんですよ。
だから私も他人の選択を否定するのが当たり前に染み付いていました。
あるとき習い事の場にてケーキを差し入れで貰うことがあったのですが、その際に手伝っていた母もケーキを貰えることになり、
「やった~!ティラミスもーらいっ!」
と言ってるのを見て私が
「えー!ティラミスとか絶対美味しくないし~。意味分からん~。」
といつものように返すと、習い事の先生から
「他人の選んだものにケチ付けるとは何事や!人には人の価値観があるんやからいちいちケチ付けんな!」
という内容を物凄い剣幕で怒られたんですよ。
正直、何て言われたか詳しいことは全く覚えてないんですけど(←笑)、そのときに
『え?じゃあ何でお母さんは私の選択を毎回否定するの?』
『じゃあ、何でお母さんの発言だけ許されるの?』
『お母さんがいつも言ってることを真似してるだけなのに、何で私が怒られないといけないの?』
『何でお母さんはお説教されないの…?』
などと、母親への不信感や、先生に対する理不尽感…まぁ、先生が普段の母を知らないから仕方ないのも理解してはいたのですが、に、しても
『だったら私に怒る前に自分の子供の言動を躾られてない母を注意するのが先じゃね?』
と、得も言えぬモヤモヤを抱えたものです。
こんな感じで、母の真似をしていると、別の大人から説教を食らう経験がちらほらありました。
とても最近の出来事であれば、
「アンケートに答えたら抽選でQUOカード1,000円分プレゼント!」
というのが目に留まり、
『1,000円欲しい~!』
という欲が先、
『しかも答えることでこの企業に貢献できるじゃん☆貢献貢献~♪』
と、あたかも
『その企業のため』という体でアンケートに答えたら、
「DMは要りません。」
としっかり記載したにも拘わらず、QUOカードは当たらないのに、DMを送りつけられるという、しっぺ返しを食らいました苦笑
多分、素直に
『1,000円貰えたら嬉しいなぁ~♪』
と、考えてるだけだったらしっぺ返しも無かったかもしれないのですが、体の良い言い訳をしてしまったが故に腹立つ対応で返されてしまったのです。
世の中には【体の良い言い訳】をしながら自分のために動いている人間は山ほどいるのに、
『何で私だけ怒られるんだろ…。』
って、ちょっと理不尽に感じたりもするんですけど、私はそういう星の元に生まれてしまっているようです笑
私は、真っ当に生きてないと、ことごとく天罰が下る人間なんです。
だからこれまでの人生の中で、他人が私を見たときに
「真面目だね!」
とか
「律儀だね!」
って、驚かれたり、場合によってはバカにされるような経験をしたこともちょいちょいありました。
でも、私はそうやって生きざるを得ないところがあるんですよ。
不思議な力で縛られてるのか、護られてるのか…
子供の頃はもう少しズルく生きることを覚えようとしてたんですけど、あまりにも確実に天罰が下るので、いつの間にか諦めて
【お天道様に恥じない生き方】
というものを自然に選ぶようになっている部分も多いです。
人間としての私からすると正直、周りを見ていて
『ズルい生き方ができて、ズルい!羨ましい!』
と感じることも少なくありませんでした。
子供の頃なんて特にそうで、小賢しい友人たちから小馬鹿にされる経験も少なくなかったので、なかなか悔しい思いもいっぱいしたものです。
どちらが正しいか、云々を抜きにして、周りの人間みんながズルい選択をする中で、私だけは絶対に【人として正しいと感じる選択】をしなければいけなかったので、自ずと"私だけ"1人周りと異なる選択をせざるを得ない経験もちらほらありました。
ハッキリ言って、
[自分1人だけ、他人と違う選択を取る]
って怖かったです。
でもそれ以上に天罰の方が怖かったのもあって、繰り返す内に、今では過半数と異なる選択を取ることに何の抵抗もないし、
『人間、みんな意見は違って当たり前じゃん。』
と、何とも感じなくはなっています。
とは言え、元々は好き好んで自分1人だけ違う選択をしたかった訳でも、そうやって周りから浮きたかった訳でもなかったし、できることなら周囲に合わせて目立たず無難に生きたかった気持ちも強かったんですよね。昔は物凄い人見知り&引っ込み思案だったので、それはそれは自分を貫くのが辛かったのですよ。
だけど、その度に
『頑張って、貫くぞ!』
って勇気を振り絞る経験を繰り返してきたから、今の私が出来上がっております。
私が自分を貫く姿を見て、僻み根性を発揮してくる人間もたまにいました。
もしかしたら今も、私からは見えないだけで、いるのかもしれません。
だけど私には
悔しかったら、てめぇも自分貫いてみろや。自分を貫くことがどんなに怖いか、辛いか、経験してから私に文句言えよ。
って思う部分はあるんですよね。
私は、初めから苦労無くしてこんなに好き勝手自分を生きれる状態になれた訳じゃなかった背景があるから、
「自分勝手でいられる人はいーよねー。」
みたいな目で見られると結構真剣に苛立ちます。
私と同じだけ勇気出す経験してから言えよ、話はそれからじゃ。
って、そこに関しては私の地雷が炸裂します。
少し方向性が違うんですけど、
[自由に生きる]
には、必ず
[自分の選択に自分で責任を持つ]
っていう部分もセットになるはずなんですよ。
誰かや何かに責任を委ねるということは、誰かや何かの管轄の中で生きることになりますからね。
自分の好きに生きるには、自分の行動によって返ってくる因果を自分で刈り取るっていうある種の覚悟も大事だと思います。
でも、そういう部分を分かっていない人は
「自分の選択に責任は取りたくないけど、自由に生きたい!」
って、駄々をこねがちだし、自由に生きてる人を見ては
「ズルい!」
と僻みがちな印象があります。
そういう人は明らかに未熟な人だということも分かってはいるんですけど、私はどうもその手のタイプにも腹立たしさを感じてしまうことがあります。
これも、以前どこかの記事で書いた気がしますが、私の使命の内の1つに
[カルマの解消]
というカリキュラムもあって、それはそれは様々なカルマを刈り取った経験があるからです。この経験もなかなか辛かったので、
[たかだか自分が生んだカルマの刈り取りごときを拒んでいる]
ような人間に僻まれる筋合いは無いんですよね。
僻むなら、私と同じ量のカルマを刈り取ってから僻んでみろよ。
ってなります。
人それぞれ
[自分が自分として生きるためのハードルの高さ]
って異なるはずなんですよ。
別にそのハードルを高く設定する必要なんて無いとも私は思っていて、
『自分は、自分として生きるのに苦労なんてしません!』
って思っておく方が絶対に良いと考えてます。
ただ、私個人はこうして自分を生きられるようになるために、なかなか高いハードルを越えてきたタイプだから、まじでブレない強さというか、折れないしなやかさを身に付けたと思うし、そこに対して
『どうせ元から自分を貫ける素質の人間だったんでしょ。』
という風にしか見られなかったとしたら、それは癪に障るんですよね笑
自分を貫くことを苦行と捉える必要は全く無いけど、自分を貫くためにはある程度
[自分のマインドが作り出してるコンフォートゾーンを抜ける]
っていう経験が必要なことがあるのは事実だと私は思うし、コンフォートゾーンを抜けるには多少勇気が必要な場合の方が多いんじゃないかと思います。
マインド(思い込み)を自ら見付けて、
『自分の考え方が違っていたのかもしれない…。』
ってこれまでの自分の間違いを認める。
この流れもセットでくっついてるので、自分の棚卸しに慣れるまではなかなか苦しい瞬間があるのも事実だと思うんですよね。注射みたいな一瞬の痛みとも言えるけど、痛みは痛みだし。
人によっては、大好きな人や、信じてた人、尊敬してた人が間違ってた(本当は自分には合ってなかったんだ)っていう部分を認める必要も出てくるから、その作業が本当に辛いっていう場面もなきにしもあらずだと私は思います。
そういうことを全っ然乗り越えてないような人に、私はとやかく言われる筋合いも無いし、乗り越えようという意欲さえ持ってない人間のために色々教えてあげようなんて思えない、ドライな私もいます。
とは言っても、本質的な自分を貫けるようになるっていうことが、
『ただ単純に自分のわがまま好き勝手生きる、他人に配慮しない人間なんだ。』
ってことと混同してない人は増えて欲しいかな。
アホみたいなキラキラスピリチュアルはそりゃあ華やかかもしれないけど、そのキラキライメージだけが先行するのは私は嫌なんだよなぁ。
地球で生きてる人間が本質の自分に還ることって、自分にとっての頑張りが必要な場合もあるんだって部分を解ってる人はもっと増えて欲しい気がした今日この頃。
努力では無いけど手抜きでも無い。
こういう部分の差は体験しないと分かんないのかもしれないね。
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