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自分との相違が怖いんだね



{2023.07.15の記事}

暑い

溶ける…

いや、むしろ溶けてしまえた方が楽なんじゃないかとすら思う。

皆様も熱中症などには十分注意しましょうね。

 

・自分と意見が違う人
・自分の考えの中に当てはまらない人
↑こういう人を見て強烈に批判する人
って、本人の顕在意識では気付いてない部分で相手を恐れているからなんだよね。


私も経験があるんですよ。

子供の頃から、私の母がTVなどの芸能人を見る度に
「この人嫌い!」
「キッモ!」
「何でこんなヤツがTV出るん!?」
などなどなど、批判ばっかりしてたんです。

そういう姿を見て育ったので、私も自分が気に入らない人間は批判することが自然なことなんだって、思い込んだまま成長したんですよね。

だけど、自分の心を育て直ししていくにつれて自分が嫌いだと感じる人はどんどん減っていったし、
『相手を批判するのってお門違いなことなんだ…。』って徐々に気付いていきました。

だから、

◆批判する人の感覚
◇批判するって概念が無い人の感覚

両面の感覚が分かる方だと思います。

・自分と意見が違う人
・自分の考えの中に当てはまらない人
↑こういう人を見て強烈に批判する人

便宜上、判人さんと名付けて例えていきます。

判人タイプの人間っていうのは、何かしら心に問題を抱えています。

愛着障がいの人も多いでしょう。

判人タイプになってしまう経緯も様々あるとは思いますが、多いのは、
[幼少期にちょっと個性的な行動を行っただけで親をはじめとした周りの大人から物凄い怒られ方をした]
という経験だと思います。

やっぱり、幼い子供から見て、大人の怒る姿って物凄い恐怖なんだと思うんですよね。

その経験が強烈なトラウマとして深く心に刻まれ、
『こういうことをしてはいけない!』
『こういうことをするのは良くないこと!』
と、極端に思い込んでしまいます。

その結果、自分がやって怒られた内容などを中心に、
【少しでも周りの大人の機嫌を損ないそうな行為
に対して
過敏に反応するようなメンタル】
が出来上がってしまいます。

そういう過敏なメンタル判人思考を生み出してしまうのです。


周りの大人が怒ったときというのは、
実はその大人がたまたま機嫌が悪かっただけの可能性もあります。
その大人が忙しくしているタイミングだっただけの可能性なんかもあります。

『あ、なんかコイツ怒ってるわ…。』と、流せるタイプの子供であれば、判人タイプになりにくいんですよね。

ところが、判人タイプになりやすい人は
ビビりやすいタイプだったり、全てのことに対していちいち真剣に考えてしまったり、とにかく怖がりなタイプが多いんです。

だから、周りの大人の怒りを見て極端に『ヤバい…。』と感じ、周りの大人を怒らせないように【NG行動リスト】を自分の中に積み上げまくって成長する可能性が高いです。

その
【判人内NG行動リスト】
に違反する人間
を見るとどうしても
「それはダメでしょ!」
と、批判せずにはいられなくなるメンタルを抱えているのです。


私個人の経験談だと、幼少期に
周りの大人がヒステリックに怒る=面倒臭い
だから、その行動を取らないようにする。

というメンタルもありました。

周りの大人がヒステリックに怒り出す=こっちが折れるまで終わらない
ということが何となく分かるから、大人の言う通りにする…という感覚です。

結構私と同じようなタイプも多いんじゃないかと思っていて、
『周りの大人が怒るのが怖い。』
だけでなく
『周りの大人が怒ったら収集つかなくなるのがダルいから。』
という理由で、
【判人内NG行動リスト】
を積み上げるケースも沢山あるはずです。


まぁ、このタイプにしても結局は
『相手の怒りが延々と続くことが怖い。』という気持ちもベースにあるので、恐怖心がトリガーになっている場合が多いですよね。

「それはやっちゃダメでしょ!」
「あれをやっちゃダメでしょ!」
と、極端に怒り出す人間というのは、その行動に対するトラウマ恐怖心を抱いている人間だとして見てまず間違いは無いでしょう。


愛着障がい傾向が強いタイプは、
「自分がどんなに酷い言葉を投げ掛けても、許してくれるよね?
「自分がここまで酷いことを言っていても、見捨てないんでしょ?
と、相手に甘えてる場合が多いです。

以前違う記事で少し触れたように、
「自分がどんなに酷いことをしても、見捨てないでいてくれるよね?」
「自分がどんなに酷いことを言っても、構ってくれるんだよね?」
と、あえて相手が嫌がりそうな言動を取りながら様子を見てくるので、その行動に際限が無い場合が多いです。

こういうタイプは、早目に見極めて、
スルーするor距離を置く
ことをおすすめします。


極端に他人を批判する人の心理とは、その殆どが【恐怖心】からきていると思って良いです。

その恐怖心がどんな形で現れるかは人それぞれ若干異なるのですが、

『あー、この人、ビビってるんだな。』と、受け流しましょう。



実際、極端に、オーバーに非難されたら、辛いじゃないですか、悲しいじゃないですか。

けど、
【極端に、オーバーに非難するような人間】っていうのは話が通じない節がある
ってどこかで理解しておいた方が良いです。

彼・彼女らは、本当にメンタルの一部がやられているので、
『どうして他人を非難するのが良くないことなのか?』という部分を理解できない人が多いんです。

↑と、いう部分を理解しておくことで、自分の精神衛生を守れる可能性が高まるので、多くの人に広まると良いなって思います。


大人が怒る=怖い
という経験から判人思考になったタイプは、面と向かって文句を言わない傾向が強いです。

陰口が多いでしょう。

エスカレートすると、匿名の場において攻撃的になります。


大人が怒る=面倒臭い
という経験から判人思考になったタイプは、成長するにつれて面と向かって相手に喧嘩を吹っ掛ける傾向が強いです。

エスカレートすると、堂々と他人を煽り出すことも多いです。


結論

いずれにせよ、判人タイプには
反応しないのが一番おすすめ

だと、現段階ではお伝えしておきます。


繰り返しになってしまうのですが、
【極端に他人を批判、非難する人】
というのは、メンタルに不調を抱えている場合がほとんどなので、まともに会話するのはプロでなければ難しいと思っておいて良いです。
(プロでも難しい人も多いと思います)

「他人を批判するのは、良くないよ。」
ということが伝わらない相手である。
として対応しない限り、こちらの精神が疲弊するだけで何も変わらないのだと、頭の片隅に置いておいてください。


・人と人の意見が異なること
・異なる意見の人同士が一緒の空間にいること
頑として許せない
という判人タイプもかなり多いです。

この判人タイプも、前の記事で書いた通り、これまでの時代背景遺伝子の働きから

[異なる意見があること=恐怖]

という流れで判人タイプになっています。


[判人タイプになる=恐怖心が元凶]
なので、判人タイプによる批判の言葉には[恐ろしい程の攻撃力]があります。

判人タイプ自身に一切自覚は無いと思いますが、

一般的ではない意見=敵
自分とは異なる意見=敵

という感覚から発せられる批判の言葉になるので、とにかく威力があります。無意識に応戦しているようなものなので。

こういった、威力の凄まじい批判意見はそりゃあまともに食らったらダメージが酷いということは、何となく伝わったのではないでしょうか。

まともに食らわないために、
『あー、はいはい、ビビってるんだねー。』と判人タイプを子供のように扱えるようなメンタルで構えておける人が増えることを願って、この話を書きました。


私個人的には、判人タイプのメンヘラが撲滅することが一番望ましいとは思ってるんですよ。

だけど、判人タイプのメンヘラって先程にも書いた通り、極度のビビりが多いため、自分の心の問題と真っ向から向き合えない人間が多いんです。

だから、判人タイプが更正するという流れは望み薄なんですよね。


だから、伝わる人に

『あー、ビビりメンヘラはスルーでおk。』

と、流せる人間の数を増やす方が大事だって私は思うんですよ。

本当に、非難されるのって、マジで辛いしキツいんですけど、
『はいはい、ちーせー犬が吠えとる吠えとる。』って受け流せるメンタルになることも、大事な自衛の一種なんだって上手く伝わったら良いなって思います。


恐らく、
『どうしてそんな酷い批判をするの?!』と、[判人タイプの心理が理解できないこと]が恐怖心を刺激して、判人タイプに対して批判的になるという側面もあるでしょう。

しかし、恐怖心に恐怖心で対抗していては争いは止みません。

この記事で、判人タイプの心理をある程度理解できたと思うので、もう判人タイプを恐れないでください◎

『判人タイプって、ただのビビりだったんだな!』と、受け流せる人になってみてください。

受け流せる人の人数が増えることで助かる人は増えるんです。

解る人から、争わない勇気が持てるようになりますように。

おわり


私の考え もうちょい深掘り

私個人的には、【真の優しい世界】のためには、[心の強い人が増えること]もめちゃくちゃ大事だって考えてるんですよね。

『優しくなるだけじゃダメじゃない?』
と、いうか、
『強くなければ、人に優しくできないよね?』
って考えてるんですよ。

またまた微妙なラインの話になってくるんですけど、幼少期とか、人生を生きる中で
[他人から傷付けられたことが無い]って人はほとんどいないと思います。

「傷付いたよね、辛かったよね、傷付ける人が間違ってるよね。」
っていう慰めの言葉も幅広く必要だと思う反面、
「じゃあ、傷付かないためには、どうしたら良いと思う?」
ってある種厳しく感じるような問い掛けも幅広く必要なことだと思うんですよ。

「傷付いて可哀想だったね、よしよし。」
だけじゃなくて

「傷付かずに済むように、強くなろうね。」

って心の器を広げるような言葉もいっぱいあった方が良いんじゃないかなって。

本当に、絶妙な話だと思うんですけど、[懐が広い人が増えること]って平和のためには必要不可欠なことだと思うんですよ。

懐が広くなる為には、

「傷ばかり眺めてないで、どうすれば傷が生まれないのか、考えなきゃダメだよ!」

って言葉も必要だと思いませんか?

ただ、そういう言葉ってただの根性論って話でもなくて、
視点を切り替えてみようね?」
って促せる言葉であった方が良いと思うから、難しい面もあるのかもしれない…


私は、日本人はもっと率先して【懐の深い民】を目指して良いと思うんですよ。

【喧嘩を売られて、買って、勝つ】
みたいな強さじゃなくて

【喧嘩を売られても、買わずして、勝つ】

位の精神力を目指して良いんじゃないかなって。

どこかにいる似たような考えの人に届きますように☆ミ


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