不登校が増えてる問題について語るよ
{2023.07.28の記事}
一応、期間限定公開みたいですが、YouTubeのプレシディオチャンネルさんを中心に無料で映画見れるんですけど!
ヤバくないですか?!
凄い時代ですね、ありがたや~ありがたや~。
いくつか見たんですけど、やっぱ、何となくですけど小説(元ネタ)読んでから映画見た方が楽しめそうな作品多いですね。
うーん…図書館だと無料で何冊でも借りれるのだから、電子書籍もそうならないかなぁ…無理か *⌒艸⌒
不登校児が増えてる件について皆様はどのように捉えていますか?
問題視していますか?
不登校児が増えることに対して
「由々しき問題だ!」
と目くじらを立ててることこそが由々しき問題なので、ちょっと説明していきますね。
現代において、
『純粋に本気で学業を修めたいだけ。』
なのであれば
・塾
・家庭教師
・オンライン授業
などなどを中心に、方法は様々あるんです。
ちょっと賢い子や、賢い親の家庭であれば、本屋さんで買ったテキストや、ネットを駆使して必要な情報を自力で調べた方が学校で勉強する以上の知識を得る可能性が高い場合もあるほどです。
何なら、賢い子にとっては、理解力の乏しい子に合わせなければいけない環境での苦痛な勉強方法よりも、自分の気になった部分についてマイペースにどんどん学んでいける方法の方が、確実に知識量は伸びるでしょう。
とにかく、現代では
『学業を修めたいだけ。』
なのであれば、
[必ずしも学校に通うことだけが正解ではない]
というポイントは絶対に押さえておくべきです。
学校という、色んな人間が集まる環境で社会性を身に付けることもとても大切な部分ではあります。
しかし、SNSなどを中心に、[大人の目・管理が行き届かない所でのいじめや嫌がらせ]も増加している上に、[いじめ(いたずら)と犯罪の境界線が分からない子供も大人も沢山いる]ことも事実です。
そんな中で、
[いじめと犯罪の境界線が分からない人間が沢山いる環境で過ごす]
というリスクを負わずに済むのであれば、それにこしたことはない
という点も沢山の大人が理解しなくてはいけません。
少しキツい言い方をしますが、昭和では当たり前だったことも、令和では犯罪に当たるような言動も増えています。
ところが、
[昭和の価値観が異常だった部分もある]
ということが理解できていない大人もまだまだ物凄く多いです。
今のような時代で子供たちを守ろうと思うなら「(今までの)常識に従いなさい!」
という判断は、ある種危険な判断になる可能性もあるということを理解している大人の数は少しでも増えた方が良いでしょう。
もう少し具体的に言うなら、
【小中校時代に携帯電話を持っていなかった世代】
には、
[SNSやネットを使ったいじめの狡猾さを理解できない人間が多い可能性が高い]
です。
そういう大人の意見よりも、
[現代の学校に通う世代の意見を優先して聞いてあげることが必要な場合がある]
ということをしっかり理解している大人も増えた方が良いですね。
皆様も一度考えてみてください。
今お伝えした
・学業を修めたいだけならば必ずしも学校に行った方が良いという考えは間違い
・社会性を学ぶ前に犯罪から身を守る方を優先すべき場合がある
この2点は本当に大切なポイントだと思うので、多くの大人に考えてみていただきたいです。
その上で、
『下手に学校に行かせて子供が酷い目に遇う位なら、学校には行かなくて良い。』と考える親も確実にいます。
家計に余裕があれば尚のこと選択肢も多いです。
別にお金をかけなくても勉強ならばできる場合も大いにあります。
なので
[闇雲に不登校児を非難する]
という意識は本当に止めましょうね!
大事なことなのでもう一度言いますが、
【学校に行けない、行きたくない理由】
をしっかり子供からヒアリングして、
[その子に合った対処法を考えてあげなければいけません!]
今すぐに
「学校にはとりあえず行きなさい!」
という思考停止は止めなさい!
一部の大人に向けて断言します。
学校の存在意義って何なんでしょうね?
私個人は
『小学校の勉強は簡単過ぎる、飛び級したい!』と、いうフラストレーションを抱えながら、できない子のレベルに合わせなければならないのが苦痛で苦痛で仕方なかったタイプなので、
『本気で学業を修めたい!』と考えるならば義務教育っていうシステムはデメリットでしかないと思うんですよね。
逆に、体育は苦手過ぎて、【できない子】という晒し者にされる形のマラソン大会とか縄跳び大会みたいなのが死にたくなる位辛かったんですよね。
それがトラウマ過ぎて、ずっと
『私は運動が苦手。』という劣等感を抱えて生きてきたんですけど、そもそも身体を動かすことってとても大切だし、[身体を上手く動かせること]
よりも
[『身体を動かすことは楽しい!』と思えること]
を目的にすることの方がよっぽど大事なんじゃないかと思うんです。
「下手だから動きません!」
じゃなくて
「上手い下手、関係なく楽しいので続けてます!」
っていう意識で運動する習慣がある人を増やす方が大事だと思いませんか?
「上手くできるようになりましょう!」
は、クラブとか習い事の中での話で、
義務教育のカリキュラムの中での運動は
「楽しく身体を動かしましょう!」
程度の目的意識じゃないと、デメリットしか生まなくないですか?
中学時代、いじめられて(まぁ地味~な嫌がらせ程度といえば嫌がらせ程度で済んだとも言えるレベルのものなんですけど)
キーホルダーを壊されたりしたこともありました。
そういうのってただの器物損壊罪じゃないですか。
本人に攻撃するのも絶対良くないけど、私物を勝手に壊すとか本当にありえないですよね。
けど、公立の小中校で鍵付きのロッカーとかが常備されてる訳でもないので、自衛できない環境な訳じゃないですか。
そういう部分もどうかと思うんですよ。
私のキーホルダー壊された話と同列に語って良いか微妙なところですが、
例えば
『学校指定の鞄をカッターで裂かれました、犯人分かりません。』っていう状況になったとしても、
[やっすい鞄で代用すること]
は認められずに
[また学校指定の鞄を買い直させられたりする]
って、頭おかしいとしか言い様が無くないですか?
でも、義務教育のシステムだと、そういう理不尽なことに泣き寝入りせざるを得ない部分もあったりしますよね。
「1人認めたら、他の人も認めなきゃいけなくなるからなんやらかんやら…。」
って、融通利かないようなケースも、まだまだ全然あるんじゃないでしょうか。
そんな環境に行くより、黙って家で勉強できるならそっちの方がよっぽどコスパ良い場合もありませんか?
私個人的には、
学校に通うこと=デメリットの方が多い
と思うタイプなんですよね。
ただ、
【ネグレクト系の親】
とか
【暴力を振るう系の親】
の元に産まれた子供たちにとっては、学校ってめちゃくちゃ大事な場所でもあるのも分かるんですよ。
[家庭環境次第では教育が受けられない]
みたいなケースを生まない為にも、学校という環境が必要なことは確かなんですよね。
難しいのが、そういう複雑な環境の元で産まれた子供程、何かしらの加害者になる可能性も高い傾向にある部分なんですよね。
私も経験あるので分かるんですけど、
『家庭でのストレスから常にイライラしてしまって、誰かがやたらと癇に触る。』みたいなこともあるので、
そういう
【ストレスフルな家庭環境から離れる場】
という意味でも、加害者になりがちな子にとっては学校は必要不可欠な場だとも思います。
問題は、そのイライラをコントロールできずに他人にぶつけてしまう点です。
大人でもイライラをコントロールできない人が山ほどいるのも知ってるで、子供に
「イライラをコントロールしなさい!」
と訴えるだけでは何の解決にもならないことも理解しています。
では…どうすれば多くの子供たちが安心して学校に行けるでしょうか???
まず、この少子化時代を利用して、
1クラスあたりの人数を減らし、
クラス数はあまり減らさない
少人数制を取るのはかなり有効な案じゃないかと思います。
この場合、教員という人件費を問題として挙げる人間が出てくる可能性も高いんですけど、
一度に見る児童・生徒の数が少ないことで教員の目が行き届きやすくなり、
・犯罪抑止に繋がる
・勉強効率を上げやすくなる
クラス内の児童・生徒の人数が少ないことで
・1人あたりの空間が広くなり、ストレスを感じにくくなる
・クラスの全員と話す機会が増えることで、仲良く出来る人の人数が増える
などなど、メリットを考えると、必要投資と考えるには十分な経費ではないでしょうか。
少人数だと、教員一人一人の仕事量も軽減するというメリットもあります。
仕事量が軽減する分、児童・生徒とのコミュニケーションを取る機会も増えるはずです。
一人一人の意見や考え方と密に触れやすくなることで、
[いじめや犯罪の抑止・早期発見]
にはかなり有効に作用する可能性は高いですよね。
特に、
[先生自身のストレスを軽減することにも繋がる]
という点もかなり大事な要素だと思います。
授業風景を常に撮影→ネットで見れる
という環境が整っているのも望ましいかもしれません。
病気などを理由に学校に行けない子もいると思うので、そういう子たちにとっても、[どこでも授業風景が見れるような環境を整えられる]のは理想的な部分もあります。
まずは、学校固有のアカウントから始めた方が良いとも思うのですが、
ゆくゆくはYouTube的な仕組みを日本独自で作って、そこに全国全ての学校の授業風景がアップされている
という状態になるのも面白そうです。
[色々な学校の、色々な先生の、色々な授業が見られる]
という環境になるのって、凄く楽しそうじゃないですか?
↑こういう授業を、大人も見返すことができるようになると、それもそれでメリットは生まれるでしょう。
まぁこの、ネットに授業風景を載せるという案に関しては個人情報等の問題もかなり絡んでくるので、そう簡単には実現しないでしょうけどね。
AIが発達してきている中で、
『勉強ってどこまで必要なん…?』とは、思いますよね。
私個人的には、子供の頃から[知らないことを知る]っていうことがとても楽しかったので、【知識欲をどんどん満たせる環境】を子供たちに整えてあげることはとても大事だと考えています。
実験だったり、虫の観察がめちゃくちゃ得意な子なんかもいるので、そういう子供たちがのびのび知的探究できる環境を用意してあげることも凄く大事だと思うんです。
知的好奇心がある子供って、実は結構多いはずなので、その好奇心を
・削がない
・伸ばせる
という環境が整っているのが理想的ですよね。
そんな中で、勉強が嫌い、苦手な子もいます。
そういう、知的好奇心があまり無い子たちが、最低限身に付けるべきラインがどこなのか…
という点は考えておく必要が少しあるかもしれません。
「嫌い…。」をやり続けた結果「大嫌い!」になる可能性もあれば、
「嫌い…」に負けずに続けた結果、「好き!」になるという可能性もあるし、
[子供の可能性を大人が勝手に潰さない]
という環境にしておくためにも、若干目安を思案するのは大人の役目な気がします。
少し、方向性が違う話も挟みますが
江戸時代の15歳と現代の15歳
・見ているもの
・抱く理想
・求める未来
が、全然異なるのは想像が付きますよね。
明治時代の15歳と現代の15歳
で比較しても、違うのは想像が付くでしょう。
同じように
バブル時代の15歳と現代の15歳
ゆとり時代の15歳と現代の15歳
みんな、
・見ているもの
・抱く理想
・求める未来
は異なるのです。
ところが、その部分が全く分かっていない大人の数が非常に多いのです。
「自分たちが15歳の頃はあーだった、こーだった……だからお前らもこーしろ!」
みたいな考え方の大人はめちゃくちゃいます。
しかし、大人が本当にやらなければならないことは、自分たちの価値観を押し付けることではなく、
現代の子供たちの目線に立って物事を見つめた際に見えた障害物を取り払う工夫
なのではないでしょうか。
今一度、しっかり子供と向き合いながら、
子供が何を見つめ、理想を描き、求めるのか
真剣に見直してみませんか?
周りのどんな大人の意見よりもまず真っ先に
子供の意見を聞いてみませんか?
私自身、勉強も大事だと思うし、人間関係であれこれ悩みながら大人になる…という経験も必要だとも思うんです。
だから、結果的には
[学校に通えることはとても恵まれたことである]
ということは沢山の人が理解している必要があるとも思っています。
しかし、
「学校は、行かなければいけない場所だから!」
と、何も考えずに子供に押し付けるだけの大人は減らしていかなければならないとも思っています。
学校のありがたみを教えるのは難しいし、学校に行くデメリットを量るのも簡単なことではないかもしれません。
それでも、しっかり
『この子にとっては、どうしてあげるのが最善なのか?』という部分を一緒に模索してあげられる大人が、1人でも増えることを祈っています。
必要な方に届きますように。
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