見出し画像

写す人



{2023.03.10の記事}

前にも
「人には、嫌われ役にならなければいけないタイミングがある。」
って話を書きましたが、今日の話も要はそれです。
(🔻以前の話🔻)




過去に、一緒に暮らしていた男性から、
「君を見てると、自分のダメな所が見えて嫌だ…。」
って言われたことを思い出して、何となくこの話を書きました。


当時は
「君を見てると、自分のダメな所が見えて嫌だ…。」
って言われた時に
『え…それって遠回しに私のことダメって言ってる?!』とか
『それってつまり、私のこと嫌いってこと?!』とか色んなことを一気に考えて、結局何も返せなくなっちゃったんだよなぁ…。

すっごい色んな思いが廻ったけど、

『あぁ、この人は結局私のことを好きになることは無いんだな。』

って妙に悟った記憶がフワッと思い出されたんですよね。

その人とは、7年程腐れ縁的な感じの人で、(かといってずっと一緒に居た訳でもないんですけど)常に私の『好き』の方が大きくて、付き合ってるのに私が片想いしてるだけ、みたいな相手だっただけに
「君を見てると、自分のダメな所が見えて嫌だ…。」
の一言は辛かったです。

当時の気持ちを思い出しただけで胸がキュッってなります;∀;


『私は、この人に好きになって貰えることは一生無いんだな。』

って、諦めが付いたような、悲しいような、切ないような、腑に落ちたような、何とも言えない気持ちになったんです。

当時はね。


今思い返してみれば
「君を見てると、自分のダメな所が見えて嫌だ…。」
「それってあなたの感想ですよね?」案件ですよね *⌒艸⌒

・私の行動を見て、自分の"ダメ"な所だと判断してるあなたの問題
・自分の"ダメな部分"を直視出来ないのも、あなたの問題

にも拘わらず、私が悪いみたいな言い方しやがって…。

当時の、得も言われぬ私の心の傷付き、返して欲しいです。


確か、今の私と当時の彼が丁度同い年位なので
『私、アイツより大人になれたんちゃう?!』って今ちょっとニヤニヤできる程になってます*⌒ω⌒

今思い返すと私は昔から[他人の鏡役]になることが多かったんです。

私を見て[自分が見たくない自分]に見えたようで、私のことを嫌う
って流れで嫌われることが結構ありました。

でも、当時は

嫌われる=私が悪いんだ


って思い込んでいたから、
・私のどこがいけないのか
・何をどう直さないといけないのか
って、凄く凄く自分を責めましたし、シンプルに[人から嫌われる]って辛かったです。


何となくですが、本当に霊格が高い人なら、嫌われ役になったところで動じない、むしろ[嫌われてる]という概念で物事を捉えなさそうな気がします。

そんな中でなぜ
『嫌われた…辛い…。』と感じてしまう私が[嫌われ役]にならなければならなかったのか…
『ちょっと理不尽だな。』って思っちゃう自分もいるんですよね。

今の私は
・嫌われることに慣れている
・人から好かれることもあるのだから、嫌われることもあって当然
・嫌ってる人の問題なのだから、他人から嫌われようとどうでも良い
これらの感覚が混ざった感じで、

『最終的に自分が自分を好きかどうかが一番大事だよね☆』


っていうダイアモンドメンタルになれたんですけど、過去の自分が経験した
『こういうことをしたら、嫌われる…。』という恐れや恐怖のブロックは完全には自分の中から拭いきれていない部分もあるのだと思います。

『頭では分かってるのに、心が追い付かない。』っていう感覚に似ていて、
『嫌われるのは私の問題じゃない部分もある。』のは分かっているんだけど、思考の癖で
『嫌われないような行動を取らなきゃ…。』ってチキってるのではないかと思います。

本当に、心ってややこしいですよね。


[人から嫌われる]って、
〖命の危険に繋がるから避けないと!〗
っていう人間の遺伝子のアラートなので、[嫌われる恐怖]を超えることはなかなかハードルが高いのだと思います。

だけど、魂の役割としては[相手が嫌だと感じる面]を写さなければならない人も存在する必要があるので、やっぱり

人間の遺伝子と魂って相性が悪いんだな

って私は思います。


それで、〖写す人〗って、
『とても徳の高い生き方をしてるんだ!』って、誇りに思って良いと思うんですよ。

人から嫌われる=人の役に立っているという側面もある

と、考えて良いのだと思うのです。


もう1個私の過去のエピソードなのですが、JK時代に、自分の悩みを学校の先生にポロっと話したことがあって、(内容は忘れましたが)その先生に
「何か、【嫌われ松子の一生】みたいだね〃⌒∀⌒」
って返されたんですよね。

私は【嫌われ松子の一生】を観たことも読んだこともないので、そのタイトルだけ聞くと
『え、それって遠回しに私のこと嫌われ者って言ってない?!』って、疑心暗鬼になってしまって、その後先生が何を話してたのか全く耳に入らなくて、覚えていないんですよ。

未だにそれがトラウマで、【嫌われ松子の一生】という作品が悪い訳ではないのですが、読んだりできずにいます。

10代のないーぶな時期に
「嫌われ者なんだね!」
みたいな言い方された感じがあって、
『あー、私、もう生きるの嫌だ!』って本当に抉られたんですよ、当時。

何度も言いますが、【嫌われ松子の一生】という作品は、そういう、
[嫌われ者がうんたらかんたら…]という作品ではないらしいです。

ただただ私のメンタル的に、拒否感が強いだけなんです。


そんな風に[人から嫌われる]って
『めちゃくちゃ怖い!』って感じる要因になると思うんですけど、
「人から嫌われるのが怖い!」とか言ってたら生きられないのが、〖写す人〗の宿命なのかな、とか思ったりします。

それで、
『何故か自分はよく嫌われる…。』って凹みやすい人の何かしらの気休めになるかなって思ってこの話を書いてます。

上手く伝えられてるか分からないのですが、世の中には
人から嫌われること=良くないこと
だから、嫌われないような行動をするべき

みたいな暗黙のルール的なものがあるようにも感じますが、〖写す人〗は、どれだけ気を配って行動しても、嫌われるという経験からは逃げ切れないタイミングが存在している気がします。

人から嫌われること=良くないこと
という概念がそもそも少しズレていて、多くの人が

『人から嫌われることも、まぁしゃーないことなんだよね!』


って思える程度になれたら良いんじゃないかな、と私は考えています。

『嫌われることに対して、恐れずに勇気を出して挑もう!』みたいに気合い入れて構える感じじゃなくて、
『空気って、吸ったら吐き出すよね。同じように、好かれたら嫌われることもあるよね。』程度の心構えを目指すのが、一番拗らせずに済む心構えなんじゃないかと…。


私は今までの人生でしょっちゅう
『嫌われる自分はダメだ。』
『嫌われない自分にならなければダメだ。』って、自分にダメ出しばっかりしながら生きてきたんです。

だけど、色々学んだ結果
嫌われる自分=ダメ  って概念自体が間違ってるわ!』って思うようになりました。

このメンタルに至るまで、かなり葛藤を繰り返してきましたが、そういう葛藤はせずに済む人が増えた方が良いと思ってます。


人から嫌われて、
『自分のことを嫌う相手が悪い!』って自分を一切振り返ることができない人も、それはそれでどうかと私は思ってしまうのですが、そういう人からも
嫌われること=悪いこと
っていう概念を手放しちゃえば世の中から変な責任転嫁も減るよねって、思います。

[人から嫌われる]って、やっぱり気分の良いことではないので、傷付いた心はなかなか回復が難しいのかもしれません。

が、必要な方に良い感じで伝わってくれることを祈ってます。

非力ながら、拗らせ人間を減らす活動の一環として書き記しておきます!


いいなと思ったら応援しよう!