この世は地獄だと思った日の話2
あれは忘れもしない。小学校4年生の秋頃のことです。
ある日、国語のテストがあり、採点が終わってから返ってきたのですが、返却される際担任の先生が
「今回のテスト…難しかったのかなぁ?みんな結構点数悪かったから、もし、いつもよりかなり点数が悪かったとしても落ち込まなくていいからね?みんな、全体的に点数が悪かったから、今回のテストの点数はあんまり気にしないで次のテストから頑張ろうね。」
みたいなフォローを入れてからテストを返してきたんです。
そんなフォローが入ることなんて普段は滅多になかったし、
『フォローが入るってことはよっぽどみんな点数悪かったんだな…。私も物凄い点数悪いのかなぁ…?』
なんて、ビクビクしながら自分の番を待ってたんです。
ところが、返ってきたテストはなんと100点だったんですよね。
『なーんだ、点数悪くないじゃん!良かったー!でも、先生があそこまでフォローしてたってことは、やっぱりみんな点数悪いのかなぁ?って、ことは私だけ…かは分かんないけど、点数が良い珍しい例なんだな。私凄いじゃん!あ、でも、こんな良い点数を他の人に見られて、他の人が気を悪くしたら悪いから、すぐ仕舞おう…。』
って、子供ながらに気を利かせてサッと誰にも点数が分からないように机の中にテストを隠しました。
学校では気を使ったけど、難しいテストで100点を取れたこと、自慢せずに黙っていられたことなど、
『私偉いじゃん!』
って、誇らしい気分のまま家に帰り、夜に母親に報告したんです。
「この前の国語のテスト100点だったんだよ!」
母親から返ってきた言葉は
「小学生のテストなんて、100点取って当たり前だし。テストに答え書いてあるようなもんじゃん。」
というものでした。
「いや、そう…かもしれないけど、そうじゃなくて、今日のテストはみんな点数が低かった、難しいテストだったみたいで、でも私は100点取れて…。」
「あーはいはい。うるさいうるさい。小学校のテストで100点取った位で何も凄くないよ。」
と、聞く耳を持ってくれる気配0だったことから、私は諦めてその場を離れました。
この時、
『あぁ。世の中、勉強なんて頑張っても良いことなんて無いんだな。頑張る意味なんて無いんだな。』
『それだけじゃなくて、自慢したりひけらかしたりしないように賢く振る舞ったって、誰にも気付かれないだけの、頑張り損なんだな。正しく生きることに、良いことなんて1つも無いんだな。』
と、また深く地獄に突き落とされた感覚を味わったのでした。
勉強ができても(100点を取っても)怒られる
勉強ができなくても(100点が取れなくても)嫌味を言われる
私はどう振る舞っていけば良いのだろう…?
この悩みはその後も数年続きました。中学に入ってからはまた他の複雑な悩みなんかも絡まって、途中から勉強を放棄したり、色々あったのですが、最終的に偏差値75相当の高校に入学し
『こんで、良い学校に入ったんやから、文句ねぇやろ!』
と、親に見せつけて中退するまでは、それなりに勉強は頑張っていました。高校生になってからは特に、家庭への窮屈さ、親たちの変な部分への過干渉などが苦し過ぎて
『早く死にたい。』
という気持ちが常に付きまといながら生きていたため、精神的に勉強どころではなくなっていたのです。
それでも、私の苦しさに理解を示してくれるような人など一切おらず、あまつさえ私の意思を蔑ろにしながら自分の善意を押し付けているだけの母親のことを
「良いお母さんじゃん。」
などとのたまう教師なんかもいて、
『あぁ、コイツら、ダメだ!』
って、世の中の大人たちを見限ったこともありましたね。
少し遡りますが、私、高校受験前に、どうしても行きたい高校があったんです。制服が可愛いかったので、私はそこに行きたかったんです。ただ、その高校は偏差値50程度か、もう少し低いような学校だったことで、中学時代の担任から
「Nagyちゃんは、もっと上を目指せるはずだから、もったいないよ。」
と、三者面談で母親の前で告げられたせいで、母がその気になり、私にその高校へ行くことを許してくれなくなった経緯がありました。このことから、私は当時の担任のことも若干憎んでいます。
そしてまた高校時代の話になるのですが、高校の担任も
「いや、Nagyはもっと頑張れる子だよ。」
と、勉強するように促してきてたんですよね。
誰も、私が頑張ったって、結果を出したって、何にも褒めてくれない、何なら
「できて当たり前じゃん。」
という態度しか取らない癖に、何で
「もっと頑張れ。」
とか、無責任なこと言うの?私の努力、頑張りは泡になって消えるだけなのに、何でみんな私に無理を強いるの?
本当に私の青春時代は地獄でした。まじで、
『[勉強ができる]なんて損でしかないわ!』
って刻まれ続けたティーンエイジャー時代で、私は周りの大人に潰された被害者だと感じています。
それでも、私が私の人生を取り戻さなきゃいけないんだから…本当に世の中は理不尽極まりないよ。
別の話でも書いてきた通り、私は周りのズルい人間の行動を真似して過ごしていると、即座に明らかに天罰が返ってくる人間だったんです。
だから、真っ当に生きるように心掛けなければいけないことも多くて、だーれにも気付かれない、褒められない中であっても、いわゆる[正しく生きる]ってことを強いられてきたタイプです。
今から思い返せば、守護してくれてる存在とかから護られてた故に、人間の汚い部分に染まらないように促されてたんだということも分かるのですが、当時の私としては
『ズルい人間と同じことして、ズルい人間の仲間に入ってた方が楽なのに、何で私だけ許して貰えないんだよ!卑怯だ、ズルい!』
というような気持ちも沢山あったので、
『やっぱり私は不幸の星の元に生まれてしまった人間なんだ。』
と思わざるを得ないような瞬間も多々あって、そういう意味でも
『こんな世界で生きたくないー!』
と考えてしまう場面も多かったですね。
いやぁ…こういう辛さをさぁ。理解してくれるような人がいないから、それも孤独でしんどいところもあるんだよね。周りは平気で当たり前のように
「えー?何でズルいことしないの?」
みたいな言い方してくることなんかもあったりしたんですけど、まさか「いや、ズルいことしたら天罰が返ってくるから。」
なんて言えるはずもなくて、それっぽい言い訳を探したりも大変だったし、
『てか、「ズルいことするのが当たり前でしょ?」って考えてるお前がどーなんだよ💢』
みたいに、友だちへの無駄な苛立ちなんかがあったりもして、昔は色々と苦悩が多かったんです。
こんな風に書くと、子供の頃から精神性が高い人間だったような表現になってしまってるのですが、これはあくまで私の中の一部の側面の話でした。
他の記事でも書いてきた通り、大人になっても尚、しっかり親たちからの洗脳が染み付いていた位、私の精神は親の精神に支配されている側面も抱えていたため、私個人の中で様々な葛藤を繰り返していたんです。
多重人格ではないことはハッキリ分かるのに、まるで多重人格かのような、異なる意見が自分の中で混ざり合って対立し合っていた感じで、そういう部分でも
『生きづらい!!!』
と、苦しんでましたね。
完全に親に取り憑かれていながら、私の答えを見出だしていかなければならなかったので、失敗も沢山あって、本気で
『私の人生呪われてるなぁ。』
という感覚を抱えながら生きていたのでした。
まぁそんなこんなで、前回、前々回の話とも繋がってきたりするんですけど、
『私は確実に周りの大人たちからの被害者だ!』
って、思いをどっかに抱えながら生きてるんです。でも、先述した通り、
『まぁそれでも、私が何とか私の人生を取り戻さなきゃいけないからなぁ。』
と、諦めてる部分もあります。
そんな私なので、
「自分は過去に被害を受けたんだ!だから自分は優しくされるべき!そしてお前らは自分と同じような苦悩を味わうべき!」
って大声で喚き散らすようなタイプに対して
『おい、てめぇ、ふざけんなよ。』
って気持ちが湧いてきやすいんですよね。
『辛かったのが、お前だけやと思ってんなよ?』
とか
『辛かったなら、その連鎖は止めなあかんやろ!』
とかいう感覚になりやすくて、
「被害を受けた人間が他人に害を加えることを許されるようになる訳ではないからな?」
って、釘刺さないといけないような気が物凄くするんです。
本当、ムカつく笑
でも、私が最終的に思ってるのは、
「この世を地獄でなくすこともできるし、地獄に堕ちてしまった全ての人も"望むのなら"這い上がることは絶対可能だ」
って部分なんですよ。
まだ、私は【地獄を完全に天国へと変えることに成功した人】ではないし、私の言葉に信憑性を感じる人もそんなにいないのかもしれないけど、救いを求めてる人間には全員必ず光明が差すってことは確信してるんですよね。
だから、一部の人に対して、
「下手に「この世は愛しかないんだよ~。」っていう気休めの言葉にすがるんじゃなくて、「この世は地獄だよね。だから、変えていこう!」って奮起した方が楽かもしれませんよ?」
って、伝えられたら良いな、って思ってるんです。
そして、私自身も
『うぉーーー!!!地獄から這い出てやるからな、コンチクショーーー!!!』
って、ずっと戦ってます。正直、たまに
『もうそろ疲れたって。』
って気分になることもあるんですけど、それでも私は地獄の鬼どもを全員成敗してやる位の気合いで生きているので、似たような苦しみの中にいる人に
「1人じゃないからね。」
って伝わったら良いんじゃないかな、って思います。
『この世は地獄なんだ。』
って感じたとしても、
『だったら、開拓してやるよ!』
って、暴れ倒すのもアリだと、私は思いますよ🙃