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麗し秋田 神来月旅 その5 物部完結詣で② イイ・イヤシロ・チvol.59

マジカルゾーンを出て、唐松神社の拝殿への参道に進んでいく。大きな赤い鳥居が、多くの人々の崇敬を集めていることを示していた。きれいに整えられた参道の様子も、気持ちが良い。先ほどの呪術めいた印象は薄れて、定番な神社の雰囲気に少しほっとしている自分がいた。

立派な両部鳥居と狛犬さんたち

ゆったりとした参道を進むと、御由緒の書かれた掲示板が左手に。

御由緒の掲示板

更に歩みを進めると、また「唐松山」と扁額が掲げられた鳥居とその先に拝殿が見えてきた。当地で初めて知ったのだけれど、此処は下りの宮だった。
わたくしが実際に参拝したなかでは、出雲大社と、壱岐の住吉神社だけがこれまで参拝した下りの宮なので、これは珍しい三社目の御社となる。

いよいよ見えてきた拝殿

「カミさまなのに、下に在る」のは、どうしたって違和感を拭えない。押さえつけられるような存在が、この先にあるのだろうかなどと?邪推がわく。対して、ニギハヤヒや玉鉾神、愛子神をまつる、先ほどの天日宮は高い処にあるので、余計にざわつく不思議な気持ちになる。

立派な公孫樹の黄金の落ち葉がまばゆく散りばめられて

そんなことも考えつつ、一歩ずつ近寄っていくと、丁度七五三のお祓いを受ける親子さん方が拝殿に座っているのが、見えた。とても和やかな空気がガラス越しにうかがえる。少し遠慮がちにお賽銭を入れて、ご挨拶をさせていただく。「参拝させていただき、ありがとうござます。」

拝殿に太いしめ縄とたくさんの鈴

鈴を鳴らして邪を払うというけれど、このように文字通り鈴生りなのも珍しい。まるで「警報装置のような?」などという考えまで浮かんできた。何のためのセキュリティかは皆目見当もつかないけれど、確かになんだか厳重な囲い込みを感じられてしまうのだ。

そっとこの拝殿の周りをまわってみると、降雪に耐える建築のような頑丈さを備えており、見たことのない、まじないのようなものも発見した。

鳥居マークの額は何かしら?

帰宅してからじっくりと調べてみると、「唐松山」という表記もどうももとは違う漢字が使われていた、と知れる。

「カラマツ=韓服」は、のクニを従させた?しかし、わたくしの脳内では、韓は、スサノヲを意味することもあるので、元は「スサノオを祀るお山」だったのではないか?などと、妄想が浮かんだ。そうなれば、出雲大社のように下りの宮であることや、太いしめ縄、祓の鈴の多さに合点がいくように感じてくる。

物部は、その魔術的な霊力で、この国に在った、女王や出雲系の王族の力をずうっと封印してきたのではないか?根拠もない思い付きでは何とも心もとないままであるけれど、ここは、困ったときのハッシーさまのブログの出番である。勉強不足のわたくしを導いてくださる、当ブログには感謝の念が絶えない。

noterさんの縄文エリーさまの記事には、秋田という地名とナガスネヒコ、ニギハヤヒのつながりについての記述もあって、わたくしの中でこの地に導かれたわけが、素直に感じられることになった。

謎深いお社を辞してから、広い境内をじっくりと眺め、歩いてみた。晩秋の愁いと美しさが、雨上がりの落葉によって深みを増して拡がっている。人影はほとんどなく、メインから離れた隅所の小さな社に呼びかけられたような気がして、立ち寄った。無言のままでありながら、雄弁なフォノグラムのような気配が祠から発せられていた。

境内の端に在った、存在感の強いお社

此処でご挨拶できることが、今回の秋田旅の総仕上げになるのだと、確信めいた気持ちになった。「これで良し」。自然とこの言葉が口をついて出てきたのだった。

神代文字の御朱印が珍しい

最後に社務所に立ち寄って、御朱印を授かった。「女一代の守り神」つまるところ、此処には慈愛に満ちた女神さまがいますよと、いうことなのだと受け取った。命をつなぎ、殺しあうのではなく、生かしあう縄文の心を保ち続けること。厳しい環境であっても、其処を手を取り合って生き抜くことを何よりも優先すること。生きることが今よりもずっと難しく厳しい縄文時代に、長い時を争わずに共生し、オオミワ(大きな巳の輪・スパイラル、命のリレー)を形作っていたわたくしたちの遠い祖先。その土器が雄弁に語るような、豊かに生い茂る植物の生命力と蛇に象徴される再生力を崇めていた心を忘れずに進んでゆけば、絶えることはないと思えてくる。

ニギハヤヒとの約束を守るというきっかけが、かつて施され、機能し続けていた、国津の神々への封印に気づき、縄文の心を思い出すという、思いがけない決着に辿り着いた。これから始まる大転換の混乱と苦難を乗り越えるヒントを与えられた、麗し秋田旅。古代に在った出来事を詳らかに知ることはできないであろうが、今、これからを生きていくわたくしたちに必要なサジェストを得られた不思議旅である。

倭国大乱という大変な時代の岐路に直面していたであろう、ニギハヤヒ、ナガスネヒコ、そして巫女神の女性たちの心を推し量ることは、嘘に押し固められていた思考に自由を与え、自らの頭で考え未来を切り開く勇気を持つために必要不可欠であると、この旅が教えてくれたのであった。

参拝終えて、秋田空港に向かう車内に夕日が赤々と光を差し込んできた。それをわたくしたちは、まずは合格印と受け取って、安堵して帰途に就いた。

無事完了して秋田空港へ


最後までお読みくださり、ありがとうございます。和風慶雲。



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