ィイ・ヤシロ・チvol.62 天狗の御使い旅その1 富士山①
卯月の怒涛の参拝ミッションは、改めて振り返ると、天狗の御用旅と判明した。
元々春は苦手な季節。陰が強い体質のために、生き物たちがワーッと一斉に動き出す空間に自分の身の置き所を見失う不安定な感覚に悩まされる。生命の萌え出る勢いに押されて、土俵から押し出されてしまう感じと言えば、少しは伝わるだろうか?
こんな理由からおとなしく暮らすはずの春に、ミッションがみるみると積みあがっていく。富士山にはずっと以前から参拝しなくちゃと心に聴こえていた。もらった図書カードが富士山柄だったり、本屋でなぜだか富士山の旅行ガイドを買ってしまったり(本当の目的の本は別ジャンルだった)、目にするもの、耳に聞こえてくるものなどなど、次々と富士山が登場する。こういう状態からの、満を持してのタイミングでツアー会社から届いた企画が、わたくしが行くべきと考えていた、山宮と大塚丘を含む一泊二日の富士山浅間神社巡り。
とりあえずの問い合わせのメールをすると、すでに満席。一応「キャンセル待ちで受け付けていただけないか?」とお願いすると、キャンセルが出れば連絡をくださるという約束を取り付けた。
あっという間の満席に半ば諦めモードだったけれど、翌日には「定員超えですが宿もバスの座席も1人分は確保できたので、どうぞご参加ください」の連絡が入って参加可能となった。
こんな流れも、お喚ばれ感が一気に増すことだ。一人参加の富士山浅間神社巡りは、以前もそうだった。その時は、台風が来ている予報が出ていたが、当日になるとさらっと逸れて、二日目には富士山が姿を現した日本晴れフィナーレが忘れられない参拝旅となった。
今回も天気予報は雨や曇天続き、しかも桜も散っているという予測が、すべてオセロの大逆転のようにひっくり返っていった。
今回で10回は催行されている人気コースは、空霞む春のために富士山を拝めるのはなかなかの至難の業であるようで、「見えないことが通常ですよ」と添乗員さんも何度もエクスキューズくださっていた。なのに、わたくしは一人、「いいえ、大丈夫。」と根拠のない自信をもって、喚ばれ旅ならきっと富士山は姿を現すはずと考えていた。
さて、当日。集まった方々は時間もきっちりと早めに集合し、和やかな笑顔を乗せてバスは予定よりも早めの出発と相成った。(この日は土曜日なので、道路が混雑するだろうとアナウンスされていた)
やはり通行量は多めではあったけれど、駐車場にバスを難なく停めた一行は、うっすらと見える富士山を遠くに見つけてうきうきと富士山本宮浅間大社から参拝スタート。
いざ境内に足を踏み入れると、桜は今が盛りの満開で、こんなに美しい神社参拝はこれまであっただろうか?と思えるほどであった。神門前の水辺に桜の花筏も浮かび、うっすらとけぶるような桜色に包まれている。花々から放たれる何とも言えない香りと目には見えない何かしらの物質が、人々の心をより一層に浮き立たせる。
とはいえ、うっとり和む余裕なく、わたくしは自らに課したミッションを遂行するべく少し緊張して進んだ。それは、天神社と水神の社へのご挨拶と、富士山から30年かけて湧き出すというお水をいただくことである。
このお水の使途は未だわからないけれど、とにかく分けていただかないと、と思い定めていた。添乗員さんの熱心なガイドでかなり詳しい知識も授かり、地質学、神社の御由緒、マナー、風土、歴史など広範囲のことをいろいろと教わり、随分以前に訪れたこの境内についても思い出すことができたのは幸いだった。
拝殿にご挨拶し、後方に回って神様がおいでになる本殿を見上げた。
が、この後すぐに、混雑する授与所で絵馬を授かろうと並んでいるうちにツアーとはぐれ、一人で湧玉池にしばらく佇むことになった。こうしてすんなりと静かにご挨拶を済ませ、お水をいただきミッション完了。まるで予定どおりのように、気持ちを集中して参拝できた。
湧玉池の畔は清浄な空気が満ちて、水音が心地よく耳に届く。若萌の木々の緑がさらに目にも柔らかく、はぐれた不安を忘れて心は穏やかだった。
ミッション無事完了後は、ご迷惑をかけることなくすんなりとツアーの方々に無事合流できた。(わたくしがいない間にロク中の有名人に出会ってみなさん大変に盛り上がっていた)神計らい恐るべし。
桜満開の境外の広場で、頬を撫でる春風も心地よく、名物富士宮焼きそばで花見ランチを楽しんだ後、門前のお土産ショッピングも済ませて、駐車場に戻ると、其処には富士山が姿を見せてくださっていた。
参加者の笑顔も満開に、幸先良いスタートのツアーは次の目的地に向かって機嫌よく出発したのだった。
その2につづく
最後までお読みくださり、ありがとうございます。和風慶雲。
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