イィ・ヤシロ・チ vol.59 旧暦晦日参り 元春日
いろいろな都合を考え合わせると、この日しか動けない、という流れでスケジュールが決まった生駒山麓へのプチハイキング参拝。
待ち合わせの駅に向かう高速バスのなかで、道連れさんからラインが入る。
「もうすぐ着きます。急がずおいでください。」
?はて、待ち合わせよりも1時間以上早くとは。急いで車中から返信する。
「待ち合わせは12時半でしたよね?」
道連れさんは、何かの拍子に待ち合わせを大幅に前倒し思い違いされていた。わたくしもできるだけ早く向かうことを約束しつつ、高速バス以上のスピードは出ないので、下車後の動きを脳内シミュレーションし、スムーズな移動をイメージする。
その日は2月9日で、この度の目的地の枚岡神社(難読地名ヒラオカ)こと元春日(春日大社の元宮)は毎月の恒例行事の日であった。早い到着の旅友は、とりあえず境内にと足を踏み入れると、大きな笑い声が聞こえてきたという。タイミングよく、旅友は神社の行事に出会ったらしく、そうだ、今日は旧暦大晦日だった、とその時に思い当たったそう。
その頃、わたくしは乗り継ぎもスムーズに約束の待ち合わせ場所に向かって移動していた。そして無事に出会え、ほっと一息のランチタイム。門前のカフェのランチでおいしく健やかに腹ごしらえをすることができた。旅友の早め到着後に見聞きした光景について教えてもらいつつ、本日の作戦会議を行う。
そのなかで道連れさんが「今日が旧暦の晦日だと言うことで、日程決めたんですよね?」と、尋ねてくれた。だけれども、私には何の企みも無い。笑い神事という楽し気な祭事を行う一宮の古社に詣でたいな、という単純な思い付きに、スケジュールを見れば、もうここしか空いてなかったんですよ(汗)と正直に答える他なかった。此処に至ってやっと喚ばれ旅を認識する二人。
前々から気になっていた、枚岡神社さん。しかもアドレスは出雲井町。境内には出雲井という御神水の湧く場所もあるらしい。此処はかつて出雲族の?と妄想が膨らむ。背後のお山にも「たたら山」があるという。そんな謎も心惹かれるポイント。
さて、エネルギーチャージもしっかりと、いざ、参拝である。石段や登坂を進んで行くほどに、水豊かなイヤシロチと気づく。駅前すぐに、これほど水音が心地よく爽やかに耳に届く緑豊かな社はそうそう無い。
独特のしめ縄が渡された石の標柱の手前には、春日大社を思い出させる鹿の手水舎と狛犬ならぬ狛鹿さん。こちらの子鹿を抱いているお母さん鹿の背中を撫でると縁起良いとのことで、そっと触ってご挨拶。
春日大社では案内の神職さんに鹿が彫られている灯籠を十基見つけられたらお金に困らないと言われて、参加者が探して楽しむ光景を思い出した。こういった神社のお楽しみは、無邪気で良いなとしみじみ思う。
さて、いよいよ拝殿へ。背後のお山からの御神気がゆったりと降りてくる感じで、包容力の感じられる空間が形成され、心身が落ち着いてく心地よさが広がる。行事のあった午前中は多くの参拝者がおいでだったろうが、広い境内に殆ど人影はなく、穏やかな晴天の下のお参りは、2月にしては珍しいこと。有難いね、とつい口に出てくる神恩感謝である。
いよいよ、拝殿裏手の本殿やその右手の御神水エリアに向かう。たくさんの鯉が元気に泳ぐ神池の前を通って、本殿の右手に進んでいく。
境内をゆっくりと参拝して回った後は、お山の上の本宮神津嶽を目指した。思った以上に自分にはハードであったけれど、眼下に遠く広がる街並みを眺める休憩を入れながら40分ほどかけて辿り着くことができた。
展望台をこえてさらに階段状の山道を登ってゆくと、最後の標柱に到着。
数分上ると、きれいに整えられた本宮が在った。お山の上の神様との交信所といったところだろうか?
こうしてわたくしたちの旧暦晦日参りは無事完了した。あとはゆるゆると来たのとは違う、ハイキングコースで赤い橋や川を渡って茶店や公園の横を通り過ぎて隣駅の前に出た。階段を下るよりも足腰に優しく、風景を楽しみながらのこの帰路は、実は道しるべを見落とした結果であった。ところが、間違いが楽しさの発見になるという学びにもなったと、お互いに笑いながら語り合ったことだ。
間違えないように、正しくあろう、とすることは悪いことではないけれど、そのあとには大体予定調和な結果が用意されている。間違えたり、勘違いしたり、それは人間によくあることで、ミスと呼べば悪いこと、無くさなければならないことと思いがちだ。
けれども、後々になって振り返ると、あの場面で間違ったり、その時に勘違いをすることが当時想像すらできなかった、今の楽しい人間関係や状況を自分にもたらしたことが、五十路を終えようとする頃になってやっと理解でき、心底その通りと肯首するのである。
思いがけない出会いや、出来事は、自分の犯したミスの中に織り込まれている。旧暦晦日の参拝は、過ちが内包する楽しい未来の種の存在をわたくしたちに認識させてくれた。つくづく神恩感謝である。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。和風慶雲。
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