豊の国とは 宮島その2 イイ・ヤシロ・チ㊴
弥山登拝前に通り過ぎた五重塔は、メイン通りから写真に撮るのが難しかった。下山して宿へ戻る道すがら、もう一度撮影にチャレンジしようかと足が向いた。
グッドアングルを探りながら、石段を登って近づくと、黄金色に輝く大銀杏が曇天の昏さを弾き返すように立っている圧倒的な様子で現れた。
こうなると、五重塔の写真などという思惑は何処かへ遠のいて、意識はその銀杏を眺めるために横に建つ千畳閣へとスコープしていく。
昇殿時間はあと10分しか無いけれど、百円の拝観料で上がらせていただけるのならと、そそくさと靴を脱ぐ。階段を数段登って入ると、そこは、いくつもの太い柱が立つ、まるで鬱蒼とした太古の森の中にいるように感じられる広々とした壁のない空間。其処に黄昏時の薄闇が拡がって、冥い床板に銀杏葉の黄金色が写り込む幻想的な光景を見た。これは全く予測不能な幸運である。
外側にぐるりとめぐる回廊に出ると、高い場所の立地であるために、下方遠くまで見渡せてのびのびとした気分も味わえる。
紅葉にちらほら飾られた宮島の山々と厳島神社をはじめとする寺社建築が連なって見える。
その手前に光源よろしくピカピカと明るい黄色の枝葉を大きく拡げている銀杏とのコントラストも見事だ。時間帯のせいもあって、修学旅行生などの賑やかな参拝者はおらず、他の僅かな観光客も静けさと美景を夫々に堪能している。ただただ夕暮れ時の、厳かで穏やかな空気が心地良い。
こういうタイミングで、「シカンタザ」という言葉が浮かんでくる。確かに今、此処で瞑想するといい感覚に浸れそう。だけれども、滞在可能時間は残り数分になった。
息を呑むような金色の光景に少し慣れてくると、この建物の尋常ではない在り方に、気がつく。梁の太さや長さ、荒々しいとも言えるほどの豪胆な造りがこの巨きな建物を構成している。
そして、五重塔の横にあるのはお寺と思い違いしそうになるけれど、此処は「豊国神社」という、れっきとした厳島神社の境外末社である。
帰宅してから調べてみると、このような経緯のある神社であったことが知れた。↓
豊臣秀吉が最晩年に建築を命じた此処は、結局秀吉の存命中には完成に至らず、その後未完のまま放置されたという。おかげで大規模な大木の骨組みや床下の構造を今も直接見ることができる。このスケールの大きさは、当時の人々をきっと驚かせていただろう。
ふわふわとそんな想像をしながら、床に映リ込む金色にうっとりと立ちすくむうち、わたくしは何かの気配にふと背後を振り返った。
森の最奥のような其処には、幽玄という言葉以外はその在り様を表現できない拝所が設えてあった。存在感溢れる「豊国神社」である。
最初は読経の為の祭壇だったのだろうか?まるで神門か、鳥居のような柱が建物内に立っている。此処に豊臣秀吉の御霊を祀るとは、どのような思惑がはたらいたのか?
参拝を終えてから、傍らのお御籤を引き、箱の抽斗から取り出すと、これが不思議な内容だった。↓右「ウガヤ」?「平」?
細かな内容よりも、その2つのワードに心がざわついた。「ウガヤ」と聞くと、わたくしは今関心を寄せている、大分エリアのウガヤフキアエズ朝を条件反射的に連想するのだ。大分は豊の国、豊国神社、豊臣秀吉との関係は?そして、「ウガヤ」という言葉が梵語では白蛇と意味することも、つい最近教わり、龍神の影もちらついてくる。↓ (丸川夏央留さまに感謝いたします。)
本殿に祀られているのは秀吉なのだろうか?秀吉はなぜ豊の臣なのか?と発問が降ってくる。
また、吉凶ではなく、平とは、平氏とつながっていく。清盛は伊勢平氏の流れとも聞くが、秀吉が清盛の夢を見たという話からこのような大規模建造物を計画したのは、どのような関わり合いからか。清盛と秀吉が経を捧げよう(供養)としたのは、いったい誰なのだろう?
次は豊の国へ行けという暗示なのか、其処に向かえばこれらの発問への答えが見つかるのか不確かなままに、行く先が決定する不思議旅である。
そして(↑左部分)昇殿券で示される瓦には二本角の鬼と「王」の字。鬼の王は、弥山の奥宮の三鬼や祀られている古代の王なのか?謎は尽きせず次々と湧いてくる。「この謎かけがわかるか?」と、ちょっと意地悪な声が聴こえたのは気のせいか?
たった10分の昇殿時間が濃密に過ぎ去り、わたくしたちは退出となった。昇殿したところの反対側から出てぐるりをまわって見上げたところに、五重塔がピッタリと写真に納まる適所が見つかる。当初の目的も果たして、心おきなく宿へ向かう。
さて明日は、どんな宮島旅が待っているのだろうか?その3に続く。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。和風慶雲。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?