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うた 宇宙(そら)のまにまに④

風を観る

窓の外は 激しい雨風

たくさんの雨粒たちが

地表にあるものすべてを 潤すために

天から降りてきている

激しくうねる木々の枝葉

ゴウッと鳴り響く音

それらの情報が

頭の中で組み合わさり

風が強いと 答えを出す

そして

これまで一度も

風を観たことはないのだ と

ハッとして

少し揺れた わたくしの心

ああ 風は 地表のあらゆるものを

揺らす為に やってきたのだ

その姿を 見せることなく

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風に揺らされたモノの様子とその音でしか、人間は屋外の風の存在を知覚できない。

直接的には、肌に当たる空気の圧などで、無風、そよ風、涼風、突風、強風などと評しながらも、この手に掴むことはできない。もちろん、この風がとても心地良いからと、そのまま何処かに大事に保管できるはずも無い。

何を当たり前のことを、と嗤われるかもしれないけれど、いい大人になってやっと気づいたのである。わたくしにとっては、これは本当にすごい発見だ。

だから先人は、風を見るために、吹き流しや風ぐるまを工夫したのだな、とまた改めてその智慧の深さと楽しいアイデアに感じ入る。

風を見る、とググってみると、衛星からの情報で、今では地球全体の風を可視化できると、知れた。

https://real-time-now.wixsite.com/mysite/blank-1

現代人は地球の周りに衛星を配置して、自分たちの星を始終観測し、見えない風を見えるようにした。おかげで、少し先のお天気や空気の汚れの到達などを予測できるようになり、何も知識のないわたくしも、その恩恵を享受できる。

けれども、このように科学技術が発達しても、嵐が来れば人間はやはり避難するしかない。激しい雨風が過ぎ去るまでは安全を確保しつつ、やり過ごすのだ。日本には、「風祭り」という風害の鎮静を願う様々な作法があるらしい。

https://wa-gokoro.jp/event/annual-events/785/

かなり昔、おわら風の盆を観覧したわたくしも、胡弓の哀愁深い調べと、匂うが如く美しい踊り手の所作に感動した。が、風神を宥めるものとは知らなかった。改めて記憶を辿ると、なるほどすべての流れがふうわりと揺蕩う風のような踊りであったと、了解する。

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そういえば、わたくしが、嵐のことを古語では「野分」と表すと覚えたのは枕草子であった。機知に富む清少納言が、嵐の翌日に見つけた、「をかし」きものごとたち。前夜の暴風雨の荒々しさの名残りと、ほどけた緊張から生ずる興趣が好ましい。

その中で表される、美しい若い女性が、古今和歌集を引き、なるほど嵐は山に風と書くとおり、と教養豊かに雅を愉しむひとこまは絵巻のようで、この趣きこそが日本人独特の感性に思われる。

残念なことに、現代人には、このような台風一過の風流を愛でる余裕が、段々となくなってきたようだ。

年々の災害の規模の拡大化や、線状降水帯と呼ばれる、最近の奇妙な激しい気象現象のせいで、嵐の後も緊張を緩めることは難しい。

開発した技術を駆使し、地球規模に風を見るようになった今でも、わたくしたちは風を操ることはできない。古人のように穏やかに吹いてくれることを祈るのみだ。呪いや祭りで、風神のご機嫌を伺い、風の和やかな揺らぎを願う。柔風が人の仔に幸せを運んでくれるように。

https://www.youtube.com/watch?v=Vh-6SY-Gjdg








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