2/18 時には、他のnoteの感想を

を、偶然にも拝見した。

これを深掘りすると自己肯定感とか、昨今の『キラキラしようぜ!』的なアレソレとか。いろいろと浮かぶものはあるのだけれども。

そもそも論として、俺の中で最近『キラキラ誘導に対する嫌悪』というものが、非常に強くなっていると感じた。

なぜ嫌うのか。

一つ。『そのキラキラ、盛り付けてませんか?』という疑問。
一つ。『そのキラキラ、遠くない?』という疑念。

『見せかけの事実』を作り出すのは、案外簡単で。人は誰だって嘘を付くことがある。だが……。

『嘘に殉じる』ことは難しい。

一つ嘘を盛ったがために、他でも雪崩のように嘘をついて。結果全てが崩れることなんて、いくらでもある。どこにでもある。大小を問わず。

遠いものが近くに見えるのは、SNSの特質でもある。上の記事でも、こう記されている。

そして、そのSNS世界には、テレビに出ている人よりももっと身近に、自分のいる場所と地続きの場所で、きらめいている人たちがいる。フォロワーが山ほどいたり、その力でお金を稼いでいたり、会社という枠組みにとらわれずに自由に仕事をしているように見える人たちがいたり、有名人同士で交流をしたりしている。質問箱をおけばたくさんの質問が来て、それに雑誌のインタビューばりに答えている姿はまるで芸能人みたいだ。
昔よりずっと、「自分でも有名になれるかもしれない」と思わせられる時代なのだ、と思う。
それはとても夢がある。インターネットには夢が転がっている。SNSで大成功した菅本裕子ちゃんや、CAMPFIREを立ち上げた家入一真さんの経歴にはアイデアやユーモアや努力や誠実さでたくさんの人たちの暮らしを明るくしてきたという確固たる眩しさを感じるし、そういう輝きからは「きっとどこからでも夢は叶えられる」という勇気をもらえる。私だって、インターネットの世界を勝ち抜いている人たちからたくさんのことを学んでいる。そもそも私のことを知ってくれているひとたちの中にも、きっかけがインターネットからだったという人もかなり多いと思う。

長い引用になってしまったが、生の言葉をお借りした。岡目八目感のある俺が変な要約をするより、遥かにいいと思ったからだ。
(場合によっては削除します)

遠いものが近くに見えて。そちらの人々はは強い言葉で「こっちの水は甘いぞ」と訴える。引き寄せる強さがある。

でも、判断は考えてからにして欲しい。リスクは。現況は。平坦でない道を、耐えられるだけのものはあるのか。

上の記事は言う。ルーティンの中に、希望はないのか。「社畜」だって、超偉い。ちゃんと生きていることだけであなたが美しい。

昨日、こんな記事を俺は上げた。

解釈の仕方は、己にあると。昨日の俺は言った。これは判断は考えてから、とも重なる。

そんな俺の嫌悪が、『キラキラ誘導』にぶっ刺さるのだ。上の二点を、感じてしまうのだ。

もちろん、ネットで様々な記事を見ている以上。別方向の誘導を受けているのかもしれない。でも、思うのだ。

失敗しても、それは記録だと。次に飛び込む者への、貴重な足跡だと。赤裸々に残せとは言わない。恥もあるだろう。だけど、隠す意味はないはずで。

そんな、妙な感覚に。あの記事はズドンと刺さったのだ。

平凡を続ける勇気も。荒波に飛び込む勇気も。皆等しく。人は皆、等しく尊い。綺麗事だけども。俺は、響いた。

現実は、足元で流れている。

おわれ

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南雲麗
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