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心癒された中学時代の日誌

祖母の家の整理をしていたら、自分の中学二年生のときの日誌が出てきた。
次の日の予定と、その日の振り返りを簡潔に書いて提出するノート。
懐かしさと、なぜこれが残っている!?という驚き。

私が中学二年生のときは両親が離婚した頃で、家庭環境も落ち着かず、
あまり良い記憶のない時期だった。
大人になった今でも、なんとなく自分の人生の中でも暗黒期だったように思っていた。


母との関係もうまくいかず、父の実家や母の実家である祖父母宅を行き来し、居場所も落ち着かない日々。

わたしは誰にも愛されていない・・
誰にも必要とされていない・・

と、卑屈になったり、寂しく無気力な日々だった。

気持ちを受け止めてくれる大人は当時の私の周りにはいないと思っていたし、自分はダメな人間なんだと自信もどんどん無くしていた。


だから今までずっと、
私は自分のことを、可愛くない子供だったと思っていた。
実際、子供の頃から母には生意気だったのか、なにかあると「かわいくない」と言われり、拒絶する態度をとられたり。
母に可愛がられている弟に劣等感を抱いたりもしていた。

私は愛されないダメな人間なんだ・・
という劣等感を抱き続けて、いまでもひきずっているところがあったから、
日誌を見るのは少しだけ勇気が要った。
可愛くなかった私を再確認するようで怖かった。




でもそれが、見てみたら拍子抜け。

当時の自分は14歳の女の子の等身大の、素直な言葉で日誌を書いていて、
思わず、「なんだ…普通に可愛い子供だ」と心でつぶやいた。

恋の話、部活の話、先輩が怖いだとか、
一緒に日直だった男子がなにもしないのでひとりでやった、と愚痴をこぼしたりとか…

今よりずっと雑な字で、
あいているところにはあちらこちらに歌の歌詞やら、イラストや落書きがたくさん。

今の私は、中学生だった私の日誌を見て、
親目線になり、ほほえましく、あたたかい気持ちになった。
「ああ、このときはつらかったよね、頑張ったよ」
なんて、心の中で自然と言ったりもした。

つらい気持ちの行き場のなかった中学生の頃の私を、
日誌を通して抱きしめてあげられた気がした。
今の私が、あのときの私を肯定してあげられた気がした。

過去に心理カウンセリングか何かで、
子供の頃の傷ついた自分は、大人になった自分が抱きしめて癒してあげるといい。と、いうような話があったのを思い出す。

それがどうやったらいいものか、イメージができずよくわからないままでいたけれど、日誌を発見したことでなんとなくイメージができた気がする。

今回、私は当時の自分の気持ちを感じられる”モノ”が身近にあったから。
それを見て当時の自分を感じて、大人になった今その自分を認めてあげられたから…
少しだけ、癒しにつなげることができたのかもしれない。

さらに日誌のらくがきが、今娘がノートや予定帳にやっていることそのもので、余計に親目線になってそれを見ることができたのかもしれない。
だから娘のおかげでもある。

ありがとう、中学時代の日誌。ふいに出てきてくれて。


それから、私の一日の振り返りに対する当時の担任の先生の返信の言葉も面白くて、優しくて…
読んでいたらじんわり、心があたたかくなった。

あの頃はいわゆる反抗期だったのか、先生にも根拠のない不信感を抱いていたように思うから、なんだか申し訳ない気持ちにもなった。

20年越しで、当時の先生の言葉に癒され、すごーく遅くなってしまったけれど、
先生ありがとう、と素直に思えた。


中学時代の日誌に、癒しと気づきをもらえた話。


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