初めての店長は苦戦!
歌舞伎町で3か月夜の生活を送り、次に送り込まれたお店は、江東区木場の深川ギャザリアのお店。
営業時間は11時ー23時
居酒屋だけど、ショッピングモール内にある。同じ敷地にビジネスビルとイトーヨーカドーが併設されているので、平日はサラリーマン・週末は家族連れ。はっきり分かれる客層だった。
送り込まれた時の店舗状況
・店長退職にともない、数か月前からやる気なし。
・屋号を数か月前に変更後、売り上げ40%ダウン。とりでんという名前で運営していたころは絶好調。鳥インフルエンザの影響でとりという名前をはずし、かまどかに変更してから、内装、スタッフ変わってないのに超低迷。
・アルバイトの意識。空いた時間にお金を稼ぐ感じ。歌舞伎町メンバーは上京して生活資金みたいな感じでシフト確保にやる気を見せていたが、個々のメンバーは特にそういうこだわりはなかった。
「売り上げの回復、チーム作り」がミッションとして課された。
チーム作りは比較的うまくいく。歌舞伎町の時とスタイルは変えずに、さらに店長になったことで一人一人と面談、店舗内のミーティングは定期的におこなった。内容はお店の方向性、アルバイトの子の将来とお店での仕事でリンクできること。店舗内でのミッション。このあたりを面談で話した。ミーティングは出せる数字をみんなに共有し、カイゼンするために、どうするかを話し合いをした。
その結果、少しずつ当事者意識が醸成され、アルバイトリーダーも育ち、チームはうまく回り始める。ついてこれないメンバーもおり、何名かは辞めてしまったが、、、いい新人(高校生)がたくさん入って、若返った。
次に売上の回復。これは苦労した。配属されたときは前年比60%、翌月70%、翌々月70%と3か月浮上できずにいた。
歌舞伎で培った、路上キャッチは住宅街、ショッピングモールでは全く効果なし。繁華街の新規一辺倒の店づくりから、地域に根差したリピーターづくりに重きをおいて、カイゼン活動を始めた。
まずランチ改革。居酒屋のランチはモールとは言え、メニューも看板に置いただけで、あまり目立たず、入りづらいと感じたため。
オープンと同時に、その日のランチメニュー3種(日替わり・肉・魚)を店頭にできたてをおいて、お客様がイメージしやすいようにした。
メニュー名も「伝説のチキン南蛮」とキャッチーな名前に勝手に変えてみた。すると出数が伸びた。
また外に出した3種にオーダーも偏ったことで、出数の予測もできるようになり、仕込み量もわかりやすくなった。
ショップカードも配り、リピーター特典をつけたことで、安定的な集客を確保できるようになった。
夜は近隣のサラリーマンの方に認知をしたかったので、ランチの常連さんに声をかけ、名刺を渡し、夜も使っていただけるように営業をした。これが意外とうまくいき、お客様の社内で紹介までいただけるようになった。
土日の家族層の取り込みは、居酒屋での食事でお子様が飽きないように、子供向けの絵本を大量に設置した。中学生までのドリンクは無料にした。(小学生はあるが中学生はなかなかないと思う)
アルバイトの子たちにお客様をつけようと、次回サービス料理を記載した名刺をアルバイトの子たちに積極的に配ってもらった。誰が一番名刺戻りが多かったかを表彰し、リピーターとアルバイトのモチベーションアップにつながったと思う。
事業部での生ビール半額キャンペーンなど様々なキャンペーンのときは朝8時から駅前でティッシュ配りを1週間1人で5000枚やったり、近隣のポスティングを1000枚やったり、泥臭いこともやった。
いろいろ改革したが、ランチ営業する居酒屋、食事需要の多い居酒屋での一番の満足度は、いい接客よりも「料理・ドリンクの提供速度」であることがわかった。(当たり前だが)
繁華街の居酒屋は、飲み需要なので、ドリンクさえでていれば、多少料理をまたせてもクレームにならない。体感で30分くらい、でなくても大丈夫だったように思う。それが、住宅街の店舗は15分で、もう怒り出す。ランチだと7分。(休憩の60分で食べに来ていただけるので、当然)
ある程度ロスを承知で、ランチはピークの11時30分すぎから、仕込みではなく、予測される量の調理を始めた。これによりストックができるので、圧倒的な速さで提供できるようになった。回転率もあがり、売り上げは大きく改善された。
これだけいろいろやって、10月に配属されたお店で、花が咲いたのが、4月ごろ、前年比を上回るのに実に半年を要した。同じ屋号になってからの前年比は120%で4月以降も推移する。
4月以降は安泰のチームになり、非常に楽しく仕事ができた。
初めて店長をやったこの店では住宅街の売り方が勉強になった。
「集客をあげる、回転率をあげる、リピーターを増やす。」
歌舞伎時代のキャッチ。住宅街のリピーターづくり。
この2軸での売り上げの伸ばし方を手に入れた私は、配属から1年で、事業部のフラッグシップ店舗のひとつ「渋谷店」への異動を命じられる。
渋谷では地獄を味わい、非常に苦労した。今思うと、渋谷の時もまだまだ青二才店長だったと思う。そのあたりのことを書きます。
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