映画『ディア・ファミリー』主人公は名大と縁深い人物だった
2024 年 6 月 14 日(金) 全国東宝系にて公開の映画『ディア・ファミリー』(主演:大泉洋)。この映画の主人公と名古屋大学に、少なからぬご縁があることをご存じですか?
本作品は、先天的な心臓疾患を抱えて「余命10年」を宣告された娘のために、とある町工場の社長が人工心臓の開発に挑み、家族とともに奮闘するという実話に基づく物語。主人公のモデルとなったのが、愛知県春日井市の医療機器メーカー「東海メディカルプロダクツ」の会長である筒井宣政さん(82)。人工心臓の開発こそ成し遂げられませんでしたが、不屈の情熱と探求心で「世界で17万人の命を救った」というカテーテルを生み出し、時代に先駆け“医療ベンチャー”の創業を成し遂げた人物です。
「娘を救いたい一心」から17万人の命を救う医療機器の開発へ
映画公開を機に注目を集めている筒井さんですが、これまでも様々なメディアで紹介されてきました。多額の負債を抱えた父親の町工場の跡を継ぎ、アフリカ各国を行商して自社製の髪結いビニール紐の販路を確立。現地で大ヒットさせ、「返済に72年かかる」とされた借金を7年で完済したという逸話が語り継がれます。
1978年ごろ、当時の医療では治せないとされた次女の佳美さんの命を救いたい一心から、夫婦で人工心臓の研究開発に着手。8億円の投資をつぎ込み幾多の苦難を乗り越え、8年ほどの月日を経て動物実験の段階までたどり着くも、その先の臨床試験にさらなる年月と1000億円を超す費用がかかる見通しとなり断念せざるを得ませんでした。
しかし、それであきらめることなく人工心臓の開発で培った技術を生かして「IABPバルーンカテーテル」の製品化に成功。心臓の働きを補完するこの器具により、狭心症や心筋梗塞など心疾患で命を脅かされた数多くの患者を救うことととなります。
名大大学院で「ものづくりビジネス」のあり方を伝える
「世界と伍する研究大学」を目指す名大の屋台骨を支える柱の一つが、研究者の“卵”を育てる博士課程教育。この中に、2004年度に開設した「PhDプロフェッショナル登龍門」があります。このプログラムに筒井さんは事業家として異例の客員教授に任命され、第一期から学生を指導してきました。
学術研究における高い専門性を持って社会で活躍するリーダーを養成するプログラムで、筒井さんはものづくりビジネスのあり方を伝えます。講義で強調するのは、あきらめないことの大切さ。「自分の能力の10倍ぐらい高い目標を設定し、絶対にやり遂げるという強い気持ちで取り組むことが重要」と投げかけます。
事業家が教壇に立つことの意味とは何か――。「事業家が学者と異なるのは、開発したものを売るまでやり切ること。限りない好奇心と情熱を持ち、努力を続ければ周りが認めてくれ、自分一人ではできないこともできるようになる」と持論を唱えます。
国内外からの来賓もてなす「茶室」を名大に寄贈
名大の東山キャンパスにある「アジア法交流館」。法律や国際関係を学ぶ学生や留学生が行き交う建物の一角に、木造の格子戸が存在感を放ちます。
格子戸をくぐると、そこに広がるのは広間、小間、水屋、庭園からなる広々とした茶室です。留学生が日本文化を体験する場、国内外からの来賓をもてなす場として2016年、筒井さん夫妻の寄付により整備されました。
「本物に触れることが大切」と考える筒井さんの意向もあり、企画、設計から茶道の先生も監修して本格仕様の茶室が完成しました。茶室の名は「白蓮庵(びゃくれんあん)」。23歳で亡くなった佳美さんの戒名から名付けました。
茶室は今、国と国、人と人を結び付ける機会の創出に寄与しています。整備に携わった日本法教育研究センター(CJL)の牧野絵美 副センター長は「日本法を本格的に学ぶには、日本文化を理解することが重要であり、茶道など日本文化を伝える場として活用させていただいています」と喜びます。
筒井さん自身は、生前の佳美さんが茶道に打ち込んでいた影響から茶道を習い始め、自宅にも茶室を設けて茶道をたしなむようになりました。「学生はもとより、国内外からの重要なお客様をもてなすなど、大切に使っていただきありがたい」と話します。
医療関係者、大学研究機関、医療機器メーカーをつなぐパイプ役
人工心臓開発の断念を経て、多くの人々の命を救うカテーテルを開発して医療機器メーカーとしての経営を軌道に乗せた筒井さん。人々の役に立つ製品を普及させるには、医療現場のニーズと民間の技術をつなげることの重要性を痛感しました。そこで、業界のけん引役となり民間企業と医療関係者、研究機関、行政の“産官学”の連携づくりに奔走。研究会や商談会などを立ち上げるなど、共存共栄の道筋を作ります。
東海国立大学機構の松尾清一機構長と筒井さんの親交が始まったのはその頃。当時、名大病院の病院長だった松尾機構長が「先端医療の進展には、病院だけでなく企業の力が不可欠」と危機感を抱き、産業界との連携を求めて筒井さんに直接会いに行ったのがきっかけでした。
名大の病院長の突然の訪問に戸惑った筒井さんでしたが、互いに「医療の世界を良くしたい」との思いが一致。20年近くを経た現在も夫婦ぐるみの親交が続いています。
松尾機構長は「娘さんを救いたいとの一心から始まった医療機器の開発は、世界中の人々を救いたいとの思いに広がり、この高い志のもとに作られたカテーテルは世界で唯一無二の存在となっています。大量に出回らない特殊な製品をビジネスとして確立することは筒井さんにしかできなかったでしょう」と称賛を惜しみません。
大きな負債を抱えた小さな町工場は今、医療機器メーカーとしてオンリーワンの存在に。成功に導いたのは「人の命を救いたい」という信念に基づく経営です。筒井さんは「結果として自分の半生が映画として取り上げられましたが、私は淡々と、ものづくりをしてきただけ」と笑います。